子どものまま生きた私

たどり着いたのは、最近の出来事や岸見先生のお言葉、友人、やなぎくんとの会話だったと思います。
紐づいたものは最近の出来事だけではないけれど。

私は、自分を認めることができずにいました。
実際すべてを認められたわけではないと思います。
でも今までの中で大きな気付きだったと思います。

最近の夢の中でずっと、私は誰かのために行動して、誰かのために言葉をかけていました。
夢ですから、実際にはあり得ない「能力」があったりしました。例えば、メタルグレイモンに変身できる、とか。

毎日夢の中の出来事を解決しなければならない。
なぜかそう思い込んで、起きられなくなりました。

私は解決策として、「夢の続き」を見ることができているなら、ある程度コントロールできる場合があるのでは?と考え、夢の中で「本当に自分が全力でがんばらなければならないのか」を考えるように、と紙に書きました。
さらに、「夢の中の私へ」とメッセージを書きました。

「夢の中の私へ」
もし責められても、きっと私は悪くない。誰かのために動くことができるのはステキだと思う。でも苦しくなるほど全力でがんばらなくて大丈夫。あなたが、わたしがとてもがんばったことは、夢から覚めた私が一番よく知ってる。

知らなかった。分からなかった。
私は私を他人のように見てました。
優しい言葉をかけ、なぐさめる。
私はそうされたら満足だろうと私を見下していたのだと思います。
全然ちがう。
私は、今までの私も、夢の中の私も、ただ見ているだけで分かろうとしなかった。
「もうがんばらなくていいからね」ではなかった。

今の今まで、私はどんなときも、方法が分からなくても、考えられる範囲でずっとがんばり続けてきたんだ。
悪い、悪くない、できる、できない、ではなくて。
夢の中の私は、ファンタジーな世界観に目がいっていたけれど、考え方や選び方、動きは今までの私と同じものだった。

現実の私が「無能」だと言われているみたいで、苦しくてもうやめて欲しいと願ったけれど。

私はいつもこんな風に動いてたんだ。
私が思ってた以上に全力疾走。
こんなの見せられてたら、私のことを心配してくれるやなぎくんや友人たちが「あなたのことも大事にして」という言葉はよく分かる。
息がもうできてないのに全力疾走してたら、もうがんばらないでって思う。
「あなたのために」って私は行動してたつもりだったけれど、みんなが言ってた「大事にして」を蔑ろにして、押し付けてた。
私が「人のために」って動ける範囲だと思っていた広さは、範囲外だった。

私は自分を卑下してたから、逆に自分を肯定しようとしたわけではありません。

イマジナリーではありますが、以前私は、幼少期に大泣きしている私に「つらかったね、怖かったね」と声をかけました。
私は私を見はしたけれど、目には一切の希望はありませんでした。
「あなたに何が分かるの?」とでも言われているような。
目に見えている状況だけで言葉をかけたのだから、当たり前だったのだと思います。
だって幼少期の私は、大泣きして訴えるほど自分の感情を「一生懸命がんばって伝えようとしてた」のですから。

ソクラテスの「無知の知」
知ったつもりになっていて、分かってなかった。
知識だけの問題ではない。
見て、観察して、考える。
見て、観察して、聞く。
簡単なことではない、確かにそう思います。

私はずっと私に認めて欲しかったです。

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