三島由紀夫 追記と補遺
「三島由紀夫・生と死」をアップしてから、いくつかの「苦情」があった。
大きく分けて三つ。
まず一つは、お前の批評は情け容赦なさすぎて、たんに三島由紀夫を「ディス」っているだけだというもの。
もう一つは、文学とは倫理的なものでなくてはならないのか、という疑問ないし反論。
最後の一つは、三島の自決の謎について言及のないこと。
まず第一点から弁明すると、口が悪いのは私の大きな欠点であり、たいへん申し訳ない。実生活でもいつも怒られる。しかも一冊の本を要する天才作家を二十枚で語ろうというところに、根本的な無理があり、切り口上になってしまった。そのせいでミスリードしてしまったところがあると、おおいに反省している。
三島は壊滅的に運動神経が鈍いと書いたが、運動神経ならぬ「文学神経」というものがあるとしたら、かれは文句なしに近代日本においてその頂点に立つ者であると、私はリスペクトしている。蚕が糸を吐き出すように、やすやすと名作を世に送り出すことがかれにはできた。私のような者が何をいおうが、かれの天才に傷をつけるなんてことはありえない。
ただ、世の三島論のほとんどは作者に寄り添ったものであり、わずかな残りは全否定である。私のはそのどちらでもない。
もっとも、寄り添うつもりは、はなからない。
私は私の位置から見える三島由紀夫の佇まいを、三島美学に幻惑されることなく、正確に描写しようとおもった。
第二点。たしかに福田恆存は倫理的な作家であり、かれの原点にそれは動かしがたく存在する。しかし文学はそれがすべてではないし、三島論の中でものべておいたように、作家の意図とか動機は作品の価値においてたいした意味をもたない。
そもそも、解決しうる問題は文学の主題とはならない。小説の美は、そうした不可能な課題に肉薄しようとする作家の精神の運動が文体のうちに定着されているかどうかというところにある。作品の価値は、その高さと深さによって決まる。つまり運動の質である。
作家のプラン通りに進行する小説なんてつまらないものだ。まして作家の語ったテーマにそった作品解説なんて、とても批評の名に値しない。作家論のほとんどはその手のガラクタだが――やば、また口の悪さがうっかり出てしまった。
ただいえることは、日本の近代文学は西欧の倫理的文学観と対峙しており、それを勘定に入れないわけにはいかないという事情がある。それについては、「福田恆存を勝手に体系化する」を読んでもらいたいのだが、とにかく三島由紀夫もそれを強く意識していた文学者の一人だったのである。
かれは持ち前の傑出した「文学神経」と、とびきり秀才の頭脳をあわせもっていた。だから、西欧文学に関しても稀有な造詣があった。他方、自分は日本文学の伝統を体現する者であると自負してもいた。そこからかれは、罪の意識を欠いた日本的美学を倫理性をおびたものへと昇華することがみずからの使命であると考えていたのである。
したがって文学の倫理性は、私ではなく、三島文学が要請する主要な課題なのである。
第三点。私にとって重要なのは、三島由紀夫の作品であって、かれの実生活や政治行動ではない。
東大安田講堂で行った政治講演の録音を聴いたことがあるが、あほらしくなって中途で止した。それは床屋政談というより、世間しらずの学生レベルの政治論だった――言葉をあやつることで、対象の実在を動かし得ると信じているかのような。
したがって、自決にいたる経緯を詳細に追ってみたこともない。いちおう、関係筋から多少のことは聞かされてはいる。しかしそれをここで発表しようとはおもわない。それは私の任ではない。
三島由紀夫の自死にふれた同時代の文章には、時間による風化現象を割り引いても、正直、あきれる。「肉体の言葉」「行動」の賛美と、その裏返しの劣等感にとらわれた同業者の感想ばかりで辟易する。かれらは「豊饒の海」の繁邦になんと似ている事か。
しかしそのなかで、花田清輝の「古式ゆたかな死」という、いかにもかれらしい追悼文だけは、私の琴線にふれた。そこには、死の外観にまどわされない、才幹ある同時代の知人に対する一個の人間としての花田の深い哀情が滲みでている。
防衛庁本部のバルコニーに立っておこなわれた三島由紀夫の一世一代の演説は、自衛官たちのはげしい野次にかき消されて、ほとんど聞こえなかったのである。
つまり花田清輝は、文壇という「サロン」では重くみられていた三島の「肉体の言葉」も、サロンの外では説得力のない非現実的な空言にすぎなかった、といっているのである。しかるに、サロンの寵児である三島は、敵も味方もふくめて、周囲からどこまでも大切にされ、尊重されてきた。実際には「危険な思想家」といえるほどの政治的な実質はなかったと。
三島由紀夫には、現実の自衛隊のほんとうのすがたが見えていなかった。顔パスで出入りを許されたり、戦闘機に乗せてくれたりした自衛隊は、自分たちを支持してくれる高名な小説家を厚遇し接待する自衛隊だった。かれはその意味を勘違いしていた。
颯爽とバルコニーに登場した三島は、クーデターの呼びかけに応じないのはある程度予想していたにしても、まさか自分の声涙下る憂国の演説が聞いてももらえず、自衛官に野次りたおされるとは予想だにしていなかった。動揺して大演説を早々に切り上げた。かれは裏切られたと感じただろうが、実際に裏切っていたのはかれ自身だった。自衛官たちは、自分たちを利用しあやつろうとする三島由紀夫に本能的な反発を抱いたのだ。
かれらは三島の傀儡ではない。しかし三島は自衛隊をみずからに都合のいい存在として対象化し、外在化し、抽象化していた。かれ自身の言葉でいえば、実在の自衛隊に勝手な「夢」を投影していた。しかもそのことに、どうしても自覚的になれなかった。かれほどの頭のいい男が、である。しかし人間とは、一皮剥けば、誰しもそういうものなのである。自己を知ることほど困難な課題はない。
厳しいいいかたをすれば、かれの思考は意識に還帰するものであり、自他のエゴイズムを制約する原理をもたなかったのである。
もはやお解りであろう、これは私が指摘した「豊饒の海」がはらむ三島由紀夫の問題を正確に反映したものである。それゆえに私は、直接の言及をするまでもなく、かれの死について十分に語ったつもりだった。
三島由紀夫はみずからの宿命に気づいていたのだ。かれの文学はそこからの脱出を賭けた必死の戦いだった。事の成否は関係ない。たしかに政治においてかれは英雄たりえなかったが、文学においては類い稀な三島美学を描きだすことができたのである。
福田恆存さんや、そのほかの私が尊敬してやまない人たちについて書いています。とても万人うけする記事ではありませんが、精魂かたむけて書いております。