振り返って

2023年が終わり2024年が始まりました。一日から地震のニュース、二日には航空機事故等、二日連続で割とシャレにならないニュースが舞い込んできた

相も変わらず久々にどうでもいいことを書いていく

2023年はこれまでの社会人人生で最も働いたといっても過言ではないくらい働いた。まぁ睡眠は割としっかりとっていたが、それ以外の時間殆ど働いていたと思う。働いている時は休みが欲しい欲しいと思っていたこともあり、年末年始は家族の要求もあり28日から有給を取得し、4日も有給予定ではあったが、明日から働くことにした。28-29日は旅行に行ったため非日常を味わうことが出来たが、それ以外は基本毎日同じことの繰り返しで飽きてしまったためである。
ルーティーンとしては、①朝起きる→②家族の朝ごはん作る→③子供の冬休みの宿題見る→④犬の散歩→⑤お昼→⑥少し出かける→⑦夕方の犬の散歩→⑧夕食(外食 or 親戚訪問等)→⑨風呂、寝かし付け、テレビ/携帯→⑩就寝
もうほぼ毎日これである。正直自分の時間は子供が寝てからの21-24時くらいなものだが朝から家事やら散歩やらで結構疲れているので、ボケーっとテレビやゲーム、携帯いじってたらすぐ0時である。1時まで起きようものなら、翌日が辛くて、午後エネルギー切れを起こして昼寝が必要になるので、0時半には就寝を繰り返していた。こんな日を5日連続過ごしたら正直飽きた。明日も同じことをすると思うとしんどいので逆に会社に行って仕事をしたくなってしまったわけだ。子供の世話はいいのだが、改めて思うに、自分は極めて利己的な人間で、人生のモチベーションの大半が自己成長にあるため、見返りなしにピュアに他人のために1日過ごすことにかなりストレスを感じていることに改めて気付いた(というのも働かなきゃいけないからだろう)。思考停止でこのルーティーンやっていればいいと言われればできなくもないけど、やっぱり働かなきゃいけないので、この感じで休み過ぎると大変だなという気持ちが勝ってしまうのだろう

脈絡ないが、幸せとは何か。どう考えても経済的には満たされているのに、何を自分は求めているのか。正直不必要なものをいつも買ってるとしか思えない。世界幸福度ランキングなるものがあるが、北欧が上位で、世界一幸せな国と言われたブータンはランキングが落ちているらしく、背景は他国の生活の情報が入ってきて、否が応でも自分たちの生活と比較するようになってしまったからだとか。そうなんだよな、なんかこんなに息苦しいのはSNS等でキラキラしている人を見ているからなのか。家も建てたけど、インスタで住友林業のモデルルームだったり、素敵な家を建てた人の投稿とかを見る度に、あぁもっとお金あったらもっといい家建てられたなーとか考えてしまう。上を見ればキリがないのは分かっているし、今の家も相当広くて、かなり贅沢なことを言っているのは分かっているけど、結局、絶対的な要素があるにせよ、幸福度は他との位置関係がかなり大きく関係するんだとは思う
人は一人では生きられず(断定するつもりはない)、他人との関係で生きていくので、どうやっても優劣が出てしまう。それをなくそうとしたのが社会主義だとしたら、思想としては素晴らしいとは思うものの、逆に上手くはいかないので、結局現状の姿に落ち着くのは分からなくはない

人はイキるのである、承認欲求がすごい。子供の時からそうである。自分の子供、人の子供を見ててもそう思う。お金持ちアピールする人、海外アピールする人、仕事内容アピールする人、権力アピールする人、人間の本質は変わらない。ということで、ここに色々書いている自分も誰かにアピールしたいのだ。このNoteもアピールである。だから基本クローズドな同質性のあるコミュニティの中で特に比較もせず生きていくのが一番幸せなのかなとは思う。地方都市のマイルドヤンキーが都内の高学歴サラリーマンより幸せとかいうツイートがいい例だと思う。自分も今でも覚えているのは東南アジアに出張して現地のタクシーの運転手にどこから来たと言われて日本といったら、日本って経済的には豊かだけど、自分の国は同じようにはなってほしくはない、なんか精神的には豊かではなさそう、自分は今で十分と言ってたことである。他人との立ち位置も踏まえながらも、それに揺るがされない絶対的な普遍的な自らの幸せの尺度を持ち、幸せな人生を送りたい。そういった絶対的な価値観ってどうやったら手に入れられるのだろうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?