「さすがニッポン!」という下衆な愛国心

自民党税制調査会長の甘利明君がtwitterで寝言を言って大顰蹙を買っている。

東日本大震災しかり、危機の時こそ日本人は世界の尊敬を集めました。要請だけで接触をここまで減らせる日本って、やっぱり凄いですね。あと一息です。ゴールデンウィークをステイホームで「さすがニッポン!」って、もう一度世界に言わせませんか。
午後7:05 2020年4月27日 @Akira_Amari

甘利

甘利君と言えば4年前、建設会社絡みの金銭疑惑で経済再生相を辞任、自分で説明すると言いながら睡眠障害を理由に4ヵ月も国会を欠席し、その後国会が閉じたタイミングでしれっと復帰するという、まさに安倍閣僚らしい破廉恥ぶりを思う存分見せつけてくれた。

なのでtwitterのコメントには「ご自身の口利き収賄疑惑について説明いただき、『さすが日本の国会議員は凄い』と世界に言わせてください」という声や、また当然のことながら「休んでいただきたいなら、しっかりとした補償を。収入が絶たれるから仕方なく営業せざるを得ないし、働きに行くのです」と言った「辛らつな意見のオンパレード」となっている。
(https://www.tokyo-sports.co.jp/entame/news/1832460/)

まったくその通りだ。

だけどこのtweetには、責任説明や休業補償とは別にも大きな問題がある。

まず言っておかなければならないのは、「さすがニッポンと言わせたい」という発想がそもそも倒錯している。
つまり、「褒められたい」なんて動機はマトモではない
乳幼児に「良いことをしたら褒める」ことを教えるのならまだわかるよ。
でも、幼稚園児の教育としてでも「誰々に褒められるようにしなさい」というのはおかしい。行為の結果として褒められたり叱られたりするのであって、「褒められるために」「叱られないために」という理由でなにかをしたりしなかったりというのは根本的に間違っているのだ。だってそれじゃあ「親分に褒められたいから強盗をしました」と言うチンピラが正当化されてしまうよ。

さらに言えば、「さすがニッポン」という発想が気持ち悪い。
一部ネトウヨ等の安倍応援団以外、現在のこの国を「さすが!」と感じている人はどれだけいるのだろうか?
少なくとも戦後75年にわたって、ろくでもない政権に権力を委ね、ろくでもない行政を放置してきた挙げ句の果てが今のこの有様だ。
はっきり言って日本は三流国家
「さすがニッポン!」なんて下衆な愛国心をくすぐろうという、甘利君のような下衆な政治家が当選するというのがなによりの証拠である。
我々日本国民はそれを自覚したほうが良い。必要なのは自画自賛ではなく、反省であろう。

それに第一、ゴールデンウィークに家にいただけで世界が日本を褒めると思うか? 世界中そうだよ。家にいるのは当たり前なのだ。

どれだけ時間がかかるかわからないけれど、この危機を乗り越え、社会システムを一新する。
すなわち、安倍晋三君のような自分ファーストな卑怯者を二度と当選させない。また、天災や伝染病のような突然の出来事が発生しても、被害を最小限に抑えられる医療、福祉、そして貧富の差を最小限にして誰もが希望を持って生きていけるような大胆な富の再配分を実現する。
もしも「さすがニッポン!」と言われるとしたら、そんなシステムを再構築できたときだ。

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