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『六根清浄②』

六根清浄について、ウィキペディアからお借りしました☟

六根清浄(ろっこんしょうじょう)とは、人間に具わった六根を清らかにすること。「六根浄」ともいう。を防護すること。お経に説かれている六根は般若心経にもあるが法華経の方がくわしい。六根清浄によるご利益について説いているのは法華経である。法華経は28の話で構成されている。その中の19番目の話の最初に登場する。修験道で唱えられている六根清浄は法華経に由来する。

六根とは、五感と、それに加え第六感とも言える意識の根幹である
根(視覚
根(聴覚
根(嗅覚
根(味覚
根(触覚
意根(意識
のことである。

出展元:Wikipedia

やはり五感についてだったー!とにんまり。

手帳好きの方は行っているであろう
WISH LIST作成。
もちろん私も2024年のWISH LIST
を書き込んでおります!

そのなかの一つに
五感を磨いて直感力(第六感)を高める
と大それたことを書き込んでいるんです。

2024年のWISH LISTを作ってから
1ヶ月半後に写経を始めようと思い立ったのですが、お!これも引き寄せの一つかな?
なんてワクワク。
そうか写経が直感力を高める道なのか!
なんて思いつつ、概要を読み進めると、

六根は人間の認識の根幹である。それが我欲などの執着にまみれていては、正しい道(八正道)を往くことはかなわない。そのため執着を断ち、心を清らかな状態にすることを言う。そのため不浄なものを見ない、聞かない、嗅がない、味わわない、触れない、感じないために俗世との接触を絶つことが行なわれた(山ごもりなど)。

出展元:Wikipedia

我欲などの執着にまみれていては、正しい道を往くことはかなわない

我欲…自分だけの利益を得ようとする欲望

執着…あるモノ・コトに強く惹かれ、深く思い込んでどうしても忘れきれないコト

他者に不快、不安、迷惑などの負の感情を与えてしまうような欲
自分自身の負の感情を埋めるための欲

ここに執着してはいけない

でも逆をいえば
執着さえしなければ
負の感情に関しては
受け入れて、認めて、許して、自分を甘やかしてあげることも人間らしくて良いじゃないかと思う私

生きていたら
怒りも悲しみも苦しみも
色んな負の感情がムクムク出てくる

その自分の感情を無視して蓋をして
まわりの求める人間像を演じ続けることは
結果として、まわりに気を使わせたり
心配させたり、負の感情を与えてしまうと思う

自分の負の感情は
自分で
受け入れて
認めて
許して
自分を甘やかしたら
その後は
その感情を手放してしまう

執着をしないこと。
長い時間囚われないこと。

それでいいんじゃない
とお気楽に解釈


心を清らかな状態にするためには、不浄なものを見ない、聞かない、嗅がない、味わわない、触れない、感じないために俗世との接触を絶つ

不浄なもの…心身の汚れていること、穢れているもの
穢れ(気枯れ)…危険や不幸をもたらすもの、社会生活を乱す行為の全て

心を清らかな状態に保つことは
コト・モノが溢れ
触れる機会の多い現代では
困難な環境だと察するところ

現代人は心が乱されている?

心苦しいNEWSを見聞きすると
自分自身まで重たくなる感覚は
気枯れているからくる現象なのかな。

俗世とのつながりを完全に断つことは
実生活においてなかなか難しいけど
1時間でも、30分でも、10分でも
簡易的につながりを断ち
自分とただ向き合うだけでも良いと思う

実際に、写経や瞑想を習慣にすることで
心が安定して笑顔でいれることが
増えたと実感しているから余計に感じる

完璧には出来ないけれど
自分の生活リズムのなかで
できる範囲で心清らかに保つ術を
工夫していけたらいいな

WISH LISTに書きこんだ
五感を磨いて直感力(第六感)を高める
ことに少しでも近づけますように











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