荒川アンダーザブリッジ

トップの研究者が、現状をしっかり把握して、研究と実践を繋ぐために動いている。それを知れたことが嬉しい。

評論家・批判家になりたくて、研究をするのではなく、しっかりプレイヤーとして、最後まで走り続けるために今何が必要か?

まずは教科に対してはとことんやる。そして抽象度を上げていく

そこから国際的な動きもしっかり見えるようにする。

抽象度が上げると、実践から遠のく、ここのバランスがとても難しい。

今の学校現場でいかに研究職の人が共生できるか。

本当は担任をやりつつ、教科もやって、面白いことを常に考えていたい。

それを実現するためには、情報処理や円滑な対人関係が要求される。

子供たちとだけ関わりを持っているわけではなく、本当に多くの要因の交差点が学校なのだと思う。

拡大に流されすぎずに、しっかりと軸を持っていないと。

平等は与えられるものでなく、用意されているもの。だから、そこに向けて動くことができないといけない。

動かないで得られると思っているのはどうしてだろう。それで不平等だという。そこには合わせなくていい。

そこにあるから、いいなと思ってしまう。空間はフリーで周りが見えすぎてしまうと、社会の構造があまりにも透明になりすぎてしまうと、平等がかえって格差を生む。

自分には自分なりのものが用意されていると、いきなり、簡単になんでも手に入るわけではない。

グローバル化になって、より自分との比較対象が増えていく。これ以上に認識する情報量は意図的にカットしないと、どんどん追い込んでくる。今でさえ過多な状態で自分と対話することを忘れている。

メールを見すぎてしまうので、制限を1分にした。自分で律しないとなかなか本能に抗えない。

英語の先生の経験談ではピザ屋のバイトで二時間作業があった時に、ひたすらシャドーイングをしていたそう。そしたら急に聞こえるようになったと。

その急にっていうのが面白い

どの学問に関わっていてもこの「急に」がくる。

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