大学の修士時代に所属していた研究室の博士課程生徒が失踪したときの話

以前私が所属していた研究室の話です。
私は修士学生時代(22歳~24歳)のときに専攻でも有名なブラック研究室に所属しており、そこでとある博士課程の生徒と出会いました。以後この博士課程の生徒のことをYさんと呼びます。

私が修士1年生のときにYさんは博士2年生でした。博士課程は基本的に3年間で卒業することになり、修士課程は2年間で卒業するので、お互い順調にいけば同時に卒業する関係でした。

Yさんは私に設備の操作方法を教えたりしてくれていました。
研究室には3種類くらいの研究分野が存在し、Yさんと私は同じ分野を担当していたのでよく話す関係になっていました。

Yさんは修士時代からこの研究室にいたので非常に詳しく、研究室内でも慕われてはいないけどボスみたいになっていました。

ただYさんには大きな問題があり、あまり実験をしませんでした。そのため週に1度ある研究報告会ではほとんどレポートを出さないという蛮行をしていました。

さすがにそんな事は許されず、一時期は毎日のように教授がYさんを怒鳴っていましたが、Yさんは無駄にメンタルが強かったのでどこ吹く風でした。

しかしレポートを提出しないという事は教授視点では点数を付けられないということ。そのためこの年に大事件が起きます。

なんと半年に1度でてくる「研究室の単位」をYさんは落としてしまいました。何人かの教授に聞きましたが、「研究室の単位」は必修で、これを落とす生徒が出るのは前代未聞とのこと。さすがのYさんもこの時は焦っており、学生相談課という場所に教授からのハラスメントを訴えたりしていました。個人的には単位については自業自得のような気もしますが、必修単位なので落とす訳にはいきません。

結果的に、嘘か本当かは分かりませんが教授からは「他の卒業条件を満たせばこの単位を取ったことにしてやる」とYさんは言われました。ただ、大学が決めた単位を取らずに卒業扱いにするなんて教授一人で出来る訳もありません。恐らくこの時点でYさんの留年は決まりましたが、現実逃避なのかこの嘘を信じたようです。

Yさんにとってこの年は必修単位を落としただけで、比較的に穏やかな1年だったと思います。まぁおそらくこの時点で留年確定なんですが・・・。

そしてYさんは博士3年目になりました。当然この年に就活が始まります。

修士学生は就活に強く、割と簡単に就職先を決められるのですが博士課程の生徒は違います。企業にとって博士課程を採用する場合は基本的に研究職になります。しかし研究室の研究内容と自社の研究内容のマッチングを重視する企業が多いため、博士課程の生徒はなかなか就職先を見つけられない傾向にあります。

Yさんはそんな厳しい博士課程の生徒であるうえ、研究をさぼりまくっていたので就活は相当苦戦していました。大体の生徒は4~5月に内定が出るのですが、Yさんは9月ごろに外資系企業から内定をもらいました。

内定も取ったのでここからYさんは本気を出して研究をしていくのかと思いましたが、なぜかYさんはそれでも研究活動をほぼしませんでした。研究室メンバーからもさすがにやらないとまずいのでは?と言われていましたが「大丈夫でしょw」みたいな態度で以前としてレポートを提出しません。

この頃にはもう教授から叱られることもなくなり、完全に教授から見放されていました。しかし、博士課程を卒業するには絶対に達成しなくてはならない条件があります。それは「論文の執筆」です。

これは卒業論文ではなく、Natureなどに代表される学術誌への論文投稿です。私の専攻では2本の査読付き論文(内容を精査される)を発行することが卒業条件でした。

論文を出す場合は実験で結果を出す必要があり、さらに投稿内容について教授と議論して固めなくてはいけません。しかし教授と仲が悪かったYさんは教授と話したくないため、この作業を後回しにしました。これがYさんの人生を決定付けたのかもしれません。

10月ごろになると論文を提出できるギリギリのタイミングになるのでYさんにも焦りが見えてきました。この時期になると珍しく研究報告会でレポートを提出し、なんとか論文執筆までいきたいという意思を見せていましたが、もう教授は留年させる事を決めているような態度を示し、Yさんの話を聞き流すようになっていました。

12月に入るとYさんはいよいよ後がなくなり、研究報告会では野々村議員ばりの号泣を見せながら現状に対して不満を叫んでいました。「なぜ指導してくれないんですかああああああ」みたいな叫びは今でも鮮明に覚えています。

1月に入ると、Yさんはもう確定で卒業ができないので、その腹いせか研究室が保有する設備に入れてはいけない物を入れたり、実験用の気体が入ったガスボンベの中身を抜いたりしていました。その姿はさながら犯罪者のようでした。

そして仲が良かった私に対しても研究結果にいちゃもんを付けるようになり、Yさんは研究室内で完全に孤立しました。そして2月以降、Yさんは研究室に来なくなります。

そして私が卒業旅行に行っている間に事件が起こります。Yさんと教授が激しい口論をして、教授から退学するよう勧められたようです。

その事件の日から数日後、Yさんは失踪しました。

Yさんの両親から研究室に「どこへ行ったか知らないか」という電話があったようですが、当然知る由もありません。

今生きているのか、もしくは亡くなっているのか私には皆目見当がつきません。

Yさんの素行も決して褒められたものではありませんが、彼が幸せに生きている事をただ祈るしかありません。

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