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【入院清話】21:何のために生きるのか?②

2024年3月7日更新

最近気持ちが少し変われました。
私は、中2の頃映画監督になりたいと思いました。しかし、想像力の無さ過ぎと思い付きが遅すぎたために嫌気がさして止めました。
その後は、極普通のサラリーマンになり40年務め、去年定年退職しました。

これから後何十年かは生きていると思いますが、何か新しいことはしたくない。友達、親戚など人間関係も断ち切った。もう働きたくない。健康を気にしたくない。ひたすら断捨離で物も捨てている。しかし、決してネガティブではない。私は自分が本当にやりたいことをしているのでポジティブです。

これから生きて行く楽しみは、私が監督・脚本・主演した自分の作品「俺の人生」を走馬灯で楽しく観て逝くこと。そのためには、この先も黒歴史を残さないこと、に考え方が変わりました。では、また。

前回のコメント

一般的には、「人は人を喜ばせるために生きている」という意見が多いと思います。これは、社会との関りがある人の意見です。

私も仕事をしていた時は、どんな仕事も根底は「人を喜ばせる」があると思ていました。

しかし、仕事を辞めた今は、人間関係を断って、出来るだけ一人の環境にしています。なぜか?

一人は通常悪い事と言われますが、私は色々なメリットがあると思います。

誰にも邪魔されず、集中出来るため、
①自分のしたいことが出来る。
②多くを学べる。
③効率よく過ごせる。
④新しいアイデアを生み出せる。
⑤精神が安定した状態になる。
⑥自分を見つめ直すことで、他人を思いやることが出来るようになる。

私にとって、何のために生きるのか?今は、「自分らしい死を迎えるために生きたい」です。エンディングノートを作りました。体力が回復次第、断捨離をします。

なぜか? 現役を引退して、やり残したことが無いと思いました。入院中は、この先、生きる意味はあるのか、と悩みました。人生100歳時代という言葉が嫌いです。

自分らしい死とは、死に方を自分が決めることです。
 私は無宗教で、神も仏も信じていません。人の生死は自然で、人は自然に逆らえず、死んだら無になるだけ。だから、葬儀、お墓不要。火葬して骨を庭に散骨して欲しい。家族には、写真だけあればいいと思っています。

一人になりたいのは、もし家族が私より先に死を迎えた時に、その寂しさを乗り越えるためにも必要かもしれません。では、また。




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