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『極悪女王』【2024年Netflixドラマ】【実在する人物:ダンプ松本(松本香)】

レジェンドの皆さん


【感想】

2024年10月1日投稿

ワタシ実は、プロレス大好きです。初代タイガーマスクVSダイナマイトキッド、維新軍長州力選手VS正規軍藤波辰爾選手が特に好きです。

女子プロは、ビューティペアは、歌手として知って、プロレスは、正にこのクラッシュ・ギャルズVS極悪同盟が最高でした。

ワタシは知ってます。プロレスはショーだと、でも鍛え抜かれた肉体で、技の掛け合いに堪える、命を懸けたスポーツです。

このドラマでは、あの怖いダンプ松本がこんなに苦労して作り上げたキャラクターだとは1mmも思ってなく、クラッシュ・ギャルズを絶賛応援してました。

そして、このドラマは、初めから評価が高くて様子をみて鑑賞しましたが、評価通りホンマ感動しました。探偵ナイトスクープを卒業したゆりあんさん、海外進出成し遂げて欲しいです。

さて、紆余曲折あった現在のプロレスは更に進化しています。では、また。

【作品情報】

『極悪女王』鈴木おさむ氏企画・脚本・プロデュース、Netflix製作、2024年9月19日配信ドラマ。主演:ゆりやんレトリィバァ。

女子プロレスラー・ダンプ松本が仲間たちとの友情と戦い、さまざまな代償や葛藤を抱えながらカリスマ的人気で1980年代に女子プロレス旋風を巻き起こし、日本史上最も有名なヒールに成り上がっていくさまを描く。

製 作

海外での活動を視野に入れているゆりやんは本作のオーディションに自ら志願し、Netflix作品で初主演となる役を勝ち取った。

「実在する人物」を演じるため、フィジカル面から役作りを開始。パーソナルトレーナーと二人三脚でプロレスラーとして必要な筋力トレーニングを行い、さらにクラッシュギャルズのタッグで絶大な人気を誇り、ダンプ松本と共に女子プロレスブームの中心にいた長与千種が率いるプロレス団体「マーベラス」の現役選手から指導者を招きプロレス訓練に臨み、アスリート並の身体作りを1年間に渡って敢行している。

ダンプ松本のライバルとなるクラッシュギャルズを演じる剛力彩芽(ライオネス飛鳥 役)、唐田えりか(長与千種 役)の2人も、トレーナーをつけて2022年1月から体作りを始め、10kg増で撮影に挑んだ。

【あらすじ】

1974年、松本香は母と妹と貧乏な生活を送りながら生活していた。時々金をせびりに帰ってくる父親は酒乱で暴力をふるい、香の給食費を取り上げる。翌日、母と香は父のいるアパートへ赴くも、そこには愛人と幼い赤ん坊がいた。母と父が争ってるなか、愛人の赤ん坊の名前も「カオル」だと知り、その場を走って飛び出す香。その際、転んで手をケガしたところ、プリティ・アトムに声をかけられる。手当てをしてもらうため入れてもらった場所は、全日女子プロレスが興行を行う体育館であった。そこで見たレスラーたちの練習風景を目の当たりにしたことでそれ以来女子プロレスファンになる。

1979年、自らもプロレスラーになりたくて密かにオーディションを受けようと思っていたが、母親の紹介で地元の太陽パン屋へ就職することが決まる。貧しい生活と母親のためにもと決意し初出勤した。

【主要人物】

ダンプ松本 / 松本 香
演 - ゆりやんレトリィバァ

父親の不倫、DV、金銭問題を抱えた貧しい家庭で育つ。心優しい少女だが、劣悪な家庭環境の原因である父親を殺したいと思うほど憎んでいる。カリスマ的人気を誇っていたプロレスラーのジャッキー佐藤に幼少期から憧れており、決まっていたパン屋への就職を断り女子プロレスの道へ。昭和55年組。デビュー前は落ちこぼれ組だったが、ある時を機にヒールレスラーとして覚醒。デビル雅美率いるヒール軍団『ブラック・デビル』脱退後に、同期のクレーン・ユウと共にヒール軍団『極悪同盟』を結成し、「ダンプ松本」に改名。リングネームは、松本のラリアットが「 ダンプカー みてぇだ」と指摘されたことに由来する。極悪同盟のメンバー達にはベビーフェイス(善玉)のレスラーやファンと慣れあう事を禁じ、自らリング外でもヒールに徹し、24時間「ダンプ松本」であり続けようとする。極悪同盟の長として、金属チェーン・ハサミ、フォーク等の凶器攻撃、反則行為で数々の流血試合を繰り広げ、最恐の悪役レスラーとなる。

クラッシュ・ギャルズ
長与千種/演 - 唐田えりか

55年組。同期の松本とは寮で生活を共にする内に親友同士になる。松本同様、デビュー前は落ちこぼれ組の一人だった。デビュー直後から輝きを放つスター性があり、後にライオネス飛鳥と『クラッシュギャルズ』を結成。ベビーフェイスの国民的人気レスラーに上り詰める。

ライオネス飛鳥 / 北村智子
演 - 剛力彩芽

55年組で、松本や長与らとはデビュー前に寮で生活を共にした仲。ジャッキー二世と呼ばれ、身体能力抜群のエリートレスラー。デビュー後、長与とベビーフェイスのタッグチーム『クラッシュギャルズ』を結成する。アイドル的な活動をすることに懐疑的であり、リングの上での純粋なプロレスへの想いが強い。

ダンプ 松本

1960年11月11日生、女子プロレスラー。タレント、女優。本名・松本 香、身長164cm、体重100kg、血液型B型。埼玉県熊谷市出身。えりオフィス所属。「D・松本」と表記されることもある。

人 物

中学時代は、バスケ部、水泳部に所属していた。デビュー前はマッハ文朱の大ファンだった。私立大宮開成高校へ入学。高校一年と二年度には補欠ではあるがアーチェリーでインターハイへ出場した。同校卒。

幼いころから父親の金銭問題・DV・女性問題などで苦労していた最愛の母のために家を買って建ててあげたいという思いで、ビューティーペアに憧れて女子プロレスラーになることを志す。

1980年に全日本女子プロレスで本名の松本香でプロデビュー。1984年の年明けにリングネームをダンプ松本と変更すると、クレーン・ユウと共にヒール軍団『極悪同盟』を結成。のちに加わり一番弟子となるブル中野らとヒールのタッグチームを組み、人気沸騰中だった正規軍「クラッシュギャルズ」(ライオネス飛鳥と長与千種が結成)との抗争を繰り広げ、女子プロレスを大いに盛り上げた。長与千種とは2度にわたり、敗者髪切りデスマッチを行った。フジテレビ系列で放送されていた『全日本女子プロレス中継』ではヒールにもかかわらず人気を博し、リングネームの「ダンプ」は、本名時代のファイトを観ていた観客が「あいつ、ダンプみてえだ!!」と口走ったことに由来している。全日本女子プロレスの松永高司会長は、このエピソードを引き合いに出して「スターはお客さんがつくってくれるんですよ」と語ったことがある。ダンプは松永会長からは生前大変に可愛がってもらったとインタビューで度々語っている。

得意技はラリアット。そのパワーを利して喉元にぶち当てる一撃は強烈で、相手が空中で一回転したこともあった。悪役レスラーとしての全盛期は、女子プロレスファンの年齢層が低めで、いわゆるマーク(アングルを本気で信じる若年層)が多かった。そのため、ダンプのアンチが実家に押しかけ、「ダンプ出て来い!」と玄関を叩きながら大声で叫ぶ、玄関先にダンプを中傷する張り紙を貼る、窓ガラスを割られる、といった嫌がらせを何度も受けた。他にも当時ダンプが購入したばかりの真っ赤な新車のフェアレディZを納車直後に傷つけられる、私物の自転車や原付バイクを破壊されたり、当時の自宅マンションの空き巣被害や街中で罵声を浴びせられる、飲食店や服屋、デパートなどでの入店拒否など、ヒールとしての嫌われぶりは相当で、付いた異名が「日本で一番殺したい人間」であった。1985年8月に大阪城ホールで行われた長与との敗者髪切りデスマッチでは、試合終了後に暴動状態となり、500~600人のファンが極悪同盟の選手バスを取り囲んで揺らすという事態まで発展した。ダンプは当時の事を「警備員にまで殴られる始末だった。あの時は本当に殺されるかと思った」と述べている、2023年に中野のYouTubeチャンネルに出演した際にもダンプは敗者髪切りデスマッチに関して「クラッシュギャルズにおける意思統一がなされていなかった」と指摘した上で、「飛鳥に聞いたところ、長与との敗者髪切りデスマッチは勝手に会社に決められた」「セコンドについている飛鳥の顔を見ると、憎たらしいって顔してて。千種のことを可哀そうというよりも、私がやりたかった顔だった」「長与の髪を切る際は、最後まで坊主にしていない」「今思えば、余計に腹が立つ」と述べている。

また、『夕やけニャンニャン』の片岡鶴太郎への襲撃(片岡へのドッキリ)、『毎度おさわがせします』に出演する格闘技素人の中学生男子(という劇中設定)らに技をかけたり殴る蹴るといった「女チンピラ」のような役どころの影響で、女子プロレスを知らない層にも「ダンプ=公私関係なく乱暴者」というイメージがさらに独り歩きした。母親に怖い思いをさせたことで一時は悪役レスラーを続けるか悩んだが、当時はまだ薄給だったため、つらい中でも必死で頑張ったという。努力の甲斐あって、徐々にギャラも上がっていくとデビューから5年後には、深谷市に念願だった新築一軒家を購入して母親にプレゼントしている。2019年8月7日にはダンプが幼少時から確執があった父親が逝去した。殺意まで抱く相手であり、50年の間、口を利かなかった父親だが、晩年の入院中に意識が朦朧とした中で「この人は誰だかわかる?」と看護師に問われ「ダンプ松本」と答えたことから、テレビで自身を応援していたことを悟り、和解に至った。これが父との最後の会話となった。正確には、その4か月前に父が肺炎で入院していた際に、医師から「持ってあと1週間です」と言われた瞬間、憎しみが消えたという。退院後、認知症の症状が見られた父を介護施設に入所させたが、憎んでいた頃とは全く別人となっていた父と初めて二人きりで写真を撮るなど、父に対する態度は既に軟化していた。

母親は、リング上での凶行が演技だと知っていても、暴力的な振る舞いに抵抗を感じており、試合会場へ観戦に赴く際は、怪我をさせた対戦相手の元へ毎回謝罪に訪れていた。そうした行動を執る母親へ「試合中の怪我の事で親が出てくるのは恥ずかしいから謝りに行かなくてもいいからね」とダンプはよく話していたという。ヒールで世間から嫌われていた為に、母親や妹からは逆にダンプがプレゼントした実家へ1988年の全女引退時までは帰って来ないでとも言われていたという。

当初、リング上でダンプが頻繁に用いる凶器は金属チェーンや鞭だった。しかし、凶器を振り回す際、誤って自らを攻撃し激しい痛みがあったことや、場外乱闘中のアクシデントで「全日本女子プロレス中継(フジテレビ )」 常連ゲストの松岡きっこが指を負傷するといった経験から、現在まで愛用している竹刀へ変更した。ほかにもフォークやハサミ、一斗缶なども試合中には多用した。中継試合ではゲスト出演するタレントを威嚇して無礼な態度をとることが定番だった。しかし、ゲストのガッツ石松はダンプの行為に対して本気で怒り、殴りかかる勢いで抗ったため内心は恐怖で逃げ出したかったが、テレビカメラの前だったため平静を装ったという。また、試合前の入場時や試合後に控え室へ戻る際、テレビカメラマンに対する竹刀での攻撃も定番であった(当時、極悪同盟に肩入れしていたレフェリーの阿部四郎も、ダンプに便乗する形で蹴りを見舞ったり物をぶつけるなどカメラマンを攻撃することがあった)。

凶器を多用した試合内容ではあるが、危険度の高い技の使用は控えている。流血した際は麻酔なしで縫合させられ、ダンプ自身が抜糸を行っていた。食事を共にするなどプライベートでも親交のあったプラム麻里子が試合中の事故で亡くなった際、マスコミに対し「最近危険な技が増えてきていて、いつも危ないと思うことがある。いくら体は鍛えられても頭だけは鍛えることができない」と涙ながらにコメントした。

試合中の奇抜なメイクは、ヒールレスラーでありながら笑うとえくぼが出てしまう可愛らしい童顔を隠すために行っていた。デザインはハードロックバンド「KISS」のコープス・ペイントを参考にしている。コスチューム代は自己負担だった。

ピーク時の1試合当たりのギャラは3万5千円。タイトル戦に勝利すると100~200万円を手にし、平均月収は100万〜300万円であった。ヒールキャラがポピュラーとなり芸能活動を開始しバラエティ番組への出演が多くなると、月収500万円の時もあったという[15]。全盛期には本業のプロレスと芸能活動のギャラを合わせ年収5000〜6000万円ほどが4年間続いた。しかし、母親のために家を購入後は、普段から極悪メンバーなどの後輩と出掛けた際には毎回全ての飲食代を全額支払い、大好きだったパチンコに散財し全女を辞めるまでに殆ど使い切ってしまったと語っている。現在も親交のある後輩の工藤めぐみは「当時のギャラは現金支給で、支払日に一緒に受け取りに行ったときにダンプさんの給料袋の札束が立つほどに厚くて驚いた」と証言している。

リング上ではヒールに徹するが、リングを降りれば涙もろく人情に篤い性格である。後輩たちの悩みや相談などに対し親身にアドバイスし、引率して飲食に連れて行くなど、親分肌でとても面倒見がよく現在も多数のベビーフェイスの後輩をはじめ極悪メンバー以外からも慕われている。また、レスラー以外にも広く人望があり、多くの芸能人など幅広い交友がある。

ダンプの人柄を表す印象的なエピソードがある。1987年の春、ブル中野や小松美加、コンドル斉藤、北斗晶が、年長の先輩から理不尽ないじめや厳しい指導に対する不満を抑えきれず、青森県八戸市の地方興行中に集団で脱走し、翌日全女の寮へ戻った。そして、先輩たちに気付かれぬよう身を潜めていたところダンプに発見されてしまう。叱責を覚悟し言葉を失っていたところ、ダンプは「おかえり。心配しなくても大丈夫だからね」と優しく声をかけ、皆で思わず抱き合い泣いてしまったという逸話がある。ダンプ自身も、デビュー前や新人の頃、先輩や同期、フロントなどから受けた理不尽ないじめ・しごきに耐えていたと明かしている。後輩には自分が受けた理不尽ないじめ・しごきなどを絶対行わなかったという。極悪同盟としては、悪口・陰口、内緒話、告げ口、人を待たせること、これらの禁止を掲げた。

極悪同盟結成以前の全女では、備品や設備の破損を防止する観点から凶器の使用は一切禁止されていたが、結成以降は何を壊しても弁償は求めないから凶器を使ってくれと会社側から要請があった。しかし、不機嫌な際は凶器を用いるパフォーマンスをまったく行わなかった。凶器を使用しなかった意図は、相手レスラーの好感度上昇を阻む目的があった。

ダンプは、同じくヒール軍団の一員であった新人時代のアジャ・コングにはあまり目を掛けていなかった(アジャがプロレスデビュー前から熱狂的な長与千種ファンであったことは周知の事実で、アジャ本人はベビーフェイス志望だった)。ヒール役に対してモチベーションの低いアジャは、ダンプのセコンドだった新人時代、試合中凶器を手渡す際にミスをし、殴られたこともあった。2011年には「自分の中ではダンプさんとは合わなかった」とアジャはインタビューで語っている。ブル中野はアジャとの対談にて、アジャとの距離を縮めたいがためダンプから故意にからかわれたり弄られていたと証言している。その際アジャは、希望したベビーフェイスではなくヒールレスラーとして極悪同盟への加入が決まり、渋々取り組んでいたことが普段の態度からも完全に滲み出ていたことに理由があるとして、「自分から嫌われる原因を作ってしまっていたから」と述懐している[要出典]。古参となった2016年のインタビューでアジャは「当時の自分は考えがまだ子供でダンプさんも極悪同盟も悪役だったから大嫌いで、グループ内で露骨に嫌な態度を取り続けていて他の仲間からは嫌われていた。それでもダンプさんは、そんな態度を取っていた自分を気遣っていつも歩み寄ろうとしてくれていたし、陰ながら見守っていてくれていた。1988年にダンプさんが引退した後、その事に気付いてからはとても偉大な人物だと自覚した」と、ダンプを敬愛するコメントを出している。しかし、新人時代に極悪同盟を辞めたいというストレスから、禁止されている飲酒をし酔った勢いで先輩達の制止を振り切りダンプに向かって「鬼は外!」と言い放ちかっぱえびせんを投げつけた事があった。翌日ダンプに殺されると思ったが、ダンプは寛容な態度で一切お咎めが無かった。その出来事から15年後の深夜に泥酔したダンプから電話があり、「アジャちゃんはダンプちゃんの事を嫌いだから、かっぱえびせんを『鬼は外』って投げたんだよね〜?」と当時のエピソードをしっかり記憶しており通話中には冷や汗をかいたとインタビューで語っている。

抗争を繰り広げたクラッシュギャルズの2人はダンプと同期である。長与とはデビュー当時は落ちこぼれコンビでもあった。飛鳥とは全女の寮で新人時代からルームメイトだったため、デビュー前から現在に至るまで公私共に親交が深い仲。しかし、抗争当時の全女ではベビーフェイスとヒールレスラーが公の場での会話や懇意にすることは厳禁だった。そのため、クラッシュギャルズファンに二人との仲を悟られぬよう、プライベートでも徹底してヒールを演じ、引退までクラッシュの2人とは口を利かなかった。また、会社の上役から身に覚えのない互いの悪口を焚きつけられ、一時は長与や飛鳥と険悪な雰囲気になっていたこともインタビューで明かしている。この件は、後年ダンプとクラッシュの2人が話し合った際、会社に仕組まれていたことが判明し誤解が解けたという。また、全女時代は自身のファンに対してもヒールを演じ切り、ファンは要らないと当時のインタビューなどで語っていた。本心はファンに応援されることがとても嬉しかったが、サインや握手を求められても一切応じず、断る際も「暇じゃねぇんだよ!」など、あえて辛辣な言葉を浴びせたという。極悪内ではクレーン・ユウも本来は優しい人柄で、ファンに声を掛けられると手を振るなどの対応をしてしまうため、「ヒールなんだからそういうのはダメ」とダンプは注意していたという。だが、最初の引退間近の1988年頃から、試合では相変わらずヒールに徹したダーティファイトをしながらも地方興行先では公の場でもベビーフェイス選手と親しげに会話したり、サインや握手、写真撮影などのファンサービスにも応じるようになっていった。

現在は極悪支部というファングループも全国各地に点在し、当時とは異なり「ファンサービスも喜んで応じます」とインタビューで語っている。理想のタイプは俳優の中村雅俊。中村の大ファンであることを現役当時から公言している。

1980年代には、生きたニワトリをハサミで斬首するパフォーマンスを画策したが、生きたニワトリが手に入らなかったため頓挫してしまった。

ダンプ松本の半生を描いたドラマ『極悪女王』が、Netflixにて2024年9月19日配信。


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