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【withE通信:文字のなかった時代】

 先日、『ごはんせんそう』というお芝居を観てきました。以下、上演した演者unit炊込飯のホームページからあらすじを引用します。

世界の東の果て。
日本が生まれる前。
食べる為に戦い、
戦う為に生き、
生きる為に食べていた頃。
肥えた土地を持つ集落に、
優しく強い兄妹がいた。
土地を持たぬ盗賊を退けながら
仲間と共に生きていた兄妹は、
互いの息災を願いつつ
別の道を歩むこととなる。
顔も思い出せない程
長い年月が過ぎたある日。
兄妹は、
戦場で再会した。
化石にもならない、
せんそうの話。
〈https://mogumogutakikomime.wixsite.com/unit0/blank-2より引用〉

 弥生時代を舞台にした60分のお芝居で、「セリフのない芝居」ということでほぼセリフのないという特徴ある舞台でした。しかし、役者さんの動きや殺陣(たて)によって言葉が無くてもストーリーが伝わってきたのです😲とても興味深いお芝居でした。

 さて、皆さんは歴史の授業で縄文時代・弥生時代のことを学んだことでしょう。日本列島ができたのが今から1万年前と言われていますが、1万年前からおよそ1500年前までの時代を原始時代と呼びます。原始時代、日本には文字はなかったと言われています。弥生時代に大陸から多くの渡来人がやって来てその時に文字も伝わったと考えられますが、当時の日本の人々は「模様」と見なしていたようです。文字を「記録するもの」として使い始めたのは古墳時代に入ってからのようです。

 では、文字の記録のない縄文時代や弥生時代のことがどうしてわかるのでしょうか?それは、当時の様子を伝えるモノが発見されているからです。そうしたモノを掘り出して、研究する学問を考古学と呼びます。
 例えば、弥生時代を代表する遺跡である佐賀県の吉野ケ里遺跡を考えてみましょう。

吉野ケ里遺跡

 写真を見るとやぐらと柵が写っています。これは考古学の研究の結果、再現されたものですが、さてこれは何を示しているのでしょう?
 やぐらというのは遠くを見渡すために建てられる建物です。そして柵は外からの侵入を防ぐために作られます。ということは…?これらは他のムラとの争いに備えるために造られたと考えることができます。実際に他の出土物や遺跡を調べると、弥生時代になると人々はお米や水・土地などをめぐって争いをしていたということが分かってきました🔍
 このように文字の記録が残っていない時代のことも地中から出てきたモノを調べて考察することで見えてくるのです。ただし、お隣の中国では文字が使われており、中国に残っている日本の記述(「魏志倭人伝」など)も参考にして考察しています。

 しかしですよ、皆さん。文字としての記録が直接は残っていないとは言っても、そこに人々が生活していたのは確かです。私たちのご先祖様たちは毎日生きてきたわけです。笑ったり、泣いたり、怒ったり…ご飯を食べたり、遊んだり、恋をしたり…生活の仕方は違っても、今を生きている私たちと同じように生きていたはずです。
 冒頭で紹介したお芝居で感心したのは、文字の残っていない時代のことをセリフを一切使わずに表現していて、それで今の私たちと変わらない人々がそこにいた、というのを伝えていたところでした。
 遠い昔のことでイメージするのが難しいかもしれませんが、今の私たちと同じように生きていたと思うと親近感が湧きませんか?
 「モノ言わぬ証人」から想像を膨らますとおもしろいかもしれませんね😊

作・パパ(社会科担当)

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