radikoを聴いてやっと泣けた朝
今朝、目が覚めてradikoをスマホから立ち上げた。
昨夜の深夜0時からの、STVラジオを聴きたかった。
本来は「KANのロックボンソワ」という、シンガーソングライターのKANさんがパーソナリティを務める番組が流れる時間帯。
ここ数か月はご本人の病気療養のため、様々なアーティストの方々が代打パーソナリティを務められ、10月の途中からはKANさんの所属されている芸能事務所の後輩のアイドルの方々が週替わりで番組を担当するようになっていた。
今回は、KANさんが亡くなったことが公表されてから最初の放送。
何かそのことに触れるだろうかと、番組を聴いてみた。
冒頭から女性アナウンサーの厳かな声で始まり「番組の前にSTVラジオからのお知らせ」として、改めてKANさんの訃報をお伝えくださった。
ふと、10代の頃の記憶がうっすらと蘇ってきた。
曜日は忘れてしまったが深夜0時、同じくSTVラジオで、KANさんの「アタックヤング」という番組を自室で聴いていた自分。
懐かしさと共に、涙が出てきた。
当時から30年の時が流れた。
あの頃の自分は、今で言うところの「推し」が亡くなるなんて想像をもちろんするはずもなく。
10代という若さを持て余し、鬱屈した日々を過ごしながらも、KANさんに夢中だった。
紆余曲折あって、2000年代の後半から再びKANさんのライブへ行くようになり、その後もずっと緩やかにファンを続けていた。
それでも、こんなに早くお別れが来るなんて思ってもいなくて。
10代の頃の、ラジオにしがみつくようにして「KANのアタックヤング」に耳を傾けていた自分。
それから30年が経過し、時おり思いついたときにradikoから「KANのロックボンソワ」をタイムフリー聴取している自分。
時間は嫌でも経過するし、人は誰でも年を取るし、いつかは死ぬのに。
それでも、ずっと応援してきた方とのお別れは、「当たり前」なんて割り切ることがもちろんできなくて。
懐かしさと淋しさが一気にこみ上げたんだと思う。
気がつけば嗚咽していた。
KANさんの訃報の第一報を知ったおととい18日の正午近くも、トイレに入ったら涙が込み上げてきた。
スマホからもテレビからもパソコンからも離れ、ひとりっきりの狭い空間に入った途端、なぜか「あぁKANさん亡くなったんだ」と思って。
でも、そのときはSNSで見聞きしただけだったから、心のどっかで信じきってなかったかもしれない。たちの悪いフェイクニュースであったら、と願う気持ちもあったと思う。
だが、そのあと正午のNHKニュースを観て、その妄想は簡単に打ち砕かれた。
その後、情報番組やワイドショー、他のニュースをザッピングしてはKANさんの訃報を目にし「あぁやっぱり事実なのか」と認識するようになったけど。
感情が止まってしまっていた気がする。
Xでも何度もKANさんのことをポストして、自分なりに少しずつでも受け容れようとしていたんだと思うけど。
やっと「悲しい」と思えたのは、上記のラジオでのアナウンスを聴いてからのことだ。
中学生だった自分は、だいぶ年を取ってしまった。
でも、何も進歩してないどころか、退化してるんじゃないかと思うときもある。
だけど、これからできることだって、たくさんあるはず。
だから、もう前に進みたいと思った。
今の気持ちを残しておきたくて、noteに書いてみた。
今後もKANさんのことについて、書きたいことができたら書いていこうと思う。