オンライン時代の住処

新型コロナウィルスの猛威によって、僕達は感染予防のための外出自粛という選択を迫られました。 そしてそれは、僕達の生活のあり方を一変させ、外出することで得られていたものを全て奪い去りました。それによって経済の成り立ちも大きく変わり、今大きな転換を迫られています。
そういう時代の変化の中で、がぜん価値を上げてきたのが「オンライン」です。

もちろん今までもオンラインの世界は存在していましたが、感覚的にはあくまでもリアルな世界の補完的な立ち位置だったり、リアルな世界では味わえない付加価値を得られるものとしての位置づけが強かったように思うのですが、このコロナ騒ぎの中でメインの「社交場」としてのポジションを獲得して、もはやリアル世界の付属ではなく、重要な選択肢になりました。

とはいえ、オンラインがまだまだ当たり前ではない人も多くて、都市部から離れれば離れるほどその傾向は強いんじゃないかと思っています。
まだまだオフラインのコミュニティが基盤ですし、多くの人が身近なコミュニティ(友人、職場あたりかな)で生活自体はまぁまぁ担保できてるので、閉塞感や窮屈感を感じさえしなければそれで満足してしまう、というのも現実かと思います。

ただ、これからコロナの影響がどこまで続くのか、それによってリアルなコミュニケーションがどこまで抑圧されるのか分かりませんが、オンライン時代が到来していることは間違いなくて、僕らはそれを「積極的に身に付けていく」のか「必要に迫られるまでほっておく」のかを選択しなければいけません。
今まであまり使ってこなかったとしたら、新たにいろんなことを覚えるのははっきり言って面倒でだから余計にとっつきにくくて、なんとなくそのままにしてしまいがちになるかも知れませんが、すごく極端な話、もし本当に海外みたいに外出に許可が必要なくらいの状況がこれから生まれたら、そんなこと言ってられるでしょうか? 今回のコロナ騒ぎが一段落したとしても、今後こういう状況って多分またやって来る、と考えるほうが自然で、自宅に防災セットを完備するのと同じような
意味合いで捉えておいたほうがいいんじゃないかなぁ、と僕は思っています。

 

 
 

さて、それを踏まえて、オンライン(仮想空間)の過ごし方について、
少し整理しておく方がいいかな、と思うので、あまり福祉感は少ないかもしれませんが時代の動きを知る、という観点で少しお付き合いください。


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現実空間での場所の「価値」は少し変わってきた
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今回のコロナ騒ぎで、よく話題になっていたものの中に”テレワーク”と”オンライン飲み”というのがあります。
これらの新しい働き方や楽しみ方を通じて、確実に浮き彫りになってきたことは、
 
あれ?通勤しなくても全く仕事に支障ないんじゃね?仲間内で飲むなら居酒屋いかなくても楽しめるじゃん!
 
 
です。

もう少し考えを進めると、人によっては、
「わざわざ都心部に住まなくてもそこで仕事ができてしまう」ことを実感した人がいて「いわゆる場所代やサービス代を払わなくても楽しめる」ことを実感した人がいる、ということです。
 
 
今まで「通勤ありき」と思っていた会社は、そこに時間やコストを投じるよりも、テレワークにできるものはテレワーク主体にしたほうが生産活動が柔軟に行えるというメリットを肌で感じてしまったので、おそらく企業の中でも、一部ないし全てをテレワークに切り替えていくところは増えていくでしょう。そしてここからスタートアップしていく企業は、最初からテレワークをひとつの選択肢として捉えていくでしょう。

 
そして、今までは友人と飲む際に居酒屋を使っていた層は、ZOOM飲みを覚えてしまったので、特にまだ所得の少ない若者は確実にそっちを選ぶ人が増えていくと思います。友達2〜3人と飲むならよほど理由がない限り、わざわざ高いお金を払ってそういう場所で飲む必要がなくなるからです。
つまり、今までは「ちょっと飲みに行く」に使われていた居酒屋は確実にニーズを減らします。
 
 
こうなってくると、場所の意味合いは随分変わってきます。
 


テレワークで仕事が賄える人は、わざわざ都心に住まなくてもよくなるので、もしかしたら都心を離れて暮らす人が増えてくるかも知れません。だって都心は住む「コスト」が高いですから。
そして、いわゆる飲み屋関係は、「わざわざそこへ来たいと思う」理由を生み出さないといけなくなると思います。つまり、空間としての価値が高かったり、商品の価値を高めたり、「用途」としての価値を高めていかないと今までみたいな使われ方をされなくなると思います。
 

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オンラインの住所はひとつじゃない 使用してるSNSと参加してるコミュニティの数だけある
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日本とアメリカとイギリスとインド、みたいな感じで、オンラインの世界にはいろんな国(コンテンツ)があります。ただ、どこかだけにいるばかりじゃなく横断している人もいます。
Facebook, LINE, Twitter, Youtube, などそれぞれが自分の用途にあったコンテンツを使っていたり、どれも使っていたり、使うコンテンツごとに用途を分けていたり。。。


もはやいわゆる発信が行えるツールにはそれぞれそれを「好んで」参加している人がいて、そこでいろんなコミュニティが形成されているということです。

 
それがどういうことかというと、例えばリアルではすぐ隣りにいる人かもしれないけれど、オンラインではもしかしたら「異国の人」ということがありうる、ということで、逆に顔も合わせたことがないような人が実は自分のコミュニティの中にいて結構意見が合う人、ということが起きてくる、ということです。
 

 
ちょっと変な具合ですが、オンラインが混じってくる世界というのは、つまりコミュニティとコミュニケーションがパラレルに展開される、ということです。
 
 
もちろんオフラインに重きを置く人からしたらそこはあまり関係ないことかも知れませんが、これからオンラインという手段を用いていく上では、この部分はそこそこ感覚値として持っておかないといけなくて、この住所を間違うとそもそもコミュニケーションを図ることが出来ない、ということが起きてくるんです。
 
 
リアルで言う国籍や住所みたいなものは、今や用いているSNSのアカウントやURLなんです。
そして、それはひとつではなく人によって複数所属している、ということです。
そこを知っておかないと、あまりオンラインを用いる意味はないかも知れません。

ビジネスであれ、プライベートであれ、より多くの人にリーチしようと思うと、いろんなチャンネルに届ける必要性が出てきます。ただ、国籍が違うと言語や習慣が違うように、オンラインツールについても例えばFacebookとTwitterでは同じ
テキストでも使い方も文化も違います。Youtubeに至ってはそもそも動画ですし、noteなどはブログのようなカタチだけど、そこにコミュニティが生まれたりもしています。
なので、「多くの人に届ける」目的ならあらゆる言語(ツール)に合わせた伝え方を持たないといけませんし、そもそも届ける層がはっきりしているのであればその言語をしっかり使いこなせないといけない、という手間が生まれる、ということですね。

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双方向のコミュニケーションをどういうカタチで生み出すのか
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コロナに限ったことではないですが、今の時代のオンラインという環境は、「受信」ありきではなく、それぞれの個人は受信者であり発信者でもあります。つまり、必ず必要なのは「双方向のコミュニケーション」であり、相手が発信する余白を必ず用意しておかないといけないということです。
Facebookであればグループを作るのか、企業ページから発信していくのか。
Twitterでリンクを貼りながらフォロワーを増やしていくのか。
Youtube配信でコメントのレスポンスを生み出していくのか。
 
 
今のオンラインの住民を相手にする時は相手が「何かしら発信をしたいと思っている人」が必ず一定数いることを理解した上で彼らとのコミュニケーションから口コミで広がったりコミュニティが盛り上がったりするので、自分が発信して終わり、という使い方で完結させたらもったいないと思います。
 
 
ここは考え方のシフトチェンジが必要だと思いますが、未だにインターネットの世界は「ホームページやブログを眺める」またはゲームなどをプレイするような感覚、つまり「画面上に上がってきた情報を享受する」というものだと認識している人も少なからずおられるのではないかと思います。 
でも、それは一〜二世代前の認識なような気がしていて、今の使い手はそこに「温度」を求めています。それがコミュニケーションであり、繋がりの感覚なんだと思います。
 
 
昔、携帯電話が普及し始めた頃に、それでも固定電話ありきを押し通していた人達もいましたが、結局今は固定電話にこだわらないといけない理由がなくなってきて、実用としては携帯電話が当たり前になっています。きっとそれと同じようにインターネットがコミュニケーションツールにシフトしていくことについても、その利便性やら普及はおそらく止められないと思います。
だって、インターネットにふれずに生活することなんてほとんどの人にとっては今は難しいでしょうし、そもそもスマートフォン自体がブラウザを搭載しているので、そこでコミュニケーションが図れるのにわざわざ避ける理由がなくなってくると思います。
 
 

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オフラインの関わり方、オンラインの関わり方には違いがある
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さて、考え方をシフトチェンジしてもらったとして(#強引!)、このオンラインとオフラインでの関わり方には感覚的な違いがまだまだあると感じています。きっとオンラインコミュニケーション、という物自体はまだまだ過渡期で、今回のコロナによってこれから加速していくんだろうとは思っていますが、今の段階で、、、


オフラインは関わる相手を選べないし限定できない

⇒機会に溢れている代わりに、そこでの振る舞いや態度でいろんな解釈を
 与えてしまう難しさがある。 顔を合わせているがゆえに「本音」が言えないの
 は日本特有の「建前」社会


オンラインは「関わりたい」人としか関われない

⇒自分から求めていかないと機会は増えていかないが、特定の関わりの中での
 「深さ」は得られる。(2ちゃんねるとかはある意味のオンラインコミュニテ
 ィ)使うツールによっては、良し悪しは別にしても、自分の本音が出しやすい空
 間。オンライン特有のリテラシーが求められるしモラルも求められる。

 
『デジタル・アイデンティティ』という新しい概念が生まれつつある

⇒例えば、Facebookは実名性の高いので、わりと本来のアイデンティティに近い
 振る舞いをする
 Twitterでは匿名なので本来のアイデンティティとは違う自分で、違う層の人と
 のつながりを得る
 noteやブログでは少し自分の思考や哲学を発信するアイデンティティ

 みたいに、使うツールによって表現する「自分」を変えたり使い分けながら
 オンライン上の人格を形成する、ということが結構普及しています。
 
 
 
 
 
アフターコロナの世の中がどの様になるのかは分かりません。ぐっと外出が減ることが当たり前になるのかそれとも自粛緩和に伴いもとのような世界に戻るのか・・・。
ただ、それにしても確実に日常の中に「オンライン」は今までよりも組み込まれていきます。
 
コミュニケーションのとり方は確実に変わってきますが、適応することでもっともっと繋がりが広がったり世界が広がったりはするので、うまくチャンネルを活用していければ役に立つなぁ、と思います。

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