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平穏無事に暮らすこと

 「毎日を平穏無事に過ごす」という、一見あたりまえのことが、どれだけ貴重なんだろうかと思う今日このごろ。

 十数年前の出来事。
 とある人から「将来の夢は何ですか?」と聞かれた。
 私は、「平穏無事に暮らしたいです」と答えた。

 すると、その人は怒り出した。
 「そんなことを聞きたいんじゃない。自分が聞きたいのは『バンジージャンプがしたい』とか『海外に移住したい』とか、そういうことなんだよ」と。

 私は困ってしまった。
 「平穏無事に暮らしたい」という夢は、確かにありきたりというか、意外性が無いものかもしれないけれど。
 「そんなものは『夢』と言わない」とバッサリ切られるほどのものなんだろうか。

 以来、この出来事を思い出すたび、平穏無事な日々を過ごすことを「夢」と言って何が悪いんだろうか、と改めて思う。
 あの時、質問してきた人にとっての「夢」の定義が「将来、何かやってみたい大きなチャレンジ」だったなら、まだ分かるんだけど。(じゃあそう言い直してほしかったし、そもそも怒り出す必要はなかったと思う)

 今年はお正月から心がざわつくことが続いているが。
 しっかりと自分の軸を持って、周囲に惑わされず、自分の日々を守っていきたいと思う。
 ついついスマホも見ちゃうし、SNSも見ちゃうし、テレビもだらだら見ちゃうけど。
 「何が自分にとって一番大事なのか」を常に心に留めながら、行動していきたい。

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