見出し画像

トポフィリア(Topophilia)「場所への愛」

「あなたは、なぜそこに住んでいるのですか?」と尋ねられた時に、家賃が安いから、駅に近いかから、自然環境があるからなど、さまざまな思いが頭を巡ります。また自分のライフステージ(年齢や家族構成など)によってもその答えは変化していくのかも知れません。

トポフィリア(Topophilia)という言葉があります。トポス(場所)+フィリア(愛情)を掛け合わせた造語です。ガストン・バシュラールが「空間の詩学」の中で表現した「場所への愛」という意味で、さらにイーフー・トウアンが、「知覚」「態度」「価値」「世界観」というキーワードを加えた形で「人々が持つ場所への愛着」という解釈が、一般的かもしれません。リモートワークが進む中で、どこに住むか(暮らすか)ということは、今の私たちにとってとても重要なことになりました。都会を離れ田舎で暮らすのも一つの選択かもしれません。自分なりのより良い暮らしを実現するためには、自分が住む場所に「何を求めるか?」を確認することも必要です。

私は現在、札幌市の中央区にある「宮の森」という地域に住んでいます。もう30年以上同じ場所に住んでいることになります。きっかけは、子供ができ、教育の面でも、引越しをするにはどこが良いのか悩んでいた時に、古くから知り合いの小学校の先生からアドバイスをいただきました。先生曰く「札幌市内だと、ここと、ここと、ここと、ここ以外はダメです。」というストレートな回答に度肝を抜かれたのを今でも覚えています。自分たちもクリエイティブな仕事がやりやすい場所が良いと思い、いくつかの物件を回り、最終的にこの場所を選びました。この「宮の森」という場所は、札幌オリンピックで有名なジャンプ台がある「大倉山」、子供たちが練習に励む「荒井山」、日本のジャンプ競技発祥の地「三角山」など、日本のスキージャンプ競技の歴史に深く関わっています。私の住むマンションは山に近いこともあり、朝小鳥たちのさえずりで目を覚まし、日中ベランダ側の窓を開けると、隣の高校からオーケストラの練習や、野球のノックの音、近くの小学校からは運動会の練習の様子などが聞こえてきます。何か自分が子供の頃に聞いていた懐かしさや、自然豊かな落ちつきのある環境で、子育てするにはとても良い場所だと思い暮らし始めました。気がつけば、自分の生まれ故郷の暮らしの年月をはるかに超えてしまいました。仕事を抜きにして自分がどこに住みたいかを考えた場合、故郷を思い、できればそこへ戻り人生の後半はのんびり暮らしてみたいと思う人も多くいることでしょう。それはまさに今回のテーマである「人々が持つ場所への愛着」、トポフィリア(Topophilia)ということになるのかもしれません。

「クリエイティブクラス」の提唱者として知られている都市経済学者のリチャード・フロリダは、「住む場所を選ぶことが、なぜ人生で最も重要な決断なのか?」を考え、意識することが必要だと説いています。なぜその場所に住むのか?なぜその場所を選んだのか?を再考する上で、その場所の持つ「安全性」「経済性」「地域性」は、欠かすことのできない条件と言えます。近所に何があるのか?この界隈にはどんな人たちが住んでいるのか?かつて日本人が戦後、助け合いの精神で作り上げてきた、地域コミュニティーであるご近所さんや町内会。ものがない時代に、お鍋や調味料などまでも快く貸借りをしていた時代。こうしたネイバーフッド(近所・近隣・界隈)のコミュニティーが、「安全性」「経済性」「地域性」の母体を成し得ることを、再認識する必要があります。そんなことを頭の隅で考えている時に偶然にも、地域の美術館である「本郷新記念札幌彫刻美術館」開館40周年記念展「宮の森この地が生んだ美術」に足を運びました。

画像1

「本郷新記念札幌彫刻美術館」は、札幌生まれの彫刻家・本郷新(1905-1980)がアトリエ兼ギャラリーとして建てた邸宅が美術館になった場所です。宮の森の山に近い森の中にあります。今回の記念展では、本郷新が宮の森にアトリエを構えた同時期に、本田明二(1919-1989)、八木保次(1922-2012)、八木伸子(1925-2012)など、戦後の北海道美術を代表する美術家たちが作品制作の拠点として、この「宮の森」を選んでいることに共感を抱きました。都市の喧騒から程よく離れたこの場所で、四季折々の自然を感じる雪深い森の中での生活は、きっと彼らの創作活動に刺激を与え続けていたに違いありません。現在も尚、この場所を拠点として、素晴らしい表現が生まれ続けています。

近所を歩けば、知り合いから声をかけられる。スーパーへ食材の買い出しに行けば、玉ねぎを買い物カゴに入れるい知り合いを見かける。町内会の清掃活動に参加すると、最近引っ越してきたという方から、ゴミの出し方の相談を受ける。こうしたコミュニケーションは、まさに自分が子どもの頃、親たちが日常生活で当たり前のように対応していたことです。昭和の昔と唯一違うのは、伝達コミュニケーションの手段が回覧板や立ち話から、SNSやホームページに変わったことです。しかし手段がデジタルになっただけで根本は変わっていません。デジタルネイティブな世代がどんどん親になっていきます。確実に今の日本は、核家族という世代間交流のコミュニケーションが取れない負のスパイラルの渦の中です。なんとかICTの技術を活用し、すべての世代が安心してネイバーフッド(近所・近隣・界隈)に、生きがいの根を下ろせるようにならないものかと考えています。

「あなたは、なぜそこに住んでいるのですか?」この問いに対して、トポフィリア(Topophilia)の視点で、「暮らす場所を見直してみる」こと、ネイバーフッド(近所・近隣・界隈)の素晴らしさを再認識することが、今だからこそ、必要な時期であると強く思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?