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偽善的なエゴイズム~コントロール欲求②

前回から、重ねての物言いになりますが…

その人にとっての悩みの種、障害や人生を阻害する問題。アクシデントやトラブル、生きにくさや自己否定感などを抱えた人に対して、エネルギー的なワークなどの、第三者的な要因が介入することで、意味づけや理由付けがされたり、障壁としてのそれらにアプローチして、それらを取り除くことに対して結果を得るとき…

そのようなものから解放されて、肩の重荷が取れて生きやすくなったり、
物事がスムーズにいくようになったことで、その人を一定の状態に縛り付け、自分自身の在り方や人生そのものに対して、深い洞察と熟考と反省を与えるがために、足枷または行動のブレーキとして存在していた、それらから解放された途端…

それまで人生が上手くいかないことで、謙虚かつ腰低く、内省的であるような態度を示していた人が、急にエゴイズムを暴走させ、本性を思いっきりさらけ出すようになる。

…ってのを、かなりのケースで見てきました。でも、すべての人ではないですよ。全員が全員、そうなると言うことはありません。

一番怖いのは、自分のエゴイズムに当人がまったく気付けない、気付こうとしない状態です。

自分の中の邪の部分、悪の一面…エゴイズムがあるってことに気づけている人は、安心かつ安全なところにいる健康的な人です。自分をちゃんと知ってるから。客観性を持って、自分のことを理解できているという意味で。

また、エゴイズムのすべてが悪ということはなく、多少のエゴイズムが無いことには人間は生きる楽しみも向上心も持つことが出来ないというのも実はあったりします。なので、すべてのエゴイズムが否定されるべきものではないのです。エゴイズムとの付き合い方が大事なのであり、エゴイズムに主導権を渡して吞まれてしまうことなく、折り合いをつけることが重要です。

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さて、spiritualなワークとかスキルとか、そういうものに関わっていく上で
一番怖いのは偽善的なエゴイズムです。

自分のエゴイズムに気付かず、spiritualな職業に就いている人は多いのですが、これは一番危険なパターンです。

で、「他人を助ける仕事をしたい」という理由でspiritualな仕事をする人が、陥りやすい罠があります。

罠はいくつかあって、
「人を助けたい」のではなくて、「人を助けられる自分になりたい」
もしくは「人を助けられる人だと周囲に思われたい」と言うエゴイズムから、spiritualなワークをする人は多いのです。

目的が「自己顕示欲」であり「自己満足」なんですね。
まぁ早い話が承認欲求。そちらの方が分かりやすいかも知れません。
ようするに評価が欲しいんです。認められたくて仕方がない。

世の中に必要とされたくて、価値ある人と認められたくて、スゴイ人と思われたい、褒められたい…

「自己顕示欲」と「自己満足」から、私はこの仕事をしているって、
自覚がある人なら良いのですが…(良くも無いけど気付いているだけマシ)

これって「アナタのためだから」ってよくやっちゃう人。そういう常套手段と同じところから、ほぼ来ています。(エゴイズムの出処が)

相手を救いたいと言いつつ、自分を救いたいと言う自己投影とか、代償行為からの人もいるし…(代理ミュンヒハウゼン症候群的な?) ヒーローまたはヒロイン願望みたいな、そんなのもあります。

周りからの賞賛(評価)を得たくて、その職業を選んでいるパターン。

こういう人は、spiritualなワークをすることやそれらの職業に就いてはいけない人ですね。早いうちに軌道修正が図れればいいのですが。

ここに自分には人を救う力があるって、そういう勘違いが加わってしまうと、手に負えなくなってしまいます。

でも、そうなる前に、現実を前にしたりどこかのタイミングで、
「こんなはずじゃなかった」「思ってたのと違う」と挫折して、
フェードアウトしたり、想い通りにならないことで、spiritualなテクニックそのものに興味を失くして、また別の好奇心をそそる
「何か輝けるものor自己投影できる対象」などを探しに行くことになると思います。(ようするにこういう人は続かないってこと)

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私は霊的真理(秘教的な霊的知識)を教えることもしていますが、同時にレイキヒーリングのティーチャーで、そっちの方が経歴としては長かったりします。

レイキというハンドヒーリングの手法を学ぶとき、他人に対して「何かサポートできる技術を得た」ことから(何か出来る力やスキルを手に入れた)…相手のために「よかれと思って」を口にして、一方的に何かをしがちな人の場合は、得てして、その相手方からしたら「ありがた迷惑」である行為の源泉たるエゴイズムをかなりの確率で加速させて、感情や行動が暴走しがちです。

そういう人もそれなりに見てきました。

この場合の「よかれと思って」な行為は、ぶっちゃけコントロール欲求
(形を変えた支配欲)なんですね。

他人や状況を思い通りに操ろうとするエゴイズム。

親が自分の子供に対して、それをしてしまうケースは実に多いです。指摘しても「悪いこと」だとは気付かないし、心の底から親心だと信じている人は
困ったことに多いですね。

家族として本人を見守ること、当人の夢や願望の実現を応援したり、ヘルスケアのサポートをするのと、「自分を満足させ不安や心配を無くすために子供の状況を思い通りに操る」ことはまったく別ものなのですが、この違いについて、そのようなコントロール欲求たるエゴイズムをお持ちな方はなかなか理解できないようです。

こういう方は、他人の問題を解決する前に、自分の問題を解決するのが先なのです。本来は…

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自分が「いいこと」をしているって、思いたい人は本当に多いです。
感謝されたい、評価されたい、認められたい。
大人になっても子供のままで、そういう自分の成熟していない、満たされていない感情について、気付いていない人はたくさんいますよね。

うちにレイキを習いに来る人は、だいたい個人セッションを受けて、自分の問題解決のために何度か通ってくれた後で、それで自立のためにレイキ習おうと、そういう人がほとんどですけども、もちろん個人セッションは受けずにダイレクトにレイキだけ習いに来る方もいたりします。

こういう方がいました。

皆で食事に行ったとき、他の人に何が食べたいかほとんど聞かず、自分が食べたいものをこれとこれとこれと、勝手に頼んでしまうのです。
(大人です。お子さんもいる人です)
率先して動いてくれるので、一見すると気働きが利く方に見えるのですが、実のところ、そうでは無いのです。

周囲に配慮しているようで、まったく配慮していないんですね。気を利かせて他の人の代わりに頼んでいるようで、「何食べたい?何が好き?嫌いなものは?」などと、他の人に対して聞いていない段階で、それは独断的判断なんですね。

「気が利く私」と言われたいのか、自分の気持ちだけで動いているんです。
親切に見せかけた自分の気持ちや意見の「押し付け」になってしまっていることに、本人はまったく気付いていません。

みんなのために、他の人のために頑張っている私。当人がそう思っているだけで、周囲はそう思ってはいないのです。
他人からして、「仕切りたがりの女王様(鍋奉行)」「親切の押し売り」になってしまっている事実。

その事実をその人は見ようとはしません。目を背けて知ろうともしません。
指摘しようものなら逆切れです。

「他人のためにこれだけ考えてあげられる私」
そのエゴイズムに騙されているので。

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そして、自分(性格)には何も問題がない。自分がすることに問題はない。
(誰も自分を制止したり、反対意見を述べないから、歓迎されていると…でも、普通ほとんどの日本人は上記のような場面において、はっきりと注意したり反論したりはしないものです)と思っているので、自分の問題と向き合うよう機会や時間を自ら持とうとすることは無いでしょう。

ヒーリングもspiritualなテクニックも、他人を操るためのものではない。

…と、いくら説明しても、耳から零れ落ちてしまうのです。

なので、エゴイズムによるすり替えが起きてしまう。
このような人には、霊的知識の初歩的な知識を教えたとしても、これ以上のことに関しては都合の良いように解釈されたり、よしんば悪用されてしまう…と途中でお断りすることになります。

また、こういう方もいました。

レイキを習得した後、カルナレイキを受講したいという人がいたのですが、(上からの)許可が下りなかったのですね。でもライタリアンレイキなら良しとのことでしたので、そちらをオススメすることになりました。

レイキヒーリングという、ハンドヒーリングが出来るようになって、当初はご主人やお母様そして、ご友人たちに対するサポートが出来るようになって喜ばれていたのですが、ヒーリングの結果が出るようになると、欲が出てこられたようでした。

最初は奉仕の精神に火が点いたようで、「世の中のために何か出来ることがしたい」と口にされていたので、

その当時、私は「お祈り隊」と称した、特定の人々や地域に対するヒーリングアプローチを生徒さんや有志の人たちに声がけをして、行っていました。なので、それにお誘いしてみたのです。

ですが、その方は、私がやりたいこととはちょっと違う。こんな不特定多数の人への曖昧なヒーリングではなくて、北朝鮮の首席を改心させるような働きかけをしたい。世の中を変えるためのもっと直接的なこと、そういうのやりませんか?と…

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ようするに、単純な「祈り」とか、災害にあった土地や人々への癒し的なことでは、世の中をよく出来ないし、あまり意味がない?みたいな…そんな風に思われているようでした。

すると…私にまた何かが、"下りて"きましたw

唐突にその方が好きなアイドルと、所属事務所が昔行った社会悪的な行為。
そういう話を私にさせたのですねw

まぁ、誰だって自分が好きな芸能人や憧れている人のことに関して、よくない言われ方をされたら当然、気分を害しますよね。

はい、当然ですが、激おこされましたよっっ

私もなんで今さらな、そんな昔のことを急に自分は追及しているんだ?
でした…(メッセンジャーに使われちゃったから仕方ないけどっっ)

さてさて、その方は結局いつの間にかヒーリングにも興味がなくなったようで、御縁は絶えることになりました。

そして、なぜ私がその人に対して、そんな話をさせられることになったのかと言うと…

北朝鮮の首席がしていることと、あなたが大好きだったアイドルが、とある人に対して行った、その人の人生を狂わせた不実な行為との、何がどう違うんだ?って指摘なんですね。

たかがアイドルと、一国の首席を一緒にしても…?? ではあるものの。

していることの重みって、実は対して変わらなかったりします。

そしてその方に対しては、自分が好きな人がした「罪」は許せるのに…そのアイドルさんの…人としての道を外れた行為は許容して見過ごして一切追求しないのに、それはOKと言いながら、これはNGと…どうして自己判断してジャッジするの? 自分がジャッジしてNGな行為を、この世にあってはならない事象であると決めつけ、自分が考える善に変えようとするの?

話したこともない相手のことを邪悪のリーダーであると決めつけて、自分が考えるところの善を行動する人にどうして変えようとするの?
自分にその権利があるとどうして思うの? 
どうして自分が善悪を決めることが出来ると思うの?

世間一般から明らかに叩かれている、あなたのアイドルのことをあなたは全面的に庇うのに…彼の罪や傲慢な考えをあなたは更生させようともしないのに…その被害にあった人を癒そうともしないのに…??

こっちは悪でなくてこっちは悪だと?

そういう指摘、問いかけですね。それを言わされたんです。

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北朝鮮のことを言う前に、少し前に騒がれた芸能界や芸能事務所の闇や忖度、そうした力関係によって潰された人たち、運命を狂わされた人たち、
あなたの大好きなアイドルの被害者。

そっちを考えることのほうが先では?

辛い想いをしている人がいるのはどっちも同じ。世界情勢のほうが優先順位が高いってのでも無い。もちろん、世の中で起こることの全てのことに対して、何か出来るというほどの力なんて無い。

結局のところ、その方は「何かが出来る自分」に成りたいだけなんですよね。力が欲しいんですよ。自分でコントロール出来る対象が欲しいだけ。何かに対して影響力を与えられる自分に成りたいだけ。

その対象となるのは大きければ大きいほうがいい。その方が何か成し遂げた「達成感」があるから。アプローチする対象が大きければ大きいほど、
(世の中の重要度、注目度が高いということ) 自分がそれだけ大きくて偉大なことが出来た…

と言う自己満足が得られ、偽善的な欺瞞が満たされるという錯覚、をするのです。これは実のところカタチを変えた、征服欲なんですよね。

子供向け特撮に出てくる悪役がよく言う、
「世界征服」的な支配欲と表裏一体なのです。

世界の人々(世の中や社会)にとって、一見すると善い事で行いだと思えることなのですが、これもある意味で形を変えた「野心」「野望」なんですね。

そういうエゴイズムを持つ人も多いです。そしてまたまだ続きます。

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