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日記 #1(1/7~1/8①)

淀んだ水が溜まっている。それが一気に流れていくのが好きだった。
決壊し、解放され、走り出す。
淀みの中で蓄えた力が爆発して全てが、動き出す。

『宇宙よりも遠い場所』

日記

1/7

 留学へ旅立つ日だ。規定重量をややオーバー気味のトランクふたつに、めいいっぱい電子機器を詰め込んだバックパックを持って、わたしは家を転がり出た。わたしの家にはエレベーターがないから、荷物を下に降ろすだけでも重労働。汗がとめどなく溢れていく。後悔先に立たずとはこのことで、玄関を開けて数m、すでにわたしは荷造りをした過去の自分を恨んでいた。さすがにこの量の荷物をかかえて、電車を乗り換え羽田まで行く気力はない。それを見越して直通バスを予約していたものの、運搬に必要な負荷を考慮することができず、いきなり乗り遅れてしまった。前途多難な旅の幕開けである。

 気と予約を取り直し、なんとか羽田空港に着く。ここで一緒に留学へ行く友人たちと待ち合わせていたのだが、どうやらひとり寂しく来たのはわたしだけのようだった。やるせなさを覚えながらも、せっかくだからと重荷とともに第三ターミナルを彷徨くことにする。ここに来たのは数年ぶりだ。多くのひとにとって、海外との玄関口とは成田国際空港を指すだろう。かくいうわたしもそのひとりで、羽田空港から国際線に乗り込むのは今回が初めてのことだった。第三ターミナルに限ると、前回来たのがおそらく初めてであり、それも友人の見送りという名目でだ。それがコロナの前だったか後だったかは覚えていない。ただし空港は閑散としていた。羽田お得意の日本橋を模したような建築を仰ぎながら、そのときのことを思い出そうとするも、思い浮かぶのはそこに誰がいたかと、ゴム膜が上から握られたような屋根から、燦々と差し込む明光のことばかりだった。そのときはひとたびの別れに寂しさを感じていたはずなのだけれど、振り返るとこれだ。それだけの月日が立ったのだ。そして時間は暴力的なまでに、なにもかもを洗い流していく。

とても綺麗な空港。

 なんとかチェックインを済ませて、保安検査場も潜り、ひと息をつく。自販機をまえにし、これを見るのも次は半年後だぜと軽口を叩くと、友人たちからは苦笑いされてしまった。しかし、だ。いつでも心と夜道を照らしてくれる、最近は特にお高くとまるようになってきたインスタントオアシスを、日常的に見かけなくなるというのはちょっと心細いと思うのだ。それほどにこいつらはわたしたちの日々に侵食している。わたしは170円を投入し、綾鷹にしばしの別れを告げることにした。それにしても値上がった。はじめて綾鷹が陳列されたときは、130円か140円だったはずだ。それを考えるとずいぶんと立派になったものだ。そんな立身出世した綾鷹をお守り代わりにし、綾鷹みたいになれるようにという願いを込めて、いよいよ機内に乗り込んでいく。

 フライトはまず、イスタンブールまで13時間と少し、そしてトルコはイスタンブールにて目的地であるストックホルム行きの便にトランジットする。ずいぶんな長旅だと思うのだが、まだ満足されない方がいるようで、乗り込んだあとに出発が一時間弱遅れることがアナウンスされた。どうせなら乗り込むまえにに決めてくれればいいものの、空港の状況を鑑みると致しかたがないのだろう。まあ遊び道具はいくつも持ってきている。持久戦ならどんとこいだ。隣に座っていたお兄さんが、がさごそとSwitchを取り出したのを見て、こちらも負けじとSwitchで耐久戦を始めることにした。勧められたパラノマサイトを起動する。進めていくと、七不思議をモチーフにした、異能力看破推理ADVらしいということが分かる。ロールプレイする先が、呪術師ではなく呪物側であるというメタ的な設定がなかなか面白くて、オープニングが終わるまでひと息にプレイしてしまった。このタイミングで乗り込んでから2時間すぎほど、動き始めて1時間半がたち、機内最初のご飯が配られ始めた。

 海外に行くときの楽しみのひとつに、機内食がある。ただそれは純粋な楽しみではなく、どちらかといえば本日の給食は〜? と二時間目の終わりくらいにカレンダーを見に行く小中学生の楽しみに近い。機内食は航空会社によって、さらには発着陸の空港によって、出されるものが千差万別に存在するからだ。出される機内食によって、航空会社の格が分かる。今回は当たりの航空会社だった。事前に配られたメニューには、ふたつのオプションが書かれていた。チキンオアフィッシュではない、ターキッシュオアジャパニーズだ。メニューの内容を見て、一度目の機内食にはジャパニーズを選択する。主食はぽん酢とチキンの団子で、食べてみるとほのかに梅の味がするという、お初にお目にかかるがたしかに親しみのある味だった。さらには外資系航空会社の機内日本食あるある、謎のそばもついている。『よりもい』でもキマリたちが、「これってそば〜?」と声をあげていたことを思い出す。そばにしてはグリーンモンスター並みのベタ緑なそれは、しかしそばとしかいえない。お得だなと思ったのは、隣の客がビールを注文したときだ。ハイネケン一缶が手渡されていた。エコノミーでフリーにビールが頼めること、さらには一缶まるまる手渡される豪勢さ。なかなかに太っ腹な会社だ。

大根おろしにびっくりした。

 フライトから三時間半経ったころ、機内でアクシデントが発生した。日本時刻にして3:30、あかりは視界を残す程度まで消灯され、方々から寝息が聞こえるようになってきた頃合いだった。わたしの座っていた隣の隣ーー具体的には同列別島ーーの客が体調不良を訴えたようだった。アイマスクを外すと、いつしか通路は慌ただしくなっていた。クルーが水を持ってきては去り、そして彼らの声は段々と大きくなっていく。埒が開かなくなったのだろうか、ついに、機内にアナウンスが流れた。「急病人が発生いたしました。お客様の中にお医者様はいらっしゃいますでしょうか」。不謹慎にも、最初に感じたのは、本当にこのアナウンスってあるんだという、フィクションが現実に化けて出たような、あるいは自身が虚構世界へと神隠しにでもあったようなぞわっとした感覚だった。同時にこれは一種の防衛機制だったのだろう。直後、航空機が巨大で堅牢な密室空間であることに、わたしは身震いした。アナウンスを聞きつけたひとが、急いで座席にやってきた。眼球運動を確認し、ふたたび水を含ませ、患者を横にする。かれの服には水が滴っていた。かれの安静と、無事を祈っている。

 耐久戦も中盤を乗り越え、終盤に差し向かいつつある。中盤で必殺・睡眠を六、七時間ほど繰り出したから、もう二度寝することはできず、持ってきたKindle端末で本を読む。とはいえだんだんと足も痺れ始め、集中力も長くは続かず、あたりをキョロキョロしながら日記を書き始めた。しばし執筆に勤しんでいると、朝ごはんの時間のようで、機内がパッと明るくなる。メニューを見ると、オムレツか焼きうどんかの二択らしい。安牌をいくならばオムレツだろうが――実際直前までオムレツとコーラのコンボにしようと決めていた――外資の航空会社で出る焼きうどんを見たいという欲求に抗えず、「ジャパニーズ、プリーズ、ウィズグリーンティー」と言ってしまった。どきどきしながらアルミホイルを剥がすと、そこには、簡素なでも間違いのない焼きうどんがあった。味は薄めに作られていたものの、これは焼きうどんだ。機内食で焼きうどんが食べられるとは、うれしい誤算への喝采をあげ美味しくいただく。付け合わせのひじきも美味しかった。変に外国ナイズドされておらず、ひじきそのままの味である。起き抜けなのも忘れ勢いよく掻き込み、無糖無乳の緑茶で流し込む。着陸まで残り一時間と少しだ。

朝食焼きうどんって冷静に考えると結構よね。

1/8 ①

 トランジット先のイスタンブールにてわたしたちを待ちかまえていたのは、金色に光る絢爛な免税店の数々だった。そこまで詳しくないわたしでも分かる、トップオブトップのブランドたちが、旅人を向かえ入れんと輝きを放っている。イスタンブールといえば、地政学的な要所としてのイメージが強い。アジアとヨーロッパを繋ぐ無二の地は、その地理的利点を活かし栄えたという。今日にも、その贅のまたたきが届いていた。とはいえ一留学生の身分であるわたしたちとは縁遠い世界だ。煌びやかなそこを尻目に、わたしたちは肩の荷をおろすことのできる場所を探すべく、空港を練り歩く。せっかくだからトルコっぽいものを口にしたいという合意のもと、たどり着いたのはトルコアイスを提供しているカフェであった。いちごのそれを頼むと、カプチーノも飲んだほうがいいと強気に押し売りされる。適当にあしらえれば良かったのだが、アイスにはカプチーノのだろうという店員の進言を跳ね除けることができず、結局カプチーノも注文。負けたわけだ。アイスのほうはというと、果肉感あふれるさっぱりとした見た目に反して、かなり甘ったるい。それも海外でしか舌にできない、絶妙なたるさだ。食感ではトルコアイスの代名詞ともいうべき粘り気を感じることができた。なるほどアイスを噛むという感触がある。そのあとはカプチーノを嗜みつつ、イスタンブール空港の資本主義に翻弄され――Free WiFiが一時間以上は課金制なのだ!――、雨があがり目の前に大きな虹がかかったのを見ていると、いよいよ渡航先ストックホルムへの便に搭乗する時間が来た。

豪華絢爛免税店。


 ここまでの道のりに疲労がたまっていたのだろう、トルコの街並みを眼下に収めたあと、わたしの意識はぷつんと切れた。一時間ほどぐっすりと眠っていたみたいだった。起きたときには本移動三度目の、朝昼晩制覇となる機内食の時間だった。日本はもう関係ないから、当然オプションに日本食はない。提示されたのは肉かパスタかの二択で、わたしは肉をお願いした。メインディッシュを開けるとハンバーグにトマトを炒めたものがつけ合わされたものに米が添えてある。味も見た目通りで、満足も高い。しかし一方で、小鉢が分からない。そのなかでも、もっとも分からなかったのは、ヨーグルトのカップをおもわせる容器に入っていた、ただの水のようなものだ。この食事を経て、見たことのない様相で水がお出しされると、どう扱っていいのかが分からなくなる、ということが分かった。わたしは水を前に、飲めばいいのか、はたまた洗うものとして用いれば良いのか、さっぱり検討もつかなかったのだ。仕方がないので、隣の客に「これはなんだ?」という間抜けな質問をする。当然返ってくるのは「水だ」という簡潔な答えだ。怪訝な顔をされる。「飲むのか?」と訊くと、「飲むんだ」という。試しに飲んでみると、たしかにただの水だった。ただの水なのに、わたしはカップ一杯のそれを、飲み干すことができなかった。

隣の人は水を飲んでいなかった。

 雪山を越し、バルト海を跨ぎ、飛行機はスウェーデンの領空へと侵入する。ふと窓を見やると、そこには、幻想的でただ美しい雪景色が広がっていた。おもちゃの世界のように平坦な地平は一面が真っ白で、ぽつりぽつりと集落がまとまっている。雪面を汚すものはなく、ゆえに雪のない道路とのコントラストが鮮明に飛び込んでくる。後戻りの効かなくなった都市計画ゲームのように、はっきりと分けられた区画とそれらをつなぐ曲がりくねった交通路が、たしかにそこにある生活を感じさせる。それは想像に訴えかけてくる景色だった。およそ丸一日かけて、わたしは、北欧へとやってきたのだ。

風の辿り着く場所。


エタらない程度に更新します。

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