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能登半島地震録(その3)震災ボランティア参加報告

 2024年2月11日(日)震災ボランティアに参加したので報告します。場所は中能登町でした。中能登町は七尾市の南西辺りにあります。震災発生当初から被害の大きかった輪島市、珠洲市の震災報道の陰に隠れて、中能登町の被害状況が報道に取り上げられなかったのですが、それなりにかなりひどい状況でした。

 震災ボランティアの参加については全国から大変多くの方が希望しておられるらしく、ネットでの募集に対する申込み開始時間から数分で枠が埋まってしまうという状況です。理由は現地でのボランティア受け入れ可能人数が各自治体20人程度と枠が少ないからです。なぜ受け入れ人数が少ないのかは参加してみてそのわけが分かりました。理由は後から述べます。
 私は第1回の募集から申込みしようとしましたが、1回目はすぐ一杯になり間に合いませんでした。今回2回目の募集で何とか中能登町のボランティア枠に滑り込めました。
 富山県から参加した私は、朝4時に起きて車で集合場所である石川県地場産業振興センターに向かいました。無料駐車場があって車で参加する方はこちらがお勧めです。それから高速道路を使って車で参加する方は「高速道路の無料措置」というのがありますので、これを利用するとよいと思います。ただし事前に書類を準備して参加当日にその書類を持参して参加したボランティアセンターで証明印をもらわないといけないので注意してください。詳しくは以下で確認してください。

【災害ボランティア車両の高速道路の無料措置について】
 石川県災害サイトから活動予約を行い、参加決定通知を受け、石川県災害対策ボランティア本部の手配したバスに乗車された方のみが対象となります。参加決定通知がない方は無料措置の対象外となりますのでご注意ください。手続きについては、災害ボランティア車両の高速道路の無料措置について:中日本高速道路株式会社をご覧ください。

 7:30に石川県地場産業振興センターをバスで出発し、金沢駅でも参加者を乗せて、中能登町に向かいました。今回の参加者数は17名と石川県の引率者1名でした。石川県から引率係として参加した方は沖縄県職員の方で、災害応援として石川県に来ている方でした。国道8号線から、能登方面への唯一といっていい幹線道路である「能登里山海道」を通って向かいました。3連休中日だからか、里山海道は通行車両が非常に多かったです。途中で車線規制もあり何度か渋滞にはまりながら約1時間30分ほどで中能登町ボランティアセンターに着きました。

 最初にボランティアセンターからボランティア活動について説明がありました。具体的な活動は、地域の方から依頼のあった案件に対してチームを組んで行うのですが、その多くは震災ゴミの撤去運搬でした。その後チーム分けをしましたが、ボランティアセンターには5台の運搬車両しかないので5チームに分かれました。そうなんです、運搬車両が少ないとい うことが、ボランティアの受け入れ人数が少ない理由だったのです。中能登町では2人乗り軽トラが2台、6人乗りバンが1台、3人乗りトラックが2台、という状況でした。つまり運搬車両が少ないので18人までしか受け入れられなかったのです。もっと運搬車両が多ければ、もっと効果的にボランティア活動が出来るのに。これは今後の課題だと思いました。
 10時すぎに私はもう一人の方と2人で軽トラに乗り込み、依頼された1件目に向かいました。1件目の依頼内容は、ソファーの搬出と庭で倒壊した石灯籠の搬出でした。50代の男二人でソファーの搬出はまあ大丈夫だと思いましたが、石灯籠は大丈夫かな?と心配しながら行きました。高齢の依頼者が「お願いします」と出てこられて、早速ソファーを軽トラの荷台に載せました。そして石灯籠です。倒れた石灯籠は、地面で傘の部分や柱の部分と外れてしまっていました。何とか地面を転がしながら軽トラまで運び、二人で気合いを入れながら何とか荷台に持ち上げました。結構キツい運搬でした。
 今度はその荷物を、震災ゴミ集積場に持って行きます。10分ほどかかる集積場に行きましたが、ゴミを持ち込んだ車両が行列を作っていました。約40分ほどかかってやっと荷物を降ろすことができました。集積場でも道案内や荷物を降ろす手伝いをするスタッフなど地元のボランティアの方々が協力していました。待ち時間が長かったので、1件目の運搬が終わってボランティアセンターに戻ったのは、11時30分を回っていました。少し早いですが、昼食休憩を取りました。昼食後少し休憩していると12時36分に、一斉にそこに居る人たちのスマホがけたたましい音を鳴らしました。緊急地震速報です。緊張した空気の中で、ゆらゆらと建物が揺れました。震度2か3くらいの揺れ。余震が続いているのを実感した。

 13時頃から2件目の依頼宅へ。ボランティアセンターの職員の方から、「今、集積場の待ち時間が1時間ほどだそうですから、荷物を載せるだけ載せてセンターに戻ってきてください。金沢に戻るバスは14時30分には出ないといけませんから。」と念を押されて行った。今回の依頼は、倒れたタンスの復旧と震災ゴミの運搬。行ってみると、2階の階段踊り場に背の高いカラーボックス3台とタンスが折り重なるように倒れていて足の踏み場がない状態だった。地震のひどさを改めて目の当たりにした気がした。(これを全部起こすのか!)と思ったが、テンションを上げて作業に取りかかった。30分程で何とかすべて起こして、スペースができた。(何とか出来てよかった)と思っていたら、「こっちのドア開くかねえ」と依頼者のおばあさんが言う。倒れたカラーボックスの陰になっていた所になんとドアがあった。ドアを開けると、再び古いタンスやボックスが部屋中に倒れていて、また本当に足の踏み場がない状態。もう一度、アドレナリンをひねり出して、タンス3台を起こす。20分後、何とか人が通れるようになった。70代くらいの老夫婦に何度も「ありがとう、助かったよ」と言われながら、雑多な被災ゴミを載せたままボランティアセンターに戻った。
 かなり疲れた。今日一日で、実質的に作業をしていたのは90分くらいだと思うが、疲労感は4、5時間働いたような感覚だった。

16時30分頃にバスで石川県地場産業振興センターに戻り、そこから車で自宅に戻った。無事帰宅できてほっとしたというのが実感だった。

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