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卒業する私へのエール~「青空応援団」を知って

 ちょうど二十年前の三月、当時に在籍していた大学の卒業式の終盤の出来事。

 卒業生の一人として参加していながら、形式的な流れに沿った儀式にうんざりしてた頃、会場の前方に、チアリーディング部の女の子たちと(何人だったかまでは覚えてない)、一人の学ランを着た男子が現れ、卒業生に向けての応援が始まった。
 学ランの彼は私と同級生かつ同じ学科で、そこから更に4年前にさかのぼって大学の新入生向けイベントに参加した際、グループ分けで一緒になったこともあり、何となく覚えていた。だが当時の彼はあまり印象深くなく、はっきり言えばそんなに目立つタイプの人ではなかったと思う。

 その彼が学内たった一人の応援団員として、後ろにチアリーダーたちを引き連れ、一人で大声を張り上げ続け(何を言っているのか聞き取れないほどだった)、一生懸命に両腕を前へ横へと切るような動作を繰り返し、私たち卒業生にエールを送ってくれていた。今振り返るととんでもなく失礼だが、その光景が面白くて仕方なかった。本人たちが大真面目にやっているのが伝わってきたけど、それでも心の中ではめっちゃ笑ってた。「なにこの必死な感じ」って。

 それから19年半が過ぎた2019年10月、ほぼ日のある記事を読んだことで、上記に挙げた若き日の卒業式を思い出した。

 どれだけ応援団の方々が本気で人を応援してくれているのかを知り、20年前の自分が急に恥ずかしくなった。そして、あの応援団員の彼やチアリーダーの方々に謝りたくなった。

 この記事を、今春に二度目の大学の卒業を迎える身として、読み返してみた。
 再読でありながらも、応援団長である平了さんの熱い気持ちに圧倒されそうになる。

 二校目の大学では、2015年に編入してからの5年間、本当によく頑張ったと思う。最初の大学よりもはるかに勉強したし、卒業研究も書き上げた。だから「きちんと卒業できた」という安堵感と充実感でいっぱいである。
 今回の卒業は、そのような心持ちで迎えるからだろうか。先ほどインタビューを一気読みしていた時、終盤で涙が出てきた。

 というのも、インタビューの中で、平さんは以下のように語っている。

がんばっている人ほどエールを受けたら泣きます。
がんばっていれば、ですよ。

 20年前の卒業式で、応援団が必死で送るエールを心の中で笑い飛ばしていた私は、その大学で真面目に勉強を頑張ったという記憶がほとんどない。ただ、きちんと4年で卒業しようと思っていたから、最低限そのラインは守るように努力した。
 そして願いは叶ったけれど、充実感なんてもちろんなかった。当時の私は20代前半の若者だったのに、生きることについてもう諦観している部分があった。

 それから20年、よく生きてこれたなと思う。
 私は、頑張ってきたのだ。

 命には限りがある。二十年前、応援団が送ってくれる熱いエールをゲラゲラ笑い飛ばした私は命を粗末にしていた。
 あの時から20歳も年を取ってしまったけれど、今のほうが人生が断然楽しいし、これからやりたいこともある。
 私の大学の卒業式も御多分に漏れず、新型コロナウィルスの感染拡大防止のため中止になってしまったが、先日、学内有志の方々がツイッターを使って卒業式を開いてくださり、とても温かい気持ちになった。
 応援団とは違った形ではあるけれど、ツイッターを通じてさまざまな方からお祝いの言葉をいただけて本当に嬉しかった。

 自分を応援してくれる人がいることを、常に心のどこかに留めていきたいなと思う。油断したら、すぐネガティブなほうへ考えが引きずられがちだから。
 そして、まず自分が自分を信じ、応援していきたいと思う。かつて糸井重里さんがおっしゃっていた「じぶんのリーダーは、じぶんです」という言葉を思い出した。

 誰のせいにするのでもなく、覚悟し、選択する。
 じぶんのリーダーとして、じぶんの判断をするわけです。
 ひとつ強くなった人が、次の時代には、
 いままでの何百倍も増えてると思うんですよね。

 あぁ、この当時に「自分の頭で考えて行動する」という作業を怠った私はぜんぜん強くなってないかも、と一瞬凹んだが、じゃあこれからやっていけばいいことだ。

 一つ夢を叶えたことで、大きな自信が持てた気がする。だから、次の道に進んでも、きっとやりとげることができるはず。
 そう信じて、自分の卒業を心から、誇ろうと思う。

もしサポートをいただければ、とても嬉しいです。自分の幸せ度を上げてくれる何かに使いたいと思います。