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多「世界線」時代の生き方〜コトバ化の鉄人 星野良太


これは、鉄人コーチ集団 「Withコーチ」 の "ビジョナリーの鉄人"こと、星野良太が、親の干渉に悩む若者へのレターコーチングである。鉄人コーチとは困難な現実・テーマに、タフに楽しく気迫を持ってwith(伴走)する、強さとしなやかさと愛に溢れるコーチのことを呼ぶ。

クライアント 智香さん(仮名) 32才 女性

Withコーチの皆さんはじめまして。このレターコーチングというものがあると聞いて利用させていただきました。どうか、皆さんに届きますように。

実は最近、ムカムカした気持ちが止まらずにいます。自分でもなぜムカムカするのかしばらくわかりませんでした。今もわかっているのかどうかはわからないのですが、少し気がついたことがあります。

私は、今この年になっても、親の言うことを聞いて生きています。私が何かを決めるときには、ずっと親がつきまとってきます。学校選び、就職先選び、それだけではなく、パートナー選びまで親がついてきます。もう何年そうやって生きてきているのだという感じですが。

学校選びは親がお金を出すから仕方がないと思っていましたが、第一志望に不合格だった時、親は「あなたがそんなにバカだとは思わなかった」と言ってきました。就職先選びにも親が入って来たので、名の知れた大企業だけを狙って就職しました。志望動機に「親に言われたから選びました」と書きたい衝動を抑えて、差し支えのないことを書きました。

こういう話を他人にすると、「親は子どもを大切にしているからだよ」とか「愛されている証拠」とか、「親になればその気持ちがわかる」と、妙な前向きさで勝手に解決されたかのように話が終わってしまうことばかりです。

以前、結婚を考えていたパートナーがいました。親に紹介したところ、即反対されました。反対の理由というのも、その地域の出身の人は、よくないからだそうです。その地域の悪いことをたくさん言われて、だから幸せにはなれないと。私はその人と十分に幸せだったのですが、親が言ったのは「私はまだ社会を知らない」でした。意味がよくわからず、親は結局私が決めることにまずノーを言いたいのではないかと思います。当時すでに20代後半でした。



それでも、社会を知ろうと趣味のコミュニティなどに参加して、年上の人たちと話してみました。話と私のような経験を少なからずしている人は結構いることがわかり、ちょっと安心しました。そして、「自分の人生なんだから自分らしく生きたらいい」と声をかけらました。

色々と吹っ切ろうと思って、パートナーには親の賛同なしで結婚をしようと伝えたら、急に「親は大切にした方がいい」と言い出して親の味方をしはじめました。がっかりという気持ちと寂しさがありました。あれだけ話していて、私の味方をしてくれていたと思っていたのですが、本当にはわかってくれていなかったのだと。それから関係が悪くなってしまい、だんだんと連絡が少なくなって、自然消滅しました。

親が言うことは気持ちだとか愛だと美化されて、私が親の問題をいうと「親は大切にした方がいい」と言われる。それと合わせて「自分の人生なんだから自分らしく生きたらいい」と言われる。

自分らしくとはどういうことなのでしょうか?ネットで調べたり、本を読んだりもしてますが、成功者の人たちの話はキラキラすぎて私にはほど遠いです。平凡な私にも、自分らしく生きる方法はあるのでしょうか?よろしくお願い申し上げます。

レターコーチング  コトバ化の鉄人、星野良太

こんにちは、星野です。
智香さんのご相談内容を拝見して、3つの悩みを感じました。


・親との関係について
・社会との関係性について
・自分らしさについて


どれもこれも、厄介な悩みごとです。文面からだけでは、ちょいと助言もしづらい分野です。ホントなら、ぜひお会いしてお話を聞きたいところ。とはいえ、せっかく読みましたので何か書きます。

人の数だけ常識が生まれる今
最近よく感じるのが、人による常識の違い、です。世代差、性差、地域差…。色んな背景によって影響はあるのでしょうけど、究極で言えば一人ひとりで常識が違います。おそらく、それぞれが属している環境が違うのも大きいんだと思います。だから、正しいと思うことも優先順位も人によって違います。

ちょっと前までは、ある程度同じ環境を人々は生きていた様な気がします。ほぼ同じ教育、ほぼ同じTV番組、ほぼ同じ成功モデル。たとえば智香さんの親御さんはそんな同じ常識を有する時代に育った人じゃないでしょうか。

一方、今は細かく分かれた社会の中で人々が暮らしている様に思います。その分常識も多様化しています。マーケティングの分野では、10年ほど前から性別や世代、職業などの区分けではなく、情報の志向性を軸にした「トライブ」なんて括りも生まれていました。また、ツイッターなどでは「世界線」という言葉を最近よく見る様になりました。元は「パラレルワールド」を意味する言葉でしたが、今は「個人好みの世界観」として使用されている様に思います。お互いが別の環境、別の常識を持っている認識が広がってきているからかもしれません。

もしそうだとすると、親の「世界線」を前提とした愛情は空回りますよね。親は智香さんが別の「世界線」を生きていることを知らないから。お話を聞く限り、智香さんとパートナーすらも別の「世界線」にいそうですね。昨今、対話という姿勢が重視されているのもこうした背景からのことでしょう。お互いが別の「世界線」を生きていることをそれぞれが自覚できないと、社会の中でもすれ違いが次々と生まれてしまいます。


多「世界線」時代の生き方
一人ひとりが異なる常識を持つようになり、本や社会の先人である大人の話からでは、万能の成功モデルをつかみ取ることが難しい時代になってきました。そう考えると、智香さんの悩み事はある程度時代の影響だとも言えます。


では、どう生きるのか。


万能の成功モデルがないのであれば、試行錯誤しながら、自分が進みたい方向に一歩ずつ歩くしかありません。新雪の雪道を歩くみたいに、一歩ずつを試しながら踏みしめていく。滑るかもしれないし、転ぶかもしれないし、どこにもたどり着かないかもしれない。でもそれは親が言った道を歩むのも一緒です。どうせ転ぶかもしれないなら、後々自分の身になる経験にしましょう。それを繰り返して、自分が属する環境の特性をつかんでいく。

ただし、一人で歩く必要はありません。いい道を見つけたらみんなを誘って一緒に歩けばいいし、危険なスポットがあれば後続の人々に注意喚起してあげればいい。一人ひとりが取り組むけど、みんなで色んな事をシェアしながら進められたらいい。環境も常識も世界線も違ったとしても、同じことが100%の正解にはならないとしても、お互いの「世界線」に対しての理解は広がっていきます。その積み重ねの先に、別の「世界線」を持った別の人格同士の納得点が見えてくる気がします。

「さて、なにから始めましょう?」
色々と難しいことを言ってきましたが、結局ぼくはただ智香さんを煙に巻きたかっただけなのかもしれません。今のお悩みは、別に自分だけのせいではない。ある程度時代のせいだ、と考えちゃったらいいのだと思います。そう考えて荷物を軽くした上で、「さて、何から始めましょう?」って、智香さんに聞いてみたいです。

正解らしき道がない今の時代、そんな環境下でどう動くのか。立ち尽くすのか、人に手を引いてもらうのを待つのか、自分で進む方向を決めて一歩踏み出すのか。日々を暮らしていく中で、そんな判断の積み重ねがその人だけの道筋、自分らしさをつくっていくのだと思います。ある日いきなり生まれ変わったように自分らしさを持った人になったりはしないんじゃないでしょうか。

三寒四温で冬が春に向かっていく様に進んでいければ理想ですが、後ろに向かっても自分らしさが見つかるかもしれません。一歩進んでもその後二歩下がる人もいるかもしれません。立ち尽くして、動かざること山のごとし、が個性の人だっているでしょうしね。たぶん、大切なのは自分で決めることを繰り返していくことなんだと思います。

立ち尽くすのをやめて、もしどこかに進もうとするのならお手伝いします。昔札幌に住んでましたので、新雪が積もった道の歩き方のコツも教えられると思います。

コトバ化の鉄人について

もっと知りたい方はこちら!「#コトバ化の鉄人」でも検索できます。

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