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コインランドリー観察記 #4

雨でもなんでもない今日という日に私がコインランドリーにいる理由は、風呂にもろくに入らず2週間近く、布団のシミになっていたからだ。

世間の大人たちが年始の気だるさを忘れつつある中、私は昨年から連れてきた憂鬱と一緒にただカップ麺にお湯を注ぐだけの生活をしていた。
ちょうどテスト期間ということでアルバイトは休みにしていたし、テスト期間と言ってもレポート課題が出ているだけだった。
何かするべき、というか、早いところレポートに手をつけるべきとわかっていながらあと15分、何時になったら、と人気インスタグラマーのメイク動画やインフルエンサーのドッキリ動画を見ては、流れゆく時間を時々訪れる不安や憂鬱のせいにした。
こんな時間を過ごせるのも今年で最後だ。
大学1年生の時からバイトしていたアパレルショップが社員登用してくれるというので、就活をしなくて良いという理由だけで入社を決意した。
春から晴れて正社員だ。

昨日、全ての課題の提出が終わり、と言っても昨日が締め切り日だったので2日間徹夜で友人にも手伝ってもらったのだが、ふと我に返った。
マラソンを走り終わったあとにふと目線を上げると会場がとても広く見えるような、そんな感じだった。
それに罪悪感と不甲斐なさと自己嫌悪を足して。

散らかった本や油の固まったカップ麺の容器。
ところどころに埃のかたまりや抜けた髪が落ちていて、携帯の充電コードに絡まっている。
濯がずに置きっぱなしになったビールの缶からはちょうどコバエが出てきた。
とりあえず全てのゴミを袋にまとめ、コバエたちも一緒に収集ボックスに投げ入れた。
部屋に戻り改めて見ると、なんとなく布団もクッションもラグも黒ずんでいるような、黄ばんでいるような気がしてきた。
n回目の今日からちゃんとしよう、を日記に残したところで布団に入り、とりあえずレポートを頑張ったご褒美に映画を見ることにした。
マイリストに入れていた中から目についた、流行のアイドルが主演のものを選んだ。

目が覚めると映画はとっくに終わっていて、「もう一度みますか?」の画面すら消えていた。
時計を見ると、21時を少し過ぎた頃だった。
床に散乱した本をテーブルに積み上げ、掃除機をかけようかと思った瞬間、先週ポストに入っていたプリントを思い出した。
マンションの管理会社からのもので、赤い文字でゴミ捨てマナーの徹底と夜間の騒音に注意するようにと書いてあった。
騒音に注意、の部分に黄色いハイライトがされていたのできっとどこかの部屋に苦情が入ったのだろう。
心当たりはある、向かいの棟の角部屋だ。
同じ学生だろうか、平日の夜中に男の子たちが集まって騒いだり、バンドでも組んでいるのか、時にはドラムやギターの音が聞こえたりした。

今まで22時以前は気にせず掃除機を使っていたが、なんとなく後ろめたさを覚えそのまま床に置いた。
ようやく動き始めたというのにここで止まるのはなんだか落ち着かず、洗濯をすることにした。
脱いでは投げ込んでいた洋服たちは、洗濯機いっぱいに溜まっていた。
どうせ一度には洗えないし、こんなに干すところもないのでコインランドリーに行くことにした。
折角行くのならと、シーツも布団カバーも枕カバーも、今まで一度も洗ったことのないブランケットも全て袋に入れ家を出た。
パンパンに詰まった大きな袋を担いで、まるで絵本の中の泥棒のようだな、なんて思いながら歩いた。

ランドリーには誰もいなかったが、一番奥のドラムだけ動いていた。
ドラムの中で袋をひっくり返し100円玉を入れると、ゴゥン、という音を立てて洗濯が始まった。
洗濯して乾燥が終わるまで1時間半くらいかかるだろうか。
隣のコンビニに行き、店内を一周した。
いつも来ているコンビニなので目新しいものもなく、雑誌コーナーには大きく「立ち読み禁止」と書かれているので暇をつぶすことはできなかった。
飲料コーナーの前を2,3往復し、まぁレポート頑張ったし、と缶ビールを1本買ってランドリーに戻った。
ビールを飲みながら、先ほど途中で寝てしまった映画をもう一度見ることにした。
ようやく寝てしまったであろうあたりまで見たところで、ランドリーの入り口が開き、なんとなく見覚えのある男性が入ってきた。
一瞬目が合い会釈したあと、しばらくはお互い無言で携帯を眺めていた。

「向かいの棟の方ですよね?」

まさか自分を知っているとは、そして声を掛けられるとは思っていなかったので、え、と言ったままハイと答えるべきか誤魔化すべきか考えていたら、
「いや、実は行き帰りの電車も途中まで一緒なんすよ、たまに時間被って、大学の最寄り国分寺なんですけど。自分今3年なんですけど学生さんですか?」
と聞かれたので、
「あ、私は小金井です、4年です。」
と返した。
あとから自分が小金井で降りることまで言う必要はなかったかと考えていたが、彼は続けて自分の大学のことや小金井のお気に入りのお店、私の通う大学にいる先輩を知っているかなどしばらく話し続け、また無言の時間に戻った。

彼の方の乾燥機のタイマーが残りわずかになったところで、彼が
「スーツって洗濯機で洗っていいんすか?もう遅いけど。」
と聞いてきた。
就活をしていない私はスーツについてあまり知らないけれど、ちゃんとアイロンをかければ大丈夫なのでは?と返した。

「いやー、就活でスーツ着なきゃいけないの結構しんどくないすか?
髪も折角ブリーチしてシルバーにしてたんですけど、黒染めしたし。
てかほとんど書類落ちしてて、明日初めて面接なんですけどまじで病みそうっすよ」
「大変そうですね。人気の業界なんですか?」
「いや、いいなって思ったとこ雑多に受けてて。去年就活大変でした?」
「私はバイト先が社員登用してくれるから就活してなくて」
「へぇー、いいっすね、何系ですか?」
「アパレルです」
「えー、すげー!ファッション好きなんすか?」
「いや、別に・・普通かな。」
「ふーん。そっかぁ、アパレルかぁ」

彼が次の言葉を探しているうちに、奥の乾燥機が止まった。
スーツもワイシャツも、ゴミ箱から出したかのようにしわくちゃになっていた。
彼は一瞬驚いた顔をしたがすぐにヘラっと笑い「明日の面接結構本命なんすよね、ヤベー」と言い、じゃ、また、と帰っていった。
ほどなくして私の方も乾燥まで終わり、来た時のように袋へ詰めた。

エントランスを通ってから、なんだか気まずいような感じがしてつま先立ちで歩いた。
部屋に入る前、少し耳を澄ませてみたら、彼の部屋から「ねー、アイロンあとで私も貸してー」という女性の声が聞こえてきた。
私が帰ってきたことを気づかれてはいけないような気がして、できるだけ音を立てないように部屋に入った。

ぎゅうぎゅうに詰めた洗濯物たちを床に出そうと思ったが、出したままの掃除機を見てとりあえずそのまま置くことにし、中からパーカーだけをを引っ張り出した。
ポケットに何か入っていて、その角がお腹に当たった。
アルバイト先のネームタグだった。
中に挟んでいたネームカードは濡れて一部インクが滲んでしまっていた。
次のシフトのときに変えてもらえるか相談しようか、あぁ、でもあの社員さんも滲んじゃってるのそのまま使ってるしなぁ。
ふと、自分はいつまでこの滲んだネームカードを使うんだろうと思った。
結婚をしたり子供ができたりしたら辞めるんだろうか、他の業界へ転職はできるんだろうか、就活した方がよかっただろうか、何歳で子供を産むんだろうか、そもそも結婚できるんだろうか、どんな人と結婚するべきだろうか、それ以前に彼氏ができるだろうか、いい人と出会えるだろうか。
将来への果てしない不安は恋愛という重要度の低いものへと収束されていき、最終的には途中で終わっていた映画への関心に塗り替えられた。

映画は特に当たり障りなく、ひょんなことから仲良くなった男女が近づいたりすれ違ったり、ライバルに邪魔されたりしたけれど最終的には結ばれて、ライバルには祝福されるという、王道ラブストーリーだった。
時間は1時を過ぎていたけれど中途半端に寝てしまったせいで目が冴えていた。
頭の中で映画のヒロインを自分にしてみたり、さっきの向かいの棟の男の子とちょっと仲良くなっちゃったりして、など考えてみたりしていたら先ほどの会話を思い出し、一気に不安がぶり返した。
あぁ、これは得体のしれない憂鬱なんだ、ぼんやりとした不安なんだ、こういう時は一度ゆっくり休むべきなんだと、昔薬局で買った睡眠改善薬を飲んでシーツもカバーもつけないままのベッドで目を閉じた。
瞼の裏に、少し形の崩れたスーツを着た彼が、少し困ったように笑いかけてくる姿が浮かんだ。

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