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とあるラブレター


「自分はものを創れる側の人間ではない。」 
これは私が関西最大級の総合芸術大学に進学して得た結論である。 

ものを創らない芸大生、ただの低学歴人間だ。常識知らず、社不、親の脛齧り。いやそう、マジでそう。自分がそう思うもん。 

私は関関同立の一般落ちでここに来たし、志望動機圧倒的第一位は実家から出られることだし、求められているような芸術大学生でなくてもいいような自分のための免罪符は持っている。いや、立命館落ちただけでこんなに社会の属性レベル下がる…?!とは思うが。 


初めて私がゼロからものを生み出すことに打ちのめされたのは高校1年生の夏だったと記憶している。NHK杯全国放送コンテストのテレビドラマ(以下、テレドラ)部門だ。 
当時私はテレドラと学校紹介ビデオを製作することに憧れて放送部に入った新入部員だった。当時は部内の決まりでアナウンス部門に出ながら先輩のテレドラの現場を手伝っていた。 

初めて地区大会でほかの学校の高校生の作品を放送部員としての立場で見たときに、直感的にこれは私には作れないと思った。現場を知らずに見ていたときはただの面白いコンテンツだったけれど、立場が変わって、こんな虚構の世界を生み出す想像力は私にはないと思った。だからそれなら自分の目の前の面白い世界を伝えようとテレビドキュメンタリーを撮るようになった。 


そして人生2回目の打ちのめされる経験、それが今である。 
厳密にいえば学科の授業とかで講義室の壇上で先生から公開何が面白いと思ってこれ書いたんだの洗礼は喰らったことあるけど、肌身で感じているのは今である。 


今は、、文芸学科の小柳とかげちゃんと、写真学科のりかちゃんがカラータイツ写真集を作っているところに首を突っ込んで最前列でいちばん楽しんでいる。 



カラータイツ愛に溢れた行動力と思いやりの塊とかげちゃんと、毎回顔を合わせるたびにこの子はどうやって親御さんに芸大に行きたいと伝えたのか不思議で仕方ない大人しい代表のようなりかちゃん。ふたりとも自分の表現の世界をしっかりと持っていて、ああこれがものづくりの姿勢だなとなんとなく心が痛くなる。 

私はそんなふたりを記録したいとドキュメンタリーとして映像に残すことに決めた。手始めに放送の大会、奇しくもNHK杯全国大学放送コンテストに出品した。正直、マジで楽しかった。ふたりに向き合うことがものすごく疲れて、やりがいを感じた。そして話を重ねる中で放送番組としてではなく、映画としてこの創作に対する姿勢に向き合いたいと思うようになり、現在、進級課題の映画として再編集できるように進めている。 



彼女らの強みは全てを信じられることと好きを否定しないことだと私は考えている。 
写真集の撮影に同行して痛感したが、ふたりのなかで打ち合わせのような作業はほとんどない。何してもしっかり切り取ってくれるというりかちゃんへの信頼と、何も言わなくても目の前で面白くしてくれるというとかげちゃんの信頼が目に見えて分かる、そんな世界だった。この間には髪の毛一本落としてはいけないような、そんな神聖な空間だった。 


そして好きを否定しないこと。私はこれがものすごく苦手である。自分の母親が基本的に私の好きなものを小馬鹿にしてくる人だったのは大きいと思うが、基本的に人が言っている好きなものは斜に構えて見てしまう。カラータイツもどうやったら面白さを伝えられるんかなあくらいに最初は思っていた。 


でも、ふたりは全力でカラータイツが好きなことに向き合っていた。トラブルも変な動きもすべて許容して、面白いと楽しいに変換していた。気づくと私もすっかりカラータイツとふたりの虜になっていた。楽しいことを楽しいと言って、好きなものを好きだと伝える。そんな当たり前のような行為が私の心に太陽を連れてきた。 


正直なところ、私はカラータイツを見るのは好きになったが、タイツ自体はそもそも履くのが苦手である。肌感覚がとても強いので、肌全体に異物が密着しているのが疲れてしまう。でも、それでも面白いからみんな見て欲しいと言えるのはふたりの世界観と人間しての魅力がそうさせているのだと思っている。 




話は戻って打ちのめされる話だが、私は「好き」への熱量とそれを伝わる形にする能力の問題でふたりに打ちのめされている、なう。である。後者は変な話勉強して練習すればそれっぽくはなるかもしれない。でも、産みの苦しみなんて言われるが、好きを好き以上に超越して考えて考えて考え抜いて作品に反映させられるだけのエネルギーはもうこの歳になっては錬成できない、と思う。 
これは言い訳なのかもしれない。私だって映像の編集マンになりたかった。たくさんのウインドウが並んだPCの画面はかっこいいし、ストーリーのない撮影素材の断片を1本に繋げるために絵柄のないジグソーパズルを組み立てるような途方もない作業に熱中している瞬間の快感は今でも変わらない。しかし、私は今までの21年間の人生の中で心の奥底に秘めたエネルギーを爆発させることを忘れてしまった。楽しいものを作ることはおろか、楽しいものを100%楽しむこともいささか難しい。 


本人たちの前でそんなことを考えることはなかなかないが、だからこそ、その好きにしっかり気づいて向き合って行動するふたりを心の底から尊敬している。そして私はそのふたりに対する好きの気持ちを、どうにか今までやってきたドキュメンタリーの形でみんなに知ってほしいと模索している。 



このドキュメンタリーが終わったらどうしよう。
この作品を扱ってる大学の授業自体は大嫌いなので早く終わってしまってほしいが、このこの3人でいろんな好きに向き合うことを終わらせたくない。もしこれが夢であるならば覚めてほしくない。

だから…ふたりに提案っていうかちょいちょい言ってるけど、このドキュメンタリー終わったら肩書き「雑用・記録」でカラータイツに残ってもいいですか?スケジュールとか必要な手続きとか広報的なやつとか荷物持ちとかやりつつ、ビデオはビデオで回し続けるみたいな。これ記録し続けることすごく価値があると思う。これはまた私のドキュメンタリー観でも語りたくなったときに話そう。 



最後に…どうしよう。、話にオチがないとよく言われる。私はとかげちゃんとりかちゃんのことがこの半年でものすごく好きになったし、こうやって楽しいことをこれからも続けていけるのであれば私はその場所にいたい。私はクリエイターじゃないしそういう職にも就かない。でも、どこかでものづくりに触れ続けていられれば、その場所がここであるならば、私はこの上なく幸せだと思う。 

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