ダメだっていつまでもわたしは

私ってたぶんどこまでもだめです。なりたいものは沢山あった。きっとなれると思っていた。いや、なれなきゃ生きてる意味ないと思ってた。周りからすごいと言われたかった。欲しいものはいっぱいあった。

でも、欲しいと素直に手を伸ばせないことばかりだった。私なんかには結局無理だと心のどこかで思ってた。根っこにこびりついた無力感に、負けて。無理だと突き付けられるのが怖かった。他人に無理だと言われるのが怖かった。馬鹿にされたくなかった。そうやって何重にもおさえつけてきた欲求がいつまでも成仏しない。

私より五歳も年下の人が、私より活動的に、なにも恐れず、自分の欲しいものに真摯に向き合って、手を伸ばしているのを、私はぶち壊れた精神と乱れた生活のなかで見ている。若いから、きっと私よりいくらでも可能性がある。裕福だからきっと余裕がある。あの人はきっと私が欲しがったものを全部手にいれられる。そうわかってしまったときの、胸をかきむしりたくなる焦燥と絶望をずっともて余して。未だに諦めきれもせず、でも15から数年間心を失くして、失った時間を思って、その時間を無駄にしなければ私にだって、と何度も馬鹿げた夢想をする。

かっこわるい。

今からでもやればいい。血反吐を吐くくらい無理をしてでも、毎日頑張ってストイックに生きれば。そこまでしてやっとわたしは他人を妬むことが許されるのに?一度壊れたものに足をひっぱられ、私は結局頑張ることすらままならない。言い訳だ。言い訳だ。死ぬ気でやれよ。そうしたら変わるかもしれないのに。なんてそんなのは全部意味がない。私は終わってる。そんなのわかってる。中身は未熟なまま、身体だけ歳を重ね、老いる。こんなに怖いことある?お前には無理だとかけられた言葉が、殴られた感触が、蹴られた屈辱が、呪いみたいに私にこびりついている。私だってほしい。なりたい。ほしい。なりたかった。今からでも


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