獨孤皇后

中国製TV時代劇の主人公になったせいか、最近ではネットでも時々名前を聞くようになった。《ただ、あなただけを――隋の初代皇后・独孤伽羅と開国皇帝・楊堅が描く、夫婦の一生と愛の物語》といったキャッチフレーズを見ると一言言いたくなってくる……時代が変わったなぁと。

獨孤皇后とは一般になじみの言い方をすれば《隋の煬帝のかーちゃん》である。獨孤という姓が表しているように、五胡と呼ばれる塞外の民族の出身である。といって、当時の北部中国を支配していたのは五胡であり、その父親獨孤信は当時の有力な勢力の一つであった。
歴史的には五胡十六国と言われている勢力変転の激しい時代であった。彼女の姉は北周の明帝の皇后であり、長女は北周の宣帝の皇后になった。また、彼女の妹は唐国公の李昞に嫁ぎ、その子供が唐の高祖李淵、孫が唐の太宗李世民である。
歴史知識的には、北周を隋が亡ぼし、その隋を唐が滅亡させたというが、母親の血筋で考えれば、姉妹の間で政権をたらい回しをしていたにすぎないともいえる。

《古代中国史上、夫に側妃を持たせなかったただ一人の皇后》というのは確かであろうが、あらゆるものはどこに光を当てるかで見え方が全く違ってくる。
隋の高祖楊堅とても男であるから眼が移る。しかも大中国を力で統一した大皇帝である。宮中にかわいい女が居れば、ちょっかいを出したくなるし、またそうした。
それがばれた時、皇帝が朝廷に出かけている隙にその女は殺されてしまった。以下『隋書』の訳を引用する。
上はこのことを大いに怒り、一人馬に乗って宮殿の苑中から出て行き、道も構わずに山谷の間二十里余りまで駆け入った。高熲と楊素らが上に追いつき、馬を鞭打って留めながら上を必死に諫めた。
上は大きくため息をつくと『我が身は天子の貴きに在るというのに、何も勝手ができぬ』と言った。
昔はこちらの側で見ていたから、獨孤皇后とは恐ろしいかみさんの代表のようなものであったが、近頃は変わってきたようである。


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