13年という節目

東日本大地震、東電福島原発事故から13年が経ちました。
普段こんなことを書くつもりはないのですが、ひとつの節目として
残しておこうかと思います。

13年という半端な年数で「節目とは?」と、思う人も多くいらっしゃるかと思いますが…

あの年のあの日、私の上の娘が6歳でした。
卒園してランドセルを買って小学校に入学準備万端で。
雛祭りの片付けも遅くなってしまい、まだ出しっぱなしでした。

私は夜勤の為、その時間は自室で寝ていました。

14時46分。
地震がきました。
徐々に徐々に大きくなり、止まらない揺れ。

お雛様は倒れました。
地デジに切り替わる頃だったので、買ったばかりのプラズマテレビが少しずつ
少しずつテレビ台から迫り出してきます。

私は逃げ場確保のために、食器棚を押さえるので精一杯でした。

倒れていく全てを見る事しかできませんでした。

その時、元妻と子供達は友達の家へ遊びに行っており
私は家に1人でした。

気が気でない状態が何分も続きました。

その後、なんとか揺れが収まり
子供達も帰ってきました。

とりあえず皆アパートの外へ避難。
近所の障害者の娘を持つおばあちゃん、
一緒に娘さんをベッドごと外に運び出しました。

知らない人が多いかもしれませんが、
災害時に1番繋がる電話は
公衆電話です。
優先的に繋がります。

近所の公衆電話の場所と、
緊急の連絡先は覚えるか
何かに書くかしておくと良いでしょう。

あれから13年。

私はメンタル面を壊してしまい
離婚することになりました。

それから娘達とは会っていません。

13年。

あの時、上の子は
入学直前でした。

つまり、今年20歳なんです。


ずっと会っていませんでしたが、
成人のお祝いも兼ねて
会ってこようかと

そう思っています。


ぶっちゃけ怖いですけどね。

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