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ただそこに在ること

生きる意味なんてものに日本人が固執し始めたのは、戦後あたりからじゃないだろうか。

それまでの時代は生きることに精一杯で意味を考える余裕など無かったんじゃないか。と思うのは、まさに生きるのに精一杯な人々を田舎で目にして育ったからだ。

血のつながりで決められたコミュニティの中、それぞれの役目をこなして生活を成り立たせる。

男は稼ぐ、女は後継を産む、育てる、家族の食事を用意する、家族の服を用意する、家を整え家族の身の回りの世話をする、子ども達は暮らしの手伝いをする。魚を釣り海に潜り田畑を耕し、自然災害を耐え、牛や鶏の世話をし、生まれてから死ぬまで自然と共に生きる彼らは生きること自体が目的で、そこに意味など必要なかった。とにかく生きて自分の子供を一人前にできればそれで人生百点満点。そんなおおらかな空気があった。今もまだ故郷の九州にその古い文化はかろうじて残っているだろう。生きる意味が無いなど、私の祖母(や故郷に住む人々)に言わせれば、都会の暇な人間が持つ贅沢な悩みなのかもしれない。

『人間の土地へ』を読んで、シリアに暮らす人々の生活を読んで知った時、その空気が故郷にとてもよく似ているなと思った。しきたりの多さや女性の弱さ、生きること、子供を育てることが目的だからこその大らかさも、生きるために狡猾になる人々も。

【やがて自分たちがこの世を去っても、生きた証は子孫の血と文化に引き継がれていく】

そのような文化は日本にもあったし、今も受け継いでいる人達がいる。


「人間の土地へ」を読んでいて驚いたこともある。

シリアの内戦が始まり、民衆に銃を向ける政府軍と反体制派の争いで身の安全が脅かされるようになった沢山の人々が危険を冒して周辺の国々へ逃げ、難民となった。難民キャンプは安全ではあるが仕事が無く、食糧の配給も無い。そんな状況では当然なのかもしれないが、シリアに帰りたいと願い、実際帰ってしまう人達が数多く存在するのだ。

命からがら逃げてきて、難民になってなお命を繋いでいくには厳しい状況で、再び命の保証がない母国へ帰る…そんな選択をせざるを得ない人々がいる。

彼らは「命の意義」を求めて祖国に帰るのだと言う。

『ヒマラヤの山々は、私に〝命が存在することの無条件の価値〟を気づかせてくれた。

人間がただ淡々とそこに生きている。その姿こそが尊い。』

K2登頂という極限の世界を体験した著者の小松さんが辿り着いたこの境地は、内戦が起こる以前のシリアの人々の宗教、文化の中に息づいていた感覚でもあったのだろう。『生きる意味』『命の意義』は、かつては文化の中にあったのだろう。

その文化が内戦により破壊され、シリアの人々は生きる意味を探し始めた。それは文化を削り取った都市に生きる日本人にも通じるところがある。

生きる意味を問いたくなってしまったら、小松さんの言葉を思い出したい。

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