プロローグ感想⑦【リクエストコーナー】

大事にカバンの中にしまっていたバングルの出番が、遂にやってきました。

ボタンを押すと5色の色で光るこのバングルを使って、
羽生選手に滑ってほしいプログラムのアンケートを取るようです。

色別でプログラムが決まっていました。

青→悲愴
白→ロシアより愛をこめて
紫→Lets' Go Crazy(レツクレ)
緑→花になれ
(水色は無し)

今までにない形式に、ワクワクしました。
これはまさに会場にいないと味わえない気持ち。
私たちの反応に合わせて、羽生選手が演技してくれるだなんて!

こうやって羽生選手と直接交流できる機会は初体験だったので、嬉しくて仕方なかったです。

私はあまり迷わずにレツクレの紫にしましたが、
私の横並び5人くらい全員紫!
レツクレ、人気ですね。

観客が思い思いの色でバングルを灯すと、
羽生選手と進行役の新村さんが揃って「綺麗!」と感嘆の声を漏らしていた…気がします。確か。
私たちが発した光で、羽生選手が喜んでくれるなんて。それだけでもう感激でした。

他の皆さんも紫が多かったようで、リクエストではレツクレを滑ってくれることになりました。

赤黒の衣装で滑るレツクレ、最高でした。
最後のズサーのところはきっとこの上ないドヤ顔なんだろうなと、
私の席からは表情まで見えないので脳内補完して楽しみました。

レツクレが終わると、バングルはもう使いませんよ、という新村さんからのお言葉がありました。
ちょっと名残惜しかったですが、演出の邪魔にならないように素直にカバンにしまいます。
決まりを守る羽生ファンですので。


なんとここで、羽生選手の恩師である都築先生が会場にいらっしゃっているということで
その流れで、幼い頃に滑っていた「スパルタカス」を披露してくれることに。

都築先生が振りつけてくれたプログラムだそうです。

私はあまり見たことが無くて、事前に行われていたファンによるリクエストの中でも、このプログラムを選んだ人はあまりいなかったように思います。
なので正直なところ少し唐突感を覚えましたが、都築先生がこの場にいらっしゃるならとすぐに納得しました。
ファンのリクエストに応えるというよりは
「都築先生の前でなんとしてもスパルタカスを滑りたいんだ」という羽生選手の強い気持ちが伝わってきました。



北京五輪の頃に話が戻るのですが。
FSで果敢にも4Aに挑戦して転倒し、4位で終わった後のインタビューで、
「努力って報われない」という言葉を残した羽生選手。

ファンとしても、4Aを決めて努力が報われてほしい、と死ぬほど願っていたので、この言葉はとても重かったです。

その後の記者会見で気丈に振舞っていた羽生選手ですが、本当は気落ちしていたことは明らかに見て取れました。
ファンとしても、当然ながら何も出来ずに歯がゆい気持ちでいました。

しかし、後日放送されたテレ東の北京エキシビション番組内にて、大大大感動の場面があるのです。


羽生選手が都築先生のメッセージ動画を見て感想を述べているコーナーがありました。

そこで都築先生が、
「本当によくやったとほめてやりたい。
努力は報われないと言ったけど、いやぁとんでもない。
ものすごく報われている。
こんな報われ方をしたスケーターがどこにいるんだ。
ユヅの挑戦は無駄ではなかったよ。
本当によく成長してくれましたね。
本当にありがとう。感謝しています。
頑張れ、結弦!!」

と言っていたのです。

それを聞いた羽生選手、
「危ねぇ、涙がこぼれるところでしたよ…」
と必死に涙をこらえていました。


これが感動せずにいられるでしょうか。

そもそも羽生選手が4Aを目指したきっかけは、幼い頃に都築先生からかけられた
「アクセルは王様のジャンプだ」
という言葉があったからだと、平昌五輪後の記者会見で話しています。

先程のテレ東の番組内でも、
「僕のアクセルを本当の意味で形作ってくれたのは都築先生。
基礎の、本当に基礎の部分を叩き込んでくれたのは都築先生だし。
本当に感謝しています。」

と言っていました。

基礎を大切にして滑ってきた羽生選手。
だからこそ、正しいアクセルジャンプにこだわって努力してきた。
「正しく跳ぶ」というのはとても難しいことなのに、いくらでも誤魔化して跳ぶことはできたのに、羽生選手のプライドがそれを許さなかったのかもしれません。


プロ転向後初めて行うワンマンショーの、記念すべき初日に恩師を招待し、その人の目の前で幼い頃のプログラムを舞う…

大切な人に対する恩返しとして、これ以上の方法ってあるんでしょうか。

羽生選手がスパルタカスを滑り終わると、
都築先生が大声で「ブラボー!!」とスタオベしていました。

だいぶ高齢でいらっしゃる先生。
しかしその張りのある声は、遥か遠くにいた私の耳にも届きました。


今でも思い出せます。
あの時会場全体を包んだ、感動の渦みたいなものを。


北京五輪後、気落ちしていた羽生選手を本当の意味で救ってくれたのは、先程のテレ東の番組内で語られた都築先生の言葉だったんじゃないかと私は思っています。


いや、羽生選手の心は本人にしか分かりませんね。

そうじゃなくて、
都築先生からの言葉で思わず涙ぐむ羽生選手の顔を見て、

私自身が、救われた気持ちになったのです。勝手に、ですが。

そんな二人にまつわるあれこれを思い出しながら、
アイスショーで今までの恩返しをするかのようにスパルタカスを滑る羽生選手や、とても嬉しそうにしている都築先生を見て、こちらまでたくさんの幸せをいただいている気持ちになりました。

羽生選手と都築先生。
それぞれにこの深い感動と感謝の気持ちを伝えたくて、私は長いこと拍手をし続けました。

許されるなら、私も大声で「ブラボー!!」と叫びたかったくらい。


続きます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?