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ナカグロ打ったり打たなかったり 『マッドマックス 怒りのデス・ロード』より

自分への退院快気祝いに『マッドマックス:フュリオサ』"Furiosa: A Mad Max Saga"(2024)を岡山イオンのIMAXで観たり、そこから遡って『マッドマックス 怒りのデス・ロード』"Mad Max: Fury Road"(2015)をNetflixで観たりしていたのですが、改めて「怒りのデス・ロード」ってちょっと何言ってるかわからない凄い邦題ですよね(笑)

原題は'Fury Road'なのだからかなりの意訳というか超訳だと思うのですが、定着しきった今となっては他のタイトルはありえないと感じるほど。その経緯についてはこちらの記事で命名者の出目宏さんが語っておられます。

特に、その2ページ目の方では、「デス・ロード」の真ん中にある中黒(ナカグロ「・」)についても言及されています。

──ちなみに、前からすっごい気になっていたのですが、『怒りのデス・ロード』の「・」(ナカグロ)には、こだわりがあるんですか?

出目「おお(笑) ありますね! たとえば、「・」なしの『デスロード』だと、“流れちゃう感じ” がする。スーッと行けちゃう感じがする。

でも「・」を付けて『デス・ロード』にすると、“簡単には通れない道” という感じがする。衝撃というか、障害というか、“敵がいる感” というか。そういう意味では、「・」はイモータン・ジョーなのかも知れません。

あとは、「・」を付けることによって『デス』を立たせたかった。デス感を際立たせたかったんです。そういう思いで出来上がったのが『怒りのデス・ロード』……」

このナカグロについては個人的にも前から気になっていることだったので、命名者のこだわりは興味深いところでした。

本来、ナカグロは単語と単語の合間に打つものなのですが、逆に、このインタビュー記事では触れられていないけれど、同じこの邦題の中でも「マッドマックス」'Mad Max'の方は「マッド・マックス」とはしていないんですよね。これは命名者さんの理屈で言うと「マッドマックス」とした方が「流れちゃう感じ」が出て良いということなんでしょうか。一かたまりの固有名というニュアンスが出ると。ベルトルッチ監督の『ラストエンペラー』"The Last Emperor"(1987)が「ザ・ラスト・エンペラー」ではないように。

非常に細かい部分ですが、観客が最初に認知する作品の顔とも言えるタイトルの印象の重要性と伝え手のこだわりが感じられて面白い記事でした。

それで言うと、つい先日Apple TV+で観た『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』"Killers of the Flower Moon"(2023)の邦題「フラワームーン」が本来の「フラワー・ムーン」でないあたりも気になるところ。おそらくこの語を一かたまりとした方が詩的な印象があると判断されたのでしょうか。

ただ本作について個人的には原作『花殺し月の殺人』の邦題が好きですね。漢字の持つイメージ喚起力を感じられるから。

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