本当にやさしい人になりたいなあって

死ぬほどくずなのに、それを見せたくなくて結局ひとりを選んでしまう。

 私はくずだ。たぶん考え方とか思考とか、思ってることはだいぶくずだとおもう。自分が一番大事だし、劣等感まみれだし、友達にも嫉妬するし、勝手に比べて落ち込む。面倒くさがりだし自分がしんどいと余裕もなくなる。 でもそういうくずさをどうしても誰かに気付かれたり知られたりするのが死ぬほど嫌で、誰かと接するときは何にも否定しないし、相手を気遣おうと必死になるし、相手の話を聞いて相手が言ってほしい言葉を無意識に探してこたえてしまう。

自分が思ってることや愚痴や悩みは外に出せず、ただくずな自分だけが内側に閉じ込められたまま溜まっていく。表では物分りのいい、誰にも否定されない自分をつくって、言葉を選んで、くずな部分はずっと消えない。 くずが治ればいいのになとおもう。どうしたら治るのかなともおもう。どんなにしんどくても苦しくてもこれは私がくずだから苦しいのだと理解できてしまってるから、誰にも何も言えない。仲良くなった友達にも、どうしてか晒せない。晒せないまま、しんどくなって、いつのまにか全部手放してしまう。 根から明るい人間になりたい。根から綺麗な人間になりたい。いい人を取り繕っても限界がくる。いい人でいたいのに、私の内側に溜まっていくくずさが反動のようにどんどん私を引っ張る。それでも、限界まで来ても、まわりには絶対に見せたくなくて、ひとりでこうやって吐き出してる。いい人でいられなくなったら、ひとりを選ぶ。そしてまたいい人でいられるようになったら誰かとかかわる。その繰り返しだ。

 たまに、本当にきらきらしてる人と出会う。たぶんその人もいろんな悩みや悲しみや苦しみがあって、それでもきらきらしてるんだとわかってるけど、そういう人を見るとどうしたらいいかわからなくなる。 どうしたらそうなれるのだろうか、とおもう。 なんとなく今みたいに自分のくずさを自覚しながら大事に誰の目にも触れないように溜めていては変わらないのだろうなとおもう。 誰にも晒さなければ、自己嫌悪だけで済む。誰かに晒したら、誰かに否定されてしまう。 否定されるのは怖い。たぶんわたしは死ぬほど傷付く。仲良くしてくれる人なんて、私が大好きな人たちだからなおさらだ。 だから否定されないように、内側に溜まったくずさが限界値を越える前に距離をつくる。 そうやって守ってきた私のなかのくずさは今どうなってるんだろう。きっとすごく悲惨なんじゃないだろうかとふとおもってはぞっとして、なおさらもう誰にも晒せなくなる。 どうしたらこれは溜まらなくなるのだろう。どうしたら自分を成長させられるのだろう。

 変わりたいなあと思ってる、それだけの、それだけのはなし。 そしてたぶんこの文章にすら、ある程度くずさを隠したい意識が滲んでるのがわかって今すごくかなしい。

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