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さよなら モモちゃん
2024年のお正月が普通に明けて、ちょっと遅起きの寝ぼけ眼をこすりながら小屋に向かって朝の餌やり。雪のない正月もいいねと言いながらモモちゃんにはいつもの「しいな米」と「ひえ」の混じったのと大豆の殻をあげ、ニワトリたちにも野菜くずと「しいな米」を。一年365日欠かさず家畜の世話をする、2024年の初日だ。動物たちにはお正月なんぞあまり意味がないが。
家族そろって遅めの朝ごはんはお雑煮やおせち料理がならんだ。今年は10月に獲った竹野川のアユの昆布巻きや年末にいただいた宇日のナマコやアワビ、竹泉の純米大吟醸をよばれていい気分。
そうそう忘れてたWEB年賀状をつくってSNSにアップした。
そのあと 年末に3日連続で獲れたシカの解体で乱雑になったままの小屋の掃除に取り掛かった。
モモちゃんは年末何日か晴れが続いたときは外につないで緑草を食べていたけど基本冬は豆の殻やシラカシの葉っぱだ。午後は高枝切狭で切ったシラカシの枝をあげた。
夕方近くなって家族が犬の散歩に出かけてしばらくして、突然揺れた。首から下げたケータイが異音を発し、家の放送機や屋外のサイレンがけたたましく鳴り出した。
すぐ横の田んぼの水たまりがさざ波を打ち、電線がゆっさゆっさと上下に揺れる。これはかなり大きな地震だとわかった。震源は能登半島とのこと。
津波警報が発令。区長の放送も「すぐに避難してください。高い場所に避難してください」インターネットを調べると、5時過ぎに高さ3メートルの津波がやってくるとのこと。たいへんだ。
散歩に出かけたままの家族にすぐに帰るように電話し、ニワトリを入れるケージを小屋の入り口に置き、ヤギはどうしようかと思案して、とりあえず高い場所に移そうと決めた。
家族が順番に車を高い場所の駐車場に移動したあと、家畜たちを連れて行った。(ニワトリはそのまま)
しばらくすると「モモちゃんの様子がおかしい。すぐに来て!」と電話。
車がないので歩いて向かうと転倒したモモちゃんが苦しそうにしていた。
マッサージをしたが、すでに手の施しようがなく舌を出したまま息を引き取ってしまったモモちゃん。あまりにも急な変わりように情けなくてやりきれなかった。
家族によると直前まで草を食べていたとのこと。急な運動で反芻した餌が気管に詰まってしまったのだろうか。
モモちゃんは16歳。ヤギとしてはかなりの長寿だ。
メスのトカラヤギ。温泉町(現新温泉町)の県立の牧場施設から譲渡していただいた。
電話をかけて問い合わせたとき
「なぜヤギを飼おうと思ったのですか?」と職員さん。
「除草のためです」と私。
「わかりました。引き取りにきてください。いくつかいますので選んでく ださい」
無角で小ぶり。性格は穏やかで、フィラリアにも強い。
交配させるために一定期間 牧場に里帰りしたが、うまくいかなかったので未経産だ。
ただ、お乳は何度か張ったので 数回搾乳したことがある。
16年間、毎日毎日ともに生きてきたモモちゃん。
おかげで毎日毎日草を刈ってきた。四季折々の植物の移り変わりを観察し続けられたのはモモちゃんのおかげ。
小さい農業を続けて、草や余り野菜、大豆の殻、稲わら、もみ殻、果物の皮、ありとあらゆるモノを食べて肥料に変えてくれたモモちゃん。
モモちゃんがいることで我が家の循環系は機能していた。
突然の別れは、我が家の循環系の崩壊を意味している。
困った。このままではこれまで築いたライフスタイルが崩壊する。
脱穀がまだの大豆が小屋にある。
ヤギがいることが前提の我が家の生き方が正月早々暗礁に乗り上げてしまった。
モモちゃんの死は 間違いなく 震災関連死だが
いつか近いうちにこの日は来るだろうとの予感はあった。
モモちゃんが導いてくれた今のライフスタイルを続けないわけにはいかない。
1月2日。モモちゃんの墓を作った。栗の木の下。毎日朝晩散歩の途中に
立ち寄れる場所だ。
モモちゃんと再び天国で会う日まで まだまだ シローさん頑張るわ。
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