プロローグ感想⑧【震災の映像~旧ロミジュリ】

モニターの黒い背景に、「東日本大震災」という文字が浮かび上がりました。

そこからは、次々と胸が痛くなるような映像の数々が。
会場が、水を打ったようにシーンとなりました。

「天と地のレクイエム」をBGMに、
津波後と思わしき風景や、
被災者の方々の姿が映っていました。

この映像を見ていた時の私の感想ですが…

正直な気持ちを書きますと、心がザワザワしてしまいました。
そんなに直接的な表現ではなかったけれど。
でも、報道で流れるようなレベルの内容のものも一部あった気がします。

何故、はっきりと被災者の顔が分かる映像を使ったのだろう?
ひどい被害を受けた地域の映像を使ったのだろう?

疑問への答えを出すにはあまりにも時間が足りなかったので、ひとまずその場では一旦考えないようにしていました。


ここから書くことは、全てプロローグを見終わってから思った感想です。

公演が終わってつらつらとあの映像の意味を考えていた時に、私の頭の中に浮かんだのは、
東日本大震災から10年の節目のタイミングで出た羽生選手のコメントでした。


以下、その長文コメントの中の一部抜粋です。

「何ができるんだろう、何をしたらいいんだろう、
何が自分の役割なんだろう」

「痛みは、傷を教えてくれるもので、傷があるのは、あの日が在った証明なのだなと思います」

「忘れないでほしいという声も、忘れたいという人も、いろんな人がいると思います」

「まだ、癒えない傷があると思います。街の傷も、心の傷も、痛む傷もあると思います」

「僕は、この言葉に一番支えられてきた人間だと思うので、その言葉が持つ意味を、力を一番知っている人間だと思うので、言わせてください。

頑張ってください

あの日から、皆さんからたくさんの「頑張れ」をいただきました。
本当に、ありがとうございます。
僕も、頑張ります」

このコメントの中から感じ取れることは様々ありますが、羽生選手は震災を「無かったことにしたくない」という思いが強いのではないか、というのが私の考えです。

思い出すのも辛い記憶だけれど、傷が痛むのは紛れもなくあの日が在った証明だのだと。

だから、羽生選手は、プロローグであえてあの映像を使ったのだと思いました。
賛否両論が起こるのも覚悟の上で。
自分のヒストリーを語るのに必要不可欠な出来事であると同時に、
震災を忘れない。無かったことにしたくない。これからも癒えない傷と共に生きていく。
と、言いたかったのではないでしょうか。

いくら震災の映像が必要だったとしても、もっとオブラートに包んだり、軽く流す程度で編集する方法もあったかもしれない。
しかし、羽生選手はそれをしなかった。
流せるギリギリの表現まで模索して、あの映像が出来上がったんじゃないかと思いました。

重くつらい内容だったからこそ、実際、会場にいた私は心がザワザワしました。

だから、公演が終わった後も、震災について考えました。
込められたメッセージは何だったんだろうと、ずっと考えました。
10年以上経ってもまだ復興半ばという被災地に対して、思いを寄せていました。


受け止めるのが辛い、恐いという方もいるはずです。
「忘れたい」と思う方もいるのを理解した上で、

でも、それでも、「忘れないでほしい」と願う方たちの気持ちに寄り添うことの方を選んで、
羽生選手が、私たちファンに向けて表現したかったものがあるのではないか。

そこに並々ならぬ羽生選手の覚悟が込められている気がして、私は身体が震える思いがしました。


プロローグ公式サイトにあった羽生選手のメッセージ。
「これまでの僕の歴史やスケート人生そのものを感じていただけるようなものを、という思いから、アイスショーを企画しました」

とあります。

羽生選手の感じた痛みを、ほんの僅かでも私たち観客が一緒に感じることによって、羽生選手の歴史を追体験していくという流れ。
まるで一本の映画を見ているかのようです。

羽生選手の美しいスケートの演技と共に、羽生結弦という人間の内面にも深く触れていく。
ただ「楽しかった」「かっこよかった」では終わらないアイスショー。

だから、公演が終わってからもなお感動が続くし、忘れられないし、考察が止まらないんですね。



プロローグの映像はまだまだ続いていきます。

「スケートを続けていいのか」
と葛藤する羽生選手の心情とともに、一心不乱に練習する姿や、
転機となったという東日本大震災チャリティ演技会のホワイトレジェンドの演技がフルで流れました。

「自分の好きなことをやって皆さんが喜んでいただけたのなら
これ以上幸せなことなんてないと思います」

演じ終えた羽生選手の目の前には、全員スタオベの観客たちの姿。
温かい拍手を一身に受けて、
羽生選手は、どんな思いでその光景を見ていたのでしょう。


続いて、2011年GPFでの旧ロミジュリが流れました。
後に行われるニースでの世界選手権で、羽生選手は若干17歳で世界3位となる快挙を成し遂げます。
その時の旧ロミジュリの演技は「伝説のニース」としてファンの間で語られています。

震災を乗り越え、世界に認知されるきっかけとなったこの旧ロミジュリ。
なんとその映像の途中で本人が突然リンクに出てきて、演技の続きを滑ってくれました。

17歳の演技から、27歳の演技へ。
10年タイムスリップしてきたような演出が素晴らしかった。
しかも当時のままの衣装です。
17歳の時の演技は動画で何回も繰り返し見ていますが、
この27歳の演技、この時だけの演技を会場で見ることができて幸せでした。
ステップに入る前の雄たけびもちゃんと聴こえました。

そしてまたビールマンスピン!
初日は「Change」「スパルタカス」に続いてこれで3回目です。

「腰!腰、大丈夫!?」とやっぱり思ってしまいます…。

いやはや、信じられない。なんて柔軟性。
それもきっと日々の羽生選手の努力の賜物なんでしょうね。


続きます。

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