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事実として認めます

私は、天地万物の創造主、全能の父なる神を認めます。

私は、そのひとり子、私たちの唯一の救い主であり裁き主であるお方、イエス・キリストを認めます。

イエス・キリストは聖霊によってやどり、おとめマリヤから生まれ、人として地上を歩まれ、「御国の福音」を述べ伝え、十字架につき、死なれ、葬られ、よみがえり、天にのぼられ、全能の父である神の右に着座されました。
やがてそこから来られて、地上にご自身の王国を現わされます。

私は、罪について、義について、裁きについて、明らかにされる方、またキリスト者の内に住まわれるお方、聖霊を認めます。

私は、キリストの御体「エクレシア」を認めます。
このエクレシアは、不可視的には「キリストの充満」であり、可視的には「イエス・キリストの聖名を呼び求める者たち」であり、私はその一部とされていることを認めます。

私は、イエス・キリストの言葉が豊かに宿るように、知恵を尽くして教え合い、諭し合い、感謝して神に向かって心から歌う、キリストの御名にある交わりを認めます。

私は、十字架でなされたイエスの「身代わりの死」によって、その流された血によって、私の「罪々:sins」が赦免され、神の怒り、神からの呪い、永遠の滅びから、救われたことを認めます。

私は、十字架で死なれたイエスの内にあって「共なる死」にあずかり、共に葬られ、アダム属の旧創造である「罪人」としての存在が終わり、内住の「罪:Sin」から解放されていることを、またイエス・キリストのよみがえりの内にあって共によみがえり、キリスト属の新創造である「聖徒」として存在し、イエス・キリストの内にあって共に天の座にあることを、認めます。

私は、「アッバ父よ」と呼ぶ「御子の霊」の内住により、私の霊が救われたこと、罪の刑罰から救われたことを認めます。

私は、イエス・キリストを見たことがなく、今見てはいないのに愛しており、魂の救いを得つつあること、罪の作用から救われつつあることを認めます。

私は、やがてイエス・キリストを見ることによって同じ様に変えられ、朽ちない体を着せられ、体が救われること、罪の存在から救われること、それによって救いが完成することを認めます。

私は、義の宿る新しい天と新しい地が到来することを認めます。


2024.6.04
I.D.F.深流会 世話人 吉田元


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