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超嘏 江樓書感

独上江楼思渺然  独りで川のほとりの建物に上ると
            何とも言えない思いが胸にこみあげてくる。
月光如水水如天  月の光は澄んで水のようであり、
            水は天に続いているかのようだ。
同來翫月人何處  一緒に来て月を眺めた人は
            どこにいってしまったのだ、
風景依稀似去年  目の前に広がる風景は
            去年あの人と見たのと同じなのに

江楼書感図

晩唐の詩人超嘏(806~852)の代表作です。会昌四年(844)の進士ですが役人としては大した出世もできず、不遇のまゝに終った方です。ただ当時から詩人としては名を馳せ、この句も唐詩選に採用されています。

この詩には話がついています、というか、単にこの詩を読んだだけでは一種の感慨を述べているだけで、いろいろな解釈ができます。例えば服部南郭は「去年は大勢で来て楽しかったが、知合いはどこに行ったのか、今年は一人なのでつまらない」と解釈しています。これはこれで一つの解釈です。

しかし、この詩は悼亡詩の一種と解釈したほうが味わいがあるかと思います。簡野さんの本では悼傷類に分類していますし、漢詩の辞典の解釈もその線に沿っています。

『唐詩紀事』とか『唐才子伝』には次のような話が載っています。
超嘏には愛妾があったが、科挙の試験で故郷を離れた時に、土地の長官に奪われてしまった。進士の試験に合格して故郷に帰ることになった超嘏はこれを知り、悲しんで詩を作った。その詩を読んで長官は感動し、女を超嘏のもとに送り届けた。二人は再会できたが、その二日後に女は死んでしまった。この詩はその愛妾を偲んでつくったものである。
この話に乗ったほうが面白いし、より一層味わいがあると思います。

この詩の眼目は、「独上」と「同來」の対比なのかと思っています。

参考資料
日野龍夫校注 服部南郭『唐詩選国字解』東洋文庫
   *『唐詩紀事』『唐才子伝』はここからの孫引き。
簡野道明講述『和漢名詩類選評釈』明治書院
松浦友久編『漢詩の事典』大修館書店

絵は Stable Diffusion で作成。

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