サラ・リチャードソン(2018)「科学を纏ったトランスフォビア」

Sarah Richardson (2018/11/8)
※基本的にはsex=セックス、gender=ジェンダーと訳出

2018年10月21日、『ニューヨーク・タイムズ』紙は、出生時の性器診断や遺伝子検査によって定義された性自認のみを政府機関に認めるよう促す保健福祉省(Health and Human Services, HHS)のメモについて報じた。このニュースは一流の科学者たちから非難された。全米トランスジェンダー平等センター(the National Center for Transgender Equality)が率いる抗議者たちは、「私たちは消されない(We Will Not Be Erased)」と書かれた看板を持ってホワイトハウスに集まった。

「セックスとは、出生前または出生によって識別可能な不変の生物学的特徴に基づく、男性または女性としての人の状態を意味する」とメモには書かれている。この定義は、「明確で、科学的根拠があり、客観的で、管理可能な生物学的根拠に基づいて 」人のセックスを確めるために必要だという。

しかし、性器や遺伝子といった生物学的形質への言及は、HHSメモの提案するセックスの法的定義を 「科学的」なものにはしていない。数十年の学際的な科学研究により、人間のセックスとは、生涯を通じて変化しうる生物学的および社会的要素を含む多元的な性質であるという理解が構築されてきた。この科学的コンセンサスに反しHHSによって提案された定義は、何百万人ものトランスジェンダー市民(セクシュアル・アイデンティティやジェンダー・アイデンティティがしばしば生来の生殖器と一致しない)を公民権保護の対象から除外するために、ガラクタの生物学的情報の断片を寄せ集めている。

一世紀以上にわたり、人間のセックス、ジェンダー、セクシュアリティ、生殖に関する科学的研究は、遺伝学、内分泌学、心理学、人類学、社会学といった学問分野と結びついてきた。セックスとジェンダーの本質に関する研究が学際的な形態をとるのは、まさに科学者たちが、人間のセクシュアリティの多層性と多様な表現を理解するためには複数の形態の専門知識が必要であると認識しているからである。これまでに多くの進展があった。研究者たちは、文化や時代を超えた性的実践やジェンダー規範の多様性、生涯に渡る生物学的なセックス表現の可塑性と文脈依存性、そしてセックスとジェンダーの発達における生物学的・社会的要因の役割を実証してきた。

人間のセックスに関する科学は、ジェンダー・アイデンティティを抜きにしては成り立たない。

遺伝学の黎明期、1900年頃に発見された性染色体を例にとろう。1950年代までに科学者たちは、ヒトの女性はXX、男性はXYの染色体を持っていることを知った。しかし、1960年代に入って、科学者たちは、XY染色体を持つ人の少なからぬ数が「女性」の性器や生殖腺を持ち、その逆もまた然りであることを発見した。このような状態で生まれた幼児のジェンダーや性自認を事前に予測することはできない。生物学に還元できないさまざまな発達要因が、このプロセスを駆動しているのだ。インターセックス状態によって染色体上のアイデンティティと性器上のアイデンティティが一致しない場合、HHSが提案する遺伝子検査を認める方針は、当人が確信を持つジェンダー・アイデンティティを正式に認める動機付けになるかもしれない。もし彼らの状態が、遺伝子的に分かりやすく特徴づけれられている数少ないもののうちの一つであるならば、である。しかし、その場合でも、遺伝学はその人のアイデンティティがどうあるべきかを語ることはできない。

ホルモンも似たような物語を語っている。1990年代以降、テストステロン値が高いエリート女性アスリートは徹底的な検査を受けてきた。テストステロンがパフォーマンスの優位性をもたらすと考えられているためだ。スポーツ団体は、ジェンダー・アイデンティティが疑われるアスリートの 「本当の」セックスを探るために、「ジェンダー証明」委員会を組織するまでになった。しかし、女性として競技に参加する資格を決定する上で、生物学的検査であれその他の検査であれ、アスリートの社会的ジェンダー・アイデンティティを含む全体像に取って代わることのできる検査は今日に至るまでない。最近のインド人陸上選手、ドゥティー・チャンド(Dutee Chand)のケースは、この科学的なコンセンサスが実際に作用していることを示している。テストステロン値が高い女性の競技を禁止する規制に対する彼女の法的異議申し立ての成功に、セックスとジェンダーを専門とする一流の医師や生物学者による証言も寄与した。

誤解のないように言っておくが、セクシュアリティ研究の専門家の間で、セックスの本質について科学的なコンセンサスがあるというのは、性器やジェンダー・アイデンティティが不一致の場合にどのように対処すべきかについて、この分野で完全な合意があるという意味ではない。むしろ、人間のセクシュアリティを理解するためには多様な形態の科学的専門知識が必要であることについて、この分野の研究におけるよりグローバルなコンセンサスがあることを指しているのである。

HHSのメモが、セックスの定義上中心的なものとして生殖器と遺伝学に特に焦点を当てていることは、他の点からも明白である。性器と性染色体は、セックスに関連する形質の中で最も二元的なものである。この2つの指標だけで、少なくとも98%の人が2つのカテゴリーに分けられると思われる。しかし、セックスに関してこれほど二元的なものは他にほとんどない。身長や体格、ホルモン、脳や心理的特徴は、性別間で大きく重なり合い、生涯に渡って変化する。

確かに、ほとんどの場合、性器や染色体を評価するのは比較的簡単だ(それでも、単にどの性別か本人に聞くよりは難しいと言えるだろう)。しかし、セックスの法的定義においてこれらの要素を優遇することは、単純さの追求を超越した行為である。HHSメモの執筆者たちは、セックスとは何かについての偏見、つまり生まれる前に設定された二項対立的な二元論という信念をあらかじめ持っている。男性と女性を本質的かつ固定的に異なるものとして定義し、この違いを法律として成文化することは、個人の人生における多様な表現や発達の可塑性を封じ込めることになる。

性器や染色体によってセックスを診断することはほとんどの場合において効率が良いかもしれないが、人間のセクシュアリティを説明する上での重要性と混同してはならない。ジェンダー・アイデンティティが出生時の染色体や性器の識別と一致している私たちでさえ、多様に表現されるジェンダー、セクシュアリティ、生殖生活を特徴づけるには、ジェンダー・アイデンティティを含む他の構成要素が必要であると認識することができる。しかし、アイデンティティが生来のセックスと一致しない人々にとって、ジェンダー・アイデンティティを認識することは、性別の割り当てを要求する官僚的なプロセスに直面した際に極めて重要になる。

HHSのメモが主張するのは、出生前に固定された特定の二元的な生物学的特徴とジェンダー・アイデンティティとが一致する個人にのみ我々の公民権が適用されるべきだということである。著者らは科学に身を包んでいる。しかし、人間のセクシュシュアリティの研究者は、そして自身の研究対象に魅了されている泌尿器科医や遺伝学者でさえも、性器や染色体が人間の特徴としてのセックスを定義し尽くしているとほのめかすような傲慢さは持ち合わせていないだろう。

もしHHSによるセックスの定義が反映されれば、政府の政策はトランスジェンダーの人々を出生時に指定された性別以外の性で認識することを拒否するかもしれない。これは、彼らが社会でオープンに生きる能力を損ない、彼らの福祉に深刻な結果をもたらすだろう。人間の倫理観と価値観が私たちの公民権政策を導くべきである。しかし、社会政策を形成する試みにおいて、人間のセックス、ジェンダー、セクシュアリティの科学を本当に参考にするならば、様々な学問分野にわたる数十年にわたる研究のメッセージは以下のように明らかである。人々によって確信を持って生きられたセクシュアル・アイデンティティを認識しない限り、人間のセックスに関するいかなる定義も完全ではない。


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