見出し画像

これは私の体験談ではなく、当時開催していたグループレッスンの生徒さんたちから聞いた話になります。

以前は私も年に数回は行っていたものですが、体力的にキツイなあ、と思って、全然いけてない滝行。(そんな私は修行フェチ)

さて・・・某所へと滝行に行ってきた生徒さん三人。

(いいなあ、夏はいつも混んでて予約取れないから、
私なんて参加者の少ない雪解け頃とか真冬ばかりですっっ)

他の参加者も含めて、滝にて禊をしていると、レジャーに来ていたカップルが、始めて見る滝行の風景に、好奇心を刺激されたようで、無遠慮にも修行場に大接近、きゃぴきゃぴと近づいてきたのだという。

いやさ、たまたま見かけた流れで、物珍しいものを、遠巻きに眺めている程度なら、それはまあ、それで良かったのでしょう。

しかし、このカップルの場合、ミーハー丸出しというか、明らかに敬意を払っていないというかなんと言うか・・・まあ、その、ようするに単なる「冷やかし」だったらしいのです。

画像1

滝行は荒行の中でも、穢れを落とす禊の場。龍神様のおわす聖なる場所。

すると、禊にて修行者たちからゴッソリ取れた”穢れ”、”邪気”が、そのバカップル(失礼)恋人同士のところに吸い寄せられるように、ヒューっとくっついていってしまった。

それを見てしまった二人(一人はヘロヘロだったらしく)は、口あんぐり、目が点状態で、思わず、「うおう!」 だったそう。

画像2

実のところ、こういうことは珍しいことではないです。

このカップルの場合、皆が真摯に修行している場(しかも穢れを落としている場)に、それを見学するはいいが、敬意を払わないばかりか、低俗な覗き見精神から近づき、場を荒らした不心得モノだったから、罰当たりでンな目にあっちゃった・・・という言い方もまあ出来るんですけれど。

ようするに、カップルさんたちが、修行者の人たちを茶化すような下世話な気持ち・・・ネガティブな考えを持ってその場にいたから、修行に参加した人々が”穢れ”として落としたソレラを、波動の低い気持ちで引寄せてしまったんですね。

波動の法則ってやつです。

例えば、そこを神域と知らず、道に迷って入り込んでしまったとか、間違って修行場に立ち入ってしまったとか、あるいは、見学するにも、真摯な気持ちでそれを見ていれば、神の怒りを買う(あくまで例え)とか、罰が当たるような酷い目に遭うとか、そんなことは滅多にはないのです。

何にしても、波動の法則で、そのときのその人の状態(心根とか思考とか)が、どうであるか、ってのがミソ。

単純に言って澄み切っているのか、穢れているのかってことでしょうか。

ただ、汚れ物がたくさんある場所と、そうでない場所ってのがあるので、汚れが多いトコにいくと、穢れた考えをたくさん持っている人ほど、引き寄せてしまったり、影響を受けてしまうという確立は、どうしても高くなっちゃいますね。

滝行の場は、皆さんがゴッソリと世俗の垢、”穢れ”を落とす場所なので
(だからこそきちんとした作法が大切で、それを案内、指導してくれる人は重要)このカップルは、皆から洗い流されてしまった“穢れ”というエレメンタルたちからは、まさに目の前にある美味しい餌つーか新しい宿り主というか、飛んで火にいる夏の虫、だったんでしょうね。

災難といえばそうなんですが、
自業自得というか、なんというか・・・です。

画像4

さて、邪気(澱んだ氣)や穢れ(ネガティブな想念)は、この地球上いたるところ、宇宙にもたくさん浮遊していて、それは都会にも田舎にも、あちこち存在している。とくに人の多いところはてんこもり。

それは昔からあるものもあるけれど、
いま生きている我々が日々生産しているわけですから。

太陽の光(陽氣)によって力を失い消滅したり、火によって燃えてなくなることもあるけれど、昨今は陰の氣が増えすぎて、消滅やリサイクル処理がまったく間に合っていないのが現状。どんどん山盛りになるばかりですし。

そして、そのような負のエネルギー・・・穢れとか邪気とかいったものは、
それを生み出した人のところにいずれまた戻るのですが、あちこち浮遊している間、類似の波動のモノとくっ付いて、どんどん大きく成長していったりもするのです(雪だるま式に)。

で、うろうろして、大きく成長しながら、その間、色んな人に、まるで「感染」するかのごとく、張り付いたりして、エネルギーを奪ったり、ネガティブな影響を与えたりします。まるで寄生虫のように。

このようなものも、ある種の憑依といっていい。憑依するのは何も、「霊」ばかりではないのです。むしろ、元人間だった人よりも、こうした類の負のエネルギー(ネガティブ・エレメンタル及びグループ・エレメンタル)に影響されて、振り回されている人のほうが圧倒的に多かったりしますし。

「張り付く」という言い方をしてしまいましたが、その言い方は正しくないですね。まあ、きちんと説明しようとすると、多方面の事前知識を説明しないといけなくなりますので。

そう、とどのつまりが、類似の感情は類似の感情を引寄せるってことです。

怒りを持っていると更なる怒りを、哀しみにくれていると、より多くの哀しみを、不満を持っていると、次から次へと不満が・・・というように。

類はトモを呼ぶってホントです。

他人が創り出したあげく、吐き出して捨てた感情・・・それら想念や思考のゴミは、二酸化炭素と同様、たくさん存在していて、(もちろん目には見えませんが)同じものと吸引し合って、くっ付いていく。

でも、自分の中に無いものは引寄せることはできない。
けれども、持っていたら・・・引寄せてしまう。

悪循環なんですが、元を断たないことには、コピーを大量に創ってしまったり、他人の捨てたゴミをたくさん集めまくって、その影響を受けまくって、
どこからどこまでが自分で、そうでないものか解らないままに…やがてそれらに実質支配されて、自分を見失い、コントロールされてしまう人は、本当に多いのです。

画像5

とにもかくにも、もしアナタが、誰かが修行のようなことをしているのを見かけたとき、あるいは他人が真摯に何かに取り組んでいる姿を見たときには、それが滝行じゃなくて、山駆けとか、その他の方法とか、単なる瞑想にしても、お祈りや御参りにしても・・・宗教であっても、そうでないものに対しても、それはそれでちゃんと、畏敬の念を持って欲しいのです。

違う国の文化や宗教、風俗に対してもそうです。

よこしまな気持ち、バカにしたような目で見ることは止めて欲しいです。
茶化すなんてもってのほか。とくに自分のためにも止めたほうがいいと思います。宗教的儀式や類似のことに関してはとくに。今回のカップルちゃんのような目にあいたくないならば、余計に。

画像3


もし、こちらの記事を読んで頂いて、面白かった、参考になった…とそう思って下さったり、サポート下さいましたならば、心から嬉しく思います💛