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多田洋一/幻アルバム

 六月中にと思い立って、由比野さんの店のアドレスを調べてメールを出してみた。すぐにランチとディナーの合間ならいつでも、と返信があり、週明けの火曜日に吉祥寺まで訪ねる約束をした。
 井の頭線を降りて二階の通路からアトレに入り、一階で焼き菓子の折り詰めを買った。市場口を出て交差点を渡りATMで三十万円引き出して古い信用金庫の封筒に納め、菓子袋とともに鞄に入れた。東急百貨店の裏手にまわり幼稚園の近くまで歩いた路地に、釣り鐘ランプを添えた木製の袖看板が見えた。
 由比野さんは二年前に再婚して、料理人の夫と「トチカ」というレストランを始めた。幻のバンド名はTシャツにもキーホルダーにもトートバッグにもならず彼女の新しい生活の場に冠された。
 ジーンズ、白いカッターシャツ、薄茶のカフェエプロンを巻いた由比野さんは変わらない笑顔で迎えてくれた。狭い中庭に面した席に僕を通すと、お茶を淹れてくると言って早足でカウンターの奥へ姿を消した。
 数分間、僕はくすんだ青空をガラス越しに見上げながら鞄の中のものを渡す頃合いを思案した。いきなりでは無粋なので、しばらくは流れに任せた。バナナのような香りのミントティー。由比野さんは弾んだ声で店を開いてからの逸話を聞かせてくれる。外光の加減なのか髪色が以前より明るく感じられる。
 共通の知人にまつわる話題は丁寧に回避されたまま時が経った。鉄琴のジャズが煩わしくないほど流れていた。三時をまわって僕は鞄から菓子袋と封筒を出し、ぴたりと並べてテーブルに置いた。
「あらためてお詫びします。けっきょくちっともぱっとしないまま、ずっと心に引っ掛かっていました。そして、あの頃はお役に立てずごめんなさい」
 そんな、もういいのに。テーブルに目も落とさない由比野さんの視線で僕の胸は翳る。カネより直接けりをつけることが大事だと思って会いにきた。もういい? いや、あれはよくなかっただろ。椅子を引き立ち上がって頭を垂れた僕に、由比野さんは穏やかな口調で言った。
「今日は生存確認できたね。次にくるときはぜひ、ごはんを食べに。おいしいんだから」
 スクーターが停まり野菜籠を抱えた男が店に入ってきた。旦那さんだな、と会釈して僕は鞄を肩に掛ける。出口まで送ってくれた由比野さんにもう一度お辞宜をして別れ、足早に路地を繫いで駅を目指した。
 中道通りに出てパルコの脇でふと気が変わり、高架を潜って公園口へまわり道する。交差点を左折して中古レコード店と家具店を通り過ぎ、かつてバスが数珠生りだった狭い商店街へと進む。僕に愛執があるのは北口よりもこっちの一帯で──サンロードの郵便局裏手にあった「Outback」や「赤毛とソバカス」に学生の頃いったりもしてはいたが──「33」の入っていたビルの前で足が止まった。
 もう写真にしか残っていないパーカー、ポロシャツ、帽子。持っていたとしても動作確認すらできないフロッピーやCD-ROMのアート。向かいの店で買ったペンギンの灰皿も、まだどこかにはあるはず。オーヴァーロケットの「blue drum」を初めて聞いたのはその店で、ポケットのアイフォーンに入れてあるからいつでも聞ける。
 三角形の小さな書店も丸井のほうへ通り抜けできたGパン屋も見当たらなかった。四階に「ワルシャワ」があったビルの前でまた足が止まる。スリントやガスター・デル・ソル、33・3の「Play Music」なんかを初めて聞いたのはその店で、それらもポケットのアイフォーンに入れてあるからいつでも聞ける。あの頃の由比野さんはそういうのをちっとも受け付けなくて、トチカがうまくいかなかったのはつまり音楽性の違い……いや、やっぱりあれはペテンだった。
 まあいいや、と切り替えてエスカレーターに乗りJRの改札を抜けた。今日はもうひとつ厄介を抱えている。新宿で名郷根さん。積年の諸々を仕切り直して、来月からはさっぱり自由にやっていこうと思っている。
 ルミネの書店で時間を潰し、モザイク通りを下って約束の五時少し前に角筈ガードの古い喫茶店に入った。ミリタリーシャツの名郷根さんがすでに壁際の席にいて、細い煙草を吸いながらタブレットを覗いていた。早いですね、と声を掛けるとFXのディスプレイを眠らせ、椅子に置いた黒いジャケットをどけて僕を促し、吸い殻を捻った手でグラスのままアイスコーヒーをひと口飲んだ。
「早いのは明日で徳之島だ」
「あいかわらず忙しそうですね。直行便ありましたっけ? 徳之島って、大学の先輩がたしかニューオータニでハコバンやってたな」
「遺跡みたいな一部が残ってるらしい。東亜国内航空のホテルだった頃に泊まったことがある。ガキなんで蚊が蠅よりも大きくて驚いたな」
 そうですか、と頷いて僕は席に着きオリジナルブレンドを注文した。蚊が蠅より大きいならきっと犬は人間より大きく、バックベアードみたいな太陽が空の半分を覆って海を見下ろしているかもしれない。新しい煙草に火を点けた名郷根さんに目を合わせ、僕は早々に要件を切り出した。
「来月から札幌で暮らすことにしました。世話してくれる女も見つかったんで、しばらくはのんびりと」
 音楽やめるのか、と尋ねられたので即座に「それはないと思いますけど」とだけ。まあ、あなたが言うところの音楽からは離れるとは思う。
「潮時だな。俺のほうも、もうおまえに仕事まわせる感じでもないんで、まあ落ち着いたら蟹と雲丹な。自宅のほうに送ってくれ。事務所じゃなくて自宅」
 縁を切ろうとしている人間に好物をねだられた。こんな関係でずるずると詐欺の片棒担ぎのようなことをしながら十年以上も繫がっていた。
 四歳下の名郷根さんとある伝手で知り合ったのは二十世紀の終わり。私は寝てないんだ! と待ち合わせたパイオニアのロビーのプラズマテレビで雪印の社長が叫んでいたことを覚えている。「お気2入り」というレーザー・ディスクのガイドボーカルをブッキング。名郷根さんの自己紹介によればそういう仕事をしている人だった。外部スタッフだがデスクを借りていると。その頃の僕は元黎紅堂の知人とやっていた明大前のレンタルショップが立ち行かなくなり新しい仕事を探していた。開店当初は他にないCDやビデオを揃えた個性的な店。しかし時代状況が変わりパクられそうなものでもなんでもと荒んだ感じになっていた。世紀の桁が改まってほどなく閉店。少なくはない負債が原因で知人とは決別。おまけに同じ頃にプロを目指して続けていたバンドも空中分解してやることがなくなってしまった。僕は名郷根さんを頼って仕事を手伝い始めた。数年経った夏の終わりにかつてNECアベニューだかヴァージン・ジャパンだかからデビューしかけたとかいう歌い手を紹介された。その頃の名郷根さんは宇田川町に自分の事務所を構え仕事の幅を拡げていた。相談に乗ってやってくれと任されたのが〝由比野〟さんだった。
 その件がもとで縁を切ろうとしている人間に僕はいま好物をねだられた。
「今日吉祥寺にいったんですよ」
 彼女の旧姓を口にしても、名郷根さんは覚えていないようだった。デモ音源づくりのいきさつを話すと、遮るように舌を鳴らした。
「あのおばさんからはもっと抜けた。駅周辺の地主の親類筋でいい歳して頭の中みごとなお花畑で、おまえがもうちょっとがっつりやっててくれれば途中でしょぼらなかった」
 言ってろ、と声を荒げたかったが自制した。名郷根さんはある種の才能を備えた人ではある。ドライで直截で、身も蓋もなく世の中を渡っていく。
 でも僕はいま本気でこの男と縁を切りたい。初めてコーヒーに手を付け、ポケットのアイフォーンを出して時間を確認すると何件か着信がありtochika という文字も見えた。
 由比野さんの歌を最初に聞いた印象はまあ悪くはなかった。学生時代の仲間のボランティアでつくったという十年前の自主音源はオーソドックスでやや拙い演奏。それでも引っ掛かりのある声で歌う自身によるオリジナル曲のいくつかはちょっと不思議な心象風景を描いていて感じるものがあった。そのときの僕は音的に新しくしてみれば──古い/新しいという音楽のものさしの是非はともかく──おもしろいものになるかなと思った。名郷根さんがうまく話を進めて完パケに近いデモ音源を再録することになった。高級車が買えそうな見積り書は僕が渡した。翌日には名郷根さんの事務所の口座に全額が振り込まれた。
「バッファロー・ドーターなんかのCDも渡してみたんですけどね。どうもピンとこなかったみたいで」
「そういう、中途半端に身入れたりするから面倒なことになったんじゃないか。客にはやりたいようにやらせて、抜けるとこ抜くだけでよかったんだ」
 アレンジャーは僕が選び名郷根さんのコネで若いミュージシャンが集められ何度かスタジオに入った。
 でも、それからが、まあたいへんで。
 由比野さんはバンドでのサウンドに固執した。シンガーとしてのデモ音源を制作するだけならわざわざメンバーを揃えてスタジオ入りしなくても。ことさら人的コミュニケーションに気遣わなくても。ましてやバンドサウンドの証としてのバンド名を最初から決めていたなんて。しかし由比野さんなりの音楽へのこだわりが名郷根さんの算盤勘定と合致して始まったプロジェクトだった。ときどきスタジオに顔を見せる名郷根さんは由比野さんを焚きつけさらに車一台分のカネが動いた。当初のアレンジャーが音信不通になりメンバーは代わり続けた(ときには僕がむかしとったなんとかで臨時に備え付けギターを弾いたこともあった)。由比野さんはなにがあっても笑顔を絶やさなかったが明らかに憔悴していた。すったもんだの末にできあがったのは僕が最初に聞いた自主音源よりさらにオーソドックスだが演奏力は高い──でも歌だけ比べても以前よりぱっとしない──ものだった。
「帰りに公園口のほうにまわったけど、すっかり変わっちゃって。ワルシャワがあったあのへんの雰囲気、好きだったんだけど」
「渋谷に移転してそのあと下北沢で店出してたんじゃないか。俺もレンタル屋の頃はな」
「えっ、そうなんですか。僕がよくいってた頃は新譜と中古の店で、なんかオルタナ系が濃くって、でっ、だんだん音響系みたいな。あそこの店名はジョイ・ディヴィジョンの昔のバンド名が由来なのかな、と思ってて」
「ちがう。ボウイの曲。イアン・カーティスがその曲好きでバンド名にしたから、まるっきりはずれでもないか」
 縁を切りたい人間にいま僕は中途半端な知識を訂正された。へし折れそうだ。
「とにかく、今日は謝ってきました。少しでも身綺麗にして、これからやっていきたいんで」
 名郷根さんは僕の内面に露些かの関心もないようだった。ポケットのアイフォーンが震え、中座して人通りの増えた路地に出る。いま暮らしている女から預金を勝手に引き出したことで罵声を浴びる。僕の言い訳が総武線の騒音に巻き込まれ、女の叫びも聞き取れなくなって電話は切れた。
 席に戻ると名郷根さんは早口で「いまどき電話使わねぇから」と腐した。まあでも長い習慣、みたいに返した僕の言葉尻で捲し立てのスイッチが入った。短くもない付き合いで心得ているのは刃向かわないこと。生返事は厳禁。持論を吐かせてうまく流していけばいずれどこかでぽつっと収束する。
「長いって、携帯ってここ二十年のツールじゃねぇか。きっと狼煙や伝書鳩や飛脚の頃から情弱はいて相手をイラっとさせてたんだ。俺は思うね。時代の変化とか世の中が、みたいにヘタレるヤツはみんな糞だ。乗れないんだよ。っていうか情弱だから決めらんないでずっと情弱のまま。全部てめぇのせいだって」
 縁を切りたい人間の言葉はまず音として厳しい。なるほど、情弱。濁音って鼓膜に障る。僕は「なるほど」と声にして流す。
「ってかおまえ、無人島に持ってく八曲とか、一生決められないだろ」
 八曲!?  レコードやCD一枚、あるいは十曲とか十枚じゃなくて?
「デザート・アイランド・ディスクスはLP流通してない時代にBBCで始まってる。聖書とシェークスピアはバンドル済みってルールで」
「ちょっと、よくわからないです」
「なっ、情弱だからわからないんだ。でっ、情弱の常で訳のわからないこと言い出す。無人島にレコード持ってっても電源はどうしたら、とか。ぷっ、だろ。マルタンヴィルからクラウドまでは一直線でソーラーうまく使えりゃ、なっ」
 縁を切りたい人間のは促音もきつい。だけれども僕は名郷根さんの汚い音の連なりの意味のかなりを理解したと思う。無人島に〜、みたいなのはつまり「決めること」に意味があるわけで、決め兼ねるヤツは自分の外側に言い訳を探して、でも外側はいつも流動的だからすぐに言い訳の土台自体が崩れ去ってさらなる難局に立ち尽くして、それはまさにここ数年の僕のことを言われているようだ。なんだ名郷根ちゃん、実のある説教をしてくれて感謝。
 僕は決めた。名郷根と縁を切ること。東京を離れること。目の前の男はまだ喋り続けていた。口を噤みアイフォーンに目を落としてメッセージを読み始める。由比野さんからは短く「今日はありがとう」とだけ。テーブルに二千円札が置かれジャケットを羽織った人影が出ていった。コーヒーのお代わりと灰皿の片付けを頼み、イヤホンをあてた。

 デモ音源完成後、しばらく連絡がつかなくなった由比野さんと吉祥寺で会うことになった。名郷根は僕に「余計な口を挟むな」と二回釘を刺し、公園口の脇にあった喫茶店の階段を駈け降りた。 二十分ほど待って現れた由比野さんはふわりとした赤い畦編みセーターを着ていた。最初は井の頭公園と成蹊大学のどっちの銀杏が鮮やかかなんて話をしていて、でもコーヒーカップが空く頃には名郷根ペースの話が進んでいた。
 今後の展開が大事です。滑らかに語る名郷根を、由比野さんは静穏な微笑みで見つめていた。展開、の具体的な内容が次々と並べられていく。二千枚プレス。特殊デジパック。デザインはノベルティやサイトも含めてコンテムポラリー・プロダクションの弟子筋に。期間限定ツアーとPV撮影。
 また車が、と思いつつ僕は黙っていた。「私は日本のSimon Cowell を目指しています」にはさすがに鼻白んだが顔に出さず由比野さんの表情を窺っていた。
 なにが起きたのかわからなかった。由比野さんの瞳が潤み小さな涙が溢れ落ちた。恥ずかしそうに指先で拭った由比野さんは笑顔を崩さず、澄んだ声で自身の決心を口にした。
「いろいろありがとうございます。でも、疲れちゃったので音楽はもうやめました」
 鉄琴のジャズが煩わしくないほど流れていた。

 コーヒーカップが空いた。イヤホンを外した。音楽をかけてはいなかった。アイフォーンには好きなアルバムが何十枚か入っているけれど、いま聞くとすれば由比野さんの曲、それも、最初に聞いた自主音源のほう。リッピングしなかったから探しても簡単には見つからないだろう。でも、まだどこかにはあるはず。
 テーブルの二千円札とレシートを持って席を立った。精算に小銭を足しながら中途半端なカネだとあらためて思った。店を出ても帰る気にならず大ガードの交差点を燈火した山手線と並んで渡り大禍時の柏木公園で高層ビルを数えてみた。

 音楽をやめた彼女と一度だけ二人で会った。年が明けしばらくして電話をもらい、神楽坂の、むかし映画館があった付近のレストランで食事をした。それから今日までは、短くはない時間。彼女は由比野さんになって新しい生活を始め、僕は繰り延べ続けてきたいくつもの事柄にきつく縛られ窒息寸前……。
「ほんとうに音楽やめたんですか?」
「うん。たまに聞くだけ。ノラ・ジョーンズとか」
「なんか、らしいですね。僕はShing02 とか、最近」
「えっ!?」
 音楽の話はその程度だったはず。彼女はよく飲んだ。スタジオ入りしていた頃はメンバーを気遣って乾杯するくらいだったのに。酔った彼女の言葉でデモ音源が完成する直前に前夫と別れたことを知った。
 近くの小さなホテルにチェックインした。思い出したくないやりとりがあって朝食はともにする約束をして一人で部屋を出た。食事に誘われたときからそんなこと露些かも、では噓。でもあのときは受け入れられなかった。その理由そのものより理由を言葉にしてしまうことが憚られて苦しかった。パズルのピースが残りひとつふたつになってもうパズルを解く楽しみではなく完成させることの楽しみしかなくて、そんなんでの絵合わせは寂しいだけ、みたいな抵抗感があったんだと思う。そのピースが僕ってのがたまんなく嫌。なぐさみものみたいな。それ僕じゃなくてもいいんじゃない、みたいな(いまの僕はあのときの彼女よりいくつか年齢が上になった)。
 新宿に出て時間を潰しホテルに戻った。まだ臥せっていた彼女はなにも食べたくないと言ってシャワーを浴び、短くもない時間をかけて化粧を整えた。僕はテレビを点けてボリュームを絞り、ドライヤーの風音で途切れ途切れになる峰竜太と麻木久美子のやりとりを聞いていた。
 チェックアウトしてタクシーを拾い吉祥寺に向かった。高井戸ICの近くで渋滞に巻き込まれた。
 沈んだ目で窓の外を眺めていた彼女が突然の笑顔を向けて僕に言った。
「ほんとうにいいアルバムをつくりたかっただけ。あの頃はそれで世界が変わると思った」
 そしてすぐにまた押し黙り視線を逸らした。
 たぶん僕は「ですよね」とこたえたはず。でっ、それはかなりの本音だった。アルバムという作品の単位にこだわるのはバンドサウンドへの固執と同じで彼女の、いや世代的なスクエアさだとは思ったけれど、でも、とにかく彼女は音楽をつくりたかったのだ。トレント・レズナーやリチャード・D・ジェームスと同じ。ヤツらだって最初はTシャツやキーホルダーやトートバッグなんかじゃなく、ただ世界を変える音楽をつくりたかっただけ、といまも僕は信じている。
 彼女にはできなかった(そして僕は彼女の企みの役に立たなかった)。世界は世界を変えられる人にしか変えられない。世界を変えられない人が世界を変えようとしても手痛く傷つくだけ。世界はびくともしない。
 吉祥寺に着くと彼女は急にお腹が空いたと言い出した。開いたばかりの「ゆりあぺむぺる」でサンドウィッチをともにすると不思議なほど上機嫌になった。
 店を出て「なにか買ってあげたい」と唐突に言われた。なんでそんな気持ちになるのかまったくわからなかったが、僕は戯れに「ギターが欲しい」とふっかけた。いいよ、と即答され冗談半分でヴィンテージショップを覗いた。目を惹く一本が飾ってあった。縞馬柄でシングルピックアップのアレンビックらしき中古品。試奏なしで即決。一人で店を出ていった彼女はほどなく戻ってきて僕に太平信用金庫の封筒を渡した。いろいろいじっちゃってるけどフェルナンデスとかではない、というパット・トラヴァースに似た店員の言葉をいまも僕は信じている。
 おまけで付いた不格好なソフトケースを肩に掛けてしばらく二人で歩いた。さっきまでの機嫌が噓のように、みるみる彼女は沈んでいった。ギターのお礼になにか元気が出るようなことを言わなければと僕は思った。それで東口での別れ際、これで世界を変えてやる、とつい。その言葉も僕がこれまで繰り延べ続けてきたいくつもの事柄のひとつ。

 僕は今日、ケースのポケットに入れっぱなしだった封筒を持って由比野さんを訪ねた。新宿には夜そのものを吸い込んでしまいそうなほどの青深い空が拡がり、無数の星がみずいろの光を放っていた。

【初出:2015年4月/ウィッチンケア第6号掲載】 

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