✨仕事も子育ても、社会にも、一生懸命真面目に貢献しようと、頑張って、瀕死寸前だった東大卒高校教師が、もっと自分を大切にして、もっと自由に生きようと思えるまで✨

初めまして。
SparkJoyあっきーです🥰
この記事を見にきてくださり、ありがとうございます。


「SparkJoyあっきー」だなんて、ふざけた名前をつけた私ですが、
実際のところ何者かというと、、、

私立高校教員、子どもを3人産んで、仕事も子育ても手を抜くことなく、
日本の教育を変えたい!とまっしぐらに突き進み、
「苦しくても教員が休職なんてありえない!やめるか続けるかの2択!」
と信じ続けて、走っていたのが、、
ついに糸がぷつんと切れ。。。。。

、、という、そんな私が、今はどんな生活をしているか。
そこに至るまでどんな道のりがあったのか・・・。
このnoteでは紹介していきたいと思います。

まず簡単に挙げてみると、

✔ 全てのことを型どおりしにかできない真面目人間の自分は、成果を出せないなら消えてしまえば良いと思っていた

→まずは自分の人生を楽しむ!自分のやりたいことをやるー😍✨と思えるようになり休職時間を満喫中

✔ 「死にたい…死にたい…」と授業後の廊下を歩きながら、頭をエコーするのが当たり前

→そんな自分を追い込まなくて良い!「死にたい…」というエコーを続ける自分なんてかわいそう!もっと自分を大切にしよう!と思えるように🥰

✔ 毎日バタバタで通勤の車に飛び乗って、日中はひたすら仕事、暗くなってから車に乗る生活
→たくさん会いたい人に会いに行ったり、おしゃべりしたり、温泉につかったり、やりたいことを心のむくままに楽しんでる❣️

✔ 夫はすごく仕事早いし協力的と頭では分かりながら、ほんとコイツ、言わないとわからないヤツ、言ってもわからないヤツと敵認定、怒鳴り散らすのが日常
→話す時間が増え、お互いの気持ちが伝え合い・聞き合いできるようになって仲良しに❤️

✔ 仕事と育児に追われて疲れ、コンプレックスだらけの高校教師
→東大卒・3児ママダンサー&モデルに挑戦中✨✨

いまはのびのび、人生謳歌中❤️


…とこんな感じで、絶対あり得ないと思っていた休職を、まさかまさかの満喫中。
教員生活13年目、休職するまでには本当に色々ありました。
ちょっと長いのでエンタメ感覚で読んでもらえると嬉しいです。



■夢は高校生の意欲を引き出す高校教師!!

東大×東大院卒×高校理科教師と並べると、見た目は、、まぁすごいですよね。
前の職場では履歴書を出しただけで採用が決まってしまった、そんな高学歴。

でも、そんな学歴はハリボテで、実際には中身がなく成果を出せない、ダメ人間。
生きているだけで地球の資源の無駄使い、生きている資格があるのか。
そんなふうに自分では思っていました。

自分のことをハリボテのように思うようになったのは、東大に入学してすぐ。
高校までのテスト勉強は出来たけど、大学の授業はまったく理解できず。
クラスメイトに全然ついて行けず、成績は可・不可ばかりでした。

個人的に、受験で受かる人は2通りあると思っていて。
「型通りに学んで点を取れるようになる人」と、
「自分で興味のわいたことを自分で学んでいき学力をつける人」。

私は、、前者の「型がないと学べない人」!!
大学の授業は、型がなくて、何をやれば点を取れるのかわからない!!
優秀なクラスメイトに囲まれて、どんどん自信をなくしていきました。

大学ではダンスサークルに入りました。
まだ立ち上がって間もない小規模なサークルだったけれど、
先輩にダンススクールを紹介してもらい、そこでの出会いがまた衝撃!

ダンスの経験はほとんどなかったけれど、この人たちのように踊りたい!!
と熱心に練習に打ち込みました。
けれど、そこでもまた、他大学の方と交流することで、
「学歴は私が一番上でも、私より賢い人、気の利く人、人として素晴らしい人はたくさんいるのだ。。」
と自信をなくす一つの要因にもなっていました。。

他大学のかわいい子に囲まれ、自分もかわいくしてる、、つもり、、、😂


そんな折、予備校のバイトをすることに。
大学受験で予備校合宿に参加し、
大学生の先輩たちに励ましてもらって乗り切れたことがあり、
「私も、悩める高校生を励ます存在になりたい!」と、そのバイトを選びました。
その時に、同じように高校生を励ますつもりが、、、
逆に私が励まされるという経験になったのです!!

高校生ってすごく悩んで苦しんでる。
結果重視のありがちな詰め込み教育、理不尽な受験競争。
本当にこれで良いのかな、自分はどうしたら良いんだ、、、!
すごく苦しんで、もがいていて、相談にやってくる。

けれど、そうやって悩んでいる姿が、わたしの目にはとても尊く映って。
悩んでいる。もがいている。それって本人は苦しいけど、
一生懸命、「よりよく生きたい!」と真剣に向き合っている
ってことじゃないか!と、その尊さに胸を打たれたのです。

そうして、高校生と出会い続けたい!高校生の話をこれからも聞いていきたい!
と思い、高校教員になろう!と決意しました。
さらには、自分自身が経験した理不尽で苦しい受験競争から、できるだけ脱却できる環境を作りたい!
自分から学んでみたい!自分で調べたくなる!そんな高校生の意欲を引き出せるような授業がしたい!そう思って、飛び込んだ教員の世界。

非常勤講師として3校を経て、専任教諭として就職できた学校は、まさに理想的な環境でした。
生徒たちの権利や自由を尊重して、授業も教科書通りではなく、「競い合う学び」ではなく「仲間と繋がりあう学び」を目指す授業、生徒会活動も盛んで、生徒の意見で動いていく学校。
まさにここだ!ここで貢献出来たら嬉しい!!

そんな期待に胸を膨らませて就職。

ところが、、、

そもそも私は、型に沿った学習方法しか経験してきておらず、自主的に学ぶ経験を積んでいない!!どうやって授業作りをしたら良いのかわからない!!
学校の趣旨に合った教育方法に見合う力がない、という壁にぶつかってしまいました。。

本当につまらない授業しか出来なくて、どんどん余裕も自信も、なくなっていきました。
先生と生徒がフラットな関係の学校なので、「この学校らしい先生」「らしくない先生」という言い方を生徒たちは平気で使い、私のことは、
「らしくない先生」
「先生の授業はつまらない」
と、ため口で、ズバズバ言われ。。。

自分でもわかってる!どうにかしたいって思ってる!!
そう思いながらも、毎日毎日仕事が終わらず21時、22時帰宅が当たり前、もがいてももがいても、解決の糸口がつかめない時間だけが流れていきました。

就職した頃。両親に台湾旅行をプレゼント。これが一番笑っている写真。。

■1人目出産、産後復帰は思い出したくもない暗黒期


そんな折、生徒会の担当をすることになりました。
生徒の話を聞いて、生徒の考えに寄り添い、引き出していくという役割が、
難しくて大変だけれど「これは楽しい!」「大切な役割をいただいた!」
と思い始めた頃、、1人目を妊娠!
当時、生徒会の会議は、21時までやるのがあたりまえだったので、
妊娠中でも21時まで付き合って、終わった後は生徒たちを車で送り、
そのあとにやっと自分の仕事をする、、、
つわりがとても辛かったのですが、多少無理してでもやり切る。
そんな生活が通常運転
でした。

産後も子育てに真面目に取り組みました。
出産まで仕事が目一杯忙しかったのもあり、「赤ちゃん」という存在に出会う機会もなく、何もわからないまま子育てがスタート。
こんな愛おしくて、こんな小さな存在、、
簡単に傷ついて死んでしまうんじゃないか、怖い、不安、、の連続。
2月は寒い。3月は花粉症が心配。4月は寒暖差が辛い。5月は日差しが強くなる、、、と、ひたすら一人でこもる生活をしていました。

仕事でたくさんの親子関係を見てたので、人一倍、子育てに対する想いは強く、
声かけ・言葉の選び方は大事!完全母乳は当たり前!
「愛している」ことがちゃんと伝わるように接しないと!!
自分のことは後回しにして、ひたすら子どもを丁寧に熱心に育てていました。

1人目出産して退院する時。これでも、当時一番お気に入りの服だった。。。


その時出会ったのが、こんまりさん(近藤麻里恵さん)の片づけ。
最初は、「ときめきって、、何??」と思いつつ、藁にもすがる思いで実践を始め、子どもが昼寝をしている合間をぬって、片づけも頑張っているうちに、職場復帰の時期を迎えました。

そして、、1人目の育休から復帰した1年半が、、、とにかく辛かった・・・!!!

常に「ぐああああああああ!!」とアドレナリンが出て、瞳孔が開きっぱなしだったんじゃないか、という記憶。
あれやって、これやって、あれもこれも、あああああ・・・!!!と、
休憩した記憶も、同僚と相談した記憶も、トイレに行った記憶もなく、
どうやって乗り切ったのかも思い出せないくらい大変でした。
仕事も子育ても手を抜きたくないので、早くお迎え行きたいから17時に帰る。
でも、終わらない分の仕事を持ち帰っても、その持ち帰りの仕事をいつやればいいのか。
育休前は朝も早くから、夜は21時22時まで仕事するのが当たり前だったので、それに比べて毎日6時間くらい労働時間が減ってしまいました。
それをどうやったらこなせるのか、どうやったら終わらせられるのか、頭がぐちゃぐちゃでした。
「ここはイマイチできてないな」「本当はもっと良くしたいな」
と頭の片隅では思いつつ、向き合う余裕も一切なく。
とにかく目の前のこと終わらせるだけの自転車操業

自分でも納得のいかないことだらけ、何もかも中途半端なままお迎え時間をずるずるすぎてしまい。
帰りの車を運転する中で、何度も号泣したのを覚えています。

多忙な中、友人の結婚式にお呼ばれしてオシャレしたのが嬉しくて撮ってもらった。
疲れ切ってて、何度も撮り直してもらったのに、全然笑えてない。。

そういう生活が1年くらい続いた後、子供は絶対3人産みたいと思っていたところ、無事に2人目妊娠!
2人目もつわりが重く、子育て、仕事、つわりの三重苦でした。
1人目のとき同様、吐き続け、5kg体重が落ちたりしながらも、
「大丈夫、1人目のときも辛くて死にそうだったけど、無事に生まれた。なんとかやっていける」
と自分を叱咤激励しながら走り続けました。

唯一覚えているのが、週末出勤の時だけはお昼休憩を取れて、その時に同僚に
「最近どう?」「子育てどう?」と聞いてもらって。
「子どもがししゃもにはまってて、ししゃもを買い続けてたら、急に子持ち(卵の部分)はイヤだって言うので、子持ちじゃないししゃもを探すのが大変なんです~😭」
と話して、すごく嬉しかったのを、いまだによく覚えています。
それくらい、他におしゃべりした記憶はありません。
あとは、つわりがひどい私は、2人目のときはなぜか「大豆」にハマり。デスクに大豆の袋を3袋くらい常備し、常に大豆をポリポリ食べていた記憶は残っています。
育休復帰していた1年半の記憶は、ししゃもと大豆だけ。
それ以外どうやって乗り切ったんだろう、、、、本当に思い出せません。。。

夫はとても協力的な人で、社会的にまだ「男性の育休」なんて話題にもならなかった頃なのに、産後は1ヶ月の育休を取ってくれるほどでした。
が、私が職場復帰して1か月たったころ、転勤になってしまい往復4時間通勤に!
夫はほとんど残業をせずに、育児に家事に、協力してくれましたが、送り迎えはなかなか間に合わず、ほとんど私が担当することになってしまいました。

そんなこんなで、復帰後の1年半は、二度と思い出したくない!二度と繰り返したくない!恐怖の時間でした。

■2人目出産、育休を学びの時間に

1回目の育休復帰の経験から、
次の育休復帰後はこの恐怖を繰り返さないように、どうにかしよう!と決意。
やはり私は学びと経験が足りない!よし、とにかく学ぼう!
と、完ぺきな育児に追加して、いろいろ学びに走りました
大学の授業を受講させてもらったり、
他校の先生の授業見学をさせてもらったり、
育休ママの集まりに参加して、仕事と育児の両立を考えるプログラムに参加したり、
オンライン教員グループに参加して悩みを共有・相談しあったり。

育休は休む時間ではなく『働くことを前提とした休み』
働ける自分になるように過ごす時間と思って、とにかく学び続けました。

他にも家事を時短できるように、ルンバ、ホットクック、食洗機導入。
こんまりさんの片づけも全部終わらせて過ごしやすい環境も整えて。
さまざまなオンラインコミュニティで、どうやって何を大切に仕事するか・生きていくかなどを話し合い。


よし!!これで少しは学習して、マシな授業ができる自分になっているはず!!
自分で出来ることは全部やった!!
「持てる武器は全部持ったぞ!」という意気込みでした。

ちなみに、「3人産みたい!」という希望があり、
でも「育児+仕事+つわり」はもう無理だ…と思っていたので、
2人目育休中に、3人目を授かり、育休中に辛いつわりも終わらせないと!!
と意気込んでいたら、なんと流産し、、、

6人に1人が経験するらしい、仕方ないことと分かっていながらも、
誰も流産なんて話題にしないから、誰に打ち明けたらいいのかわからず。
妊娠中や妊娠願望をもってる友人も多く、当時話せた相手は3人だけでした。
それもまた、苦しい時間でした。

辛い中でも楽しさを見つけようと家族でお出かけ。
自分のことまで手がまわらず、おしゃれとは程遠い生活。

でも幸いなことに、この流産後にまた無事に妊娠。
ただ、2人目と3人目の分まで長く育休を取ってしまうと、
仕事から離れすぎてもう戻れないんじゃないかと不安になり、
「子どもの状況」「職場の状況」「保活の状況」「自分の状況」をいろいろ鑑みて考えた結果、産後5か月で復帰することを決意。
生まれた翌日には区役所に保育園の申し込みができるように、すべて手筈も整えていました。
復帰後の準備は万端だし、もう大丈夫!
このままいけば、1人目と同じ保育園に入れる確率も高い!
上の2人も完全母乳でやってこれたし、もう経験値もバッチリ!やれる!
仕事も、保育園の準備も出来る!

と、思っていたら、、、3人目は産後すぐに、まさかの強度の黄疸が出てしまい。
産まれて1日もしないうちに、車で1時間かかるNICUに入院してしまいました。
産後の疲れももちろんあったけれど、授乳の練習もしたい。
コロナもあったので面会時間も限られているから、毎日会いに行きたい。

気持ちも体もボロボロになりながらも、
必死で往復1時間半かけて面会しにいく生活が1か月続きました。
上の2人が完全母乳で育てられていたのに、3人目はまさかの展開でミルクに頼りながらの生活。
「こんなはずじゃなかった!!!!」と気が狂うほど毎日泣きました
そんな様子を見て、上の2人の子どもたちも不安定になり。
夫もまた1ヶ月育休をとってくれたものの、毎日面会への運転と2人の子どもの相手をし、家族全員が疲弊していました。

産後5か月を大事に過ごして、復帰すると思ってたのにまさかの入院、、、
やっぱり復帰しないほうがよかったのかな、と本当に苦しくなりました。
正解なんてない、と頭では分かっていても「やっぱり私、間違ってたかも」と、
不安になりながら、、、保活だけは無事に全員同じ保育園に決まり。
苦しい気持ちをグッとこらえて、気持ちを切り替え、そのまま職場復帰に至りました。

NICUをやっと退院できたとき。病院のオプションでメイク付き撮影をしてもらえた。
でもやっぱり全然笑えない。。

■3人育児しながらの復帰、そして不眠

復帰後も「足りない自分」を補うように、学び続けました。
空き時間が限られてる中、大先輩の授業を毎回見学させてもらったり。
教員として&親として&自分自身としてベストなコンディションを保てるように、
コーチング&ファッションコンサルも受けたり。
仕事をしながらも、「もっと片づけを極めたい!」「世界の片づけが進めば、もっと生きやすくなるはず!!」
と思い、こんまり®︎流片づけコンサルタントの養成講座も受講、資格も取得。

復帰後最初の2年間はサポートの人を付けてもらうことができ、
ありがたいなぁ、頑張ろう、なんとか笑顔で過ごそう、とやってきました。
仕事の負荷を下げてもらっている分、私は笑顔で元気に挨拶して、職場を明るくしよう、それくらいの貢献はしなきゃ、という気持ちでした。

でもやっぱり、サポートをしてもらいながらも、満足のいく仕事はできず。
できるだけ良い授業がしたい、生徒たちに良い学びを提供したい、
そう思うと、どこまでも終わりが見えず、苦しい毎日
それに、本当は仕事だけじゃなくて、子育てだって手を抜きたくない。

3人目は完全母乳が出来なかった&5ヶ月で保育園に入れてしまった寂しさで、
仕事をしながらも授乳を続けていました。
上の2人は、夜中に起こされたら、起き上がり、きちんと座って真面目に授乳してたのが、3人目は死んだようにおっぱいを出して寝てしまうように。

しかし、、、
復帰後半年くらいから、授乳で起こされると、そのまま寝られなくなってしまうという現象が起きてしまうようになったのです。。


仕事で「あれもやってない」「これもやってない」と頭の中をめぐり始め、
寝たいのに寝られない!!😭という状態に。

深呼吸したり、寝つきが良くなるツボを押したり、ラベンダーのアロマを使ったり、、いろいろやってみましたが、やっぱり寝られず。。
22時に子どもと一緒に寝るけど、夜中の1時に起こされる。
その後、1時間くらい寝られないか粘ってみるけど寝られず。
持ち帰りの仕事もあることだし、もういいや!仕事しちゃえ!
と、2時〜4時くらいは仕事をしていました。
そして4時頃にまた末っ子が起きて授乳し、5時くらいになるとようやく眠くなって寝て。。
6時には早起きの長男に起こされる、、という生活が続きました。

そんな頑張り続ける生活を続けても、仕事は終わらずうまくいきませんでした。
「らしくない先生」「授業つまんない」のレッテルは変わらず、
自分でも自分の授業が大嫌いのままでした。

かわいいかわいい子ども。自分なりにめいっぱいのオシャレをしたつもりで、写真に収めた一コマ。

一方で、とある大先輩の先生は面白くて知識も深い。
いわゆる「その学校らしい先生」。
いつも、その先生と自分を比較して、
「ダメ教師」と自分でもレッテルを貼り続けていました。

が、ある時。
もしかして、その先輩は子育てをパートナーに任せっきりで、ご自身は好きなだけ仕事をしている!?
その人と同じやり方をするなんて、そもそも不可能なのでは!?
ということに気づきました。
が、それをどう改善していけば良いのか糸口は掴めず。。。

「持てる武器はすべて持った!」状態で復帰したはずだったのに、
仕事に自信が持てないのは変わらず、
家の中でも子どもが増えて、結局ずっとバタバタ。

子どもに対してキレてしまうことも多発するようになりました。
イライラする様子も、眠れない様子も、夫にとても心配され、
不眠外来を受診した方が良いのでは、と言われたりもしました。

でも、学校の先生は休むと授業の調整が大変なので、「仕事を休んでまで病院に行く」という選択肢はありませんでした。
平日は仕事だし、土日は子供といたい。
サポートの人もいたし、不眠と言えど爆睡できる日もある。
子どもたちがもうちょっと成長してくれたら、なんとかなるのではないかと、
自分を騙し騙し、2年間どうにかやりすごしました。

ところが、復帰して2年経った4月、
職場でいろんな事情があり、、、私への負荷がドカッと増えたのです。
騙し騙しやってきたけど、もう無理!!!!!
どうやってこの1年を生き延びたら良いのだろう、私は1年先まで生き延びることができるのだろうか?と、目の前が真っ暗になりました。

■小田桐あさぎさんとの出会い

その頃、オンラインコミュニティにいくつか所属していましたが、
その中でものすごく個性が尖ってる人がいて。
プロフィールを見ると「アサギスト」と書いてある。
「アサギスト」ってなんだ??と思い検索して、小田桐あさぎさんの存在を発見。
その後もたまーに検索しては、少しずつアサギストの様子を知っていきました。

あさぎさんのブログを読んだときは
「めちゃくちゃ赤裸々に書かれてる!」とびっくりして、
裏表のない人で、なんかちょっといいかもと気になり。。

そこで、当時の無料3daysライブというのを見つけて参加してみたら、、、
ライブ中のガヤコメントがテンション高すぎてついていけず😂
そもそも私と生きてる世界が違うな、額も額だし、、、🙅‍♀️と、
当時募集していた魅力覚醒講座16期は見送りました。

その後、見つけたのが、あさぎさんの講座も付いてくるという「欲望全開手帳」。
手帳くらいの課金だったらありかなと思い購入し、
通勤の車の中で初めてあさぎさんの講座を聞くようになりました。

そして、不思議なことに、あさぎさんの講座を聞いてる時だけは、
『こうしなきゃ、がんばらなきゃ』『これくらいやって当たり前』
という窮屈な思考から、解放された気分になれるようになったのです!!!

何でこんなに苦しい思いまでして頑張ってるんだろう。。。
自分の子どもが何よりも大事。
だからこそ、
子どもたちが育っていく環境、社会をより豊かなものにできるように貢献したい!
私が関わった生徒の人生が1ミリでも好転して豊かな生活になってほしい!

子どもたちを保育園に預けて、会えない寂しさはあるけど、
「より豊かな社会作りに貢献して、子供たちに還元したい!!」
と決意をもって復帰したにも関らず、誰のことも1ミリも幸せにしてない!!??
むしろ、目の前の生徒の表情は死んでいき、大切な我が子のことも傷つけている・・
「貢献したい」「子供も大事にしたい」そのどちらもできていない!!!

そんな八方塞がりの時に出会った、手帳講座でのあさぎさんの講義。

子どもに怒鳴ってしまったときや授業でうまくいかないと感じたとき、
いつでもどこでも自分責めが止まらないのに、
車の中であさぎさんの講座を聞いてる時だけ自分責めが止められたのです。

あさぎさんの環境にもっと飛び込んだ方が
もっとあさぎさんの言葉聞けるのかな
もっと自己否定をやめて、生きやすくなっていけるのかな

手帳講座だけでは物足りなくなり、お金払ってでももっとあさぎさんの言葉を聞きたい!
ついに、去年、魅力覚醒講座18期に飛び込みました

まずやってみたのは、金曜12時に職場の休養室でこっそり講座をリアルタイムで受講すること。
やったほうがいい仕事が目の前に山積みだけどやりたいことを優先する!
リアルタイムで参加することにチャレンジ!
後ろめたいドキドキもありつつ、ここから何か人生が好転していくんじゃないかと、希望のドキドキもあったなぁ。。

ワークは時間が取れずにできないときもありましたが、
一番印象に残っているのが、不要なものを手放すワーク。

「職場のA先輩の言うことをそのまま受け入れることを手放す」
と書いたのです!
自分ではそれまではA先輩は絶対的と思っていました。
けど、生き方も、考え方も違うということに気づいた。
勉強になるのは確かだけど、丸のみにしないで良い!YESマンになるのはやめよう!

実際にはこのワークを書いてから、半年くらいかかったけれど、
「A先輩はそう簡単におっしゃいますが、私は違うと思うんです!」
と、初めて大きな声で、職員室中に響き渡る声で反論したのです。

先輩は、「ああ、まぁ、たしかにそうですね。。」とあっさり引き下がり。
周りの同僚からも、「あっきー先生(私のこと)は大変な中、頑張ってるんだな
という気持ちになったよ」と、後から言われました。

生徒との関係にも変化がありました。
これまではひとりひとり丁重に尊重しながら、とても真面目に接してきたけど、アサギスト環境で知った「ドヤり」。
ちょっと仕事場でもドヤってみよう、、、と、生徒にドヤってみたら、
「先生、意外と面白い!もしかして、うちらに影響されて壊れてきました??」
と、意外にも高評価!
会議が始まってると知りながら、生徒とのおしゃべりを続けたこともありました。

アサギストになって、初めて外で自撮りをやってみた。はじめの一歩。


少しずつすこしずつワークをやって、
今まで仕事に忙殺されて、まったく向き合ってこなかった自分を
少しずつすこしずつ掘っていき、自分と向き合うことができた18期

講座には、濃い繋がりのできるグループがあり、
そこで地道にアウトプットも続けていました。
そもそも授業に自信が持てない私の中で、
「失敗した…」「うまくいかない…」というのが積み重なり、
特に子どもが産まれてからは、それを改善する余力が1ミリもなくて、
いつしか
「あー、死にたい…死にたい…」
と授業後の廊下を歩きながら、頭をエコーするのが当たり前
になっていました。
自分で「本気で死ぬ!」とは思ってなかったし、
もうそれくらい仕方がない、当たり前と思っていたけれど、、、

アサギスト環境でアウトプットするうちに、18期終わり頃に
「また『死にたい』と頭でエコーする」
みたいな投稿をしたら、めっっちゃくちゃ心配されて。
そうやって心配してもらって初めて、
そうか!これって当たり前じゃないのか!!?わたし、頑張りすぎなの!??
と初めて気づくことができました。

それが、18期での一番の気づきだったかもしれません。
職場では、お子さんが2人以上で共働きの方は少なく、
いらしたとしても皆、ご実家が近くて、ご両親の応援を頼めるのが当たり前。
職場のママさんたちは、「4時に起きて仕事してる」とか聞いたりしてたから、
それくらい頑張るのが当たり前。
他の方のように成果を出せない自分は、ほんと消えれば良いと思っていました。

そんな状況だったのが、
アウトプットするうちに、自分の本心に気づいて、
加えてグループの仲間に励ましてもらって、
「そんな自分を追い込まなくて良い」「『死にたい』のループ、辞めたい!😭」
と思えるようになったのです。

今まではずっと自分の価値観の中だけで一人で悶々と苦しんでいたのが、
自由な発想を持つ仲間に助けられた時でした。
そのときはまだ、
どうやったら「『死にたい』のループをやめられるか」
は分からなかったけれど、このままアサギスト環境に居続ければ、
いつかはやめられるんじゃないか、と頭の片隅に希望の光が見えました。。

■覚醒途中、夫への敵認定に気づく

また同時に18期の終わり頃、
「もうこの仕事向いてない!」
「もっと自由に生きたい!」
「他のアサギストみたいに遊びたい!」
そんな思いから、
夫に「仕事を辞めようと思っている」と伝えたところ、、

「辞めたあとはどうするの?」
「先のこと決まってないのに、心配だからそれはやめてほしい。」
「いざとなったら休めばいいんだから」と返され。

そのときの私は、
「お金の心配!?」
「私の心の心配はしてくれないの!?」
「教員で休むなんて、ありえないのに、勝手なこと言って!!」
と怒り満載でした。

この頃はまだコミュニケーションも学びたてで、
夫との聞き合いも上手くできていなかったのです。
めちゃくちゃムカついて、夫に怒りしかありませんでした。
もう敵!私のこと、職場のこと、何もわからず口出ししてくる敵でしかない!
敵認定確定!

その頃の私は、あさぎさんの言う「ちゃん卒」をできるだけしてはいましたが、
教師の仕事は難しく、「ちゃん卒」しようと思っても、
どこから「ちゃん卒」したらいいかわからなかったのです。
手を抜けるところは抜く?
(ここだけの話、、?🤣)
・試験の採点を母に手伝ってもらう
・試験の採点をしやすいように記号問題を増やす
・プリントの毎時間提出をやめる
などなど、やれることはやっていましたが、新しく加わった仕事もあったので、
やっぱり余力不足、その余力のない矛先が夫へのイラだちと向かっていました。

そんな日々を続けていたところ、、
18期が終わって少し経った頃、とうとう寝付くこともできない日が出てきました。。

朝から日差しを浴び、散歩してリフレッシュ、寝かしつけしながらストレッチ、、
いろいろ試したけど、やっぱり寝られない。

これはもうさすがにだめだ。そこで諦めがつきました。
アサギストの中でも、「心療内科にかかって、診断をもらった」
という話をよく聞いていたので、
「私ももう、受診した方が良いのかも」
と素直に思うことができました。

さらに、夫からも再度勧められたこともあり、
ようやく仕事を休んででも病院に行く気になりました。
そのとき、改めて
「2年前から夫には不眠外来を勧められていた」ということを思い出し、
「夫はずっと前から心配して、応援してくれていたんだな。。」
「もしかして、私は夫を敵認定していたのか!?」
と気づくきっかけともなりました。

■休職への道のり

そうして、ようやく不眠外来の受診に至ったところ、、
診断は反応性鬱とPTSD。
うまくいかないこと、いろんな人に言われたことがフラッシュバックして、
「全部私のせい」「私が至らないからダメなんだ」
そうやって常に自分を追い詰め続けていたのです。

そして、医師に勧められるがまま、
抗うつ剤、睡眠導入剤を飲みながら仕事を続ける生活をするようになりました。

私はこの学校が大好きで、この学校が日本の光になると思っていたけど、
教員にとってはどうしてもブラックで、、、
「この学校は好き!大好き!貢献したい!!」
「でも、わたしには、この学校を支えられるだけの力がない。。」
そんな気持ちをいったりきたりの、辛い日々を送っていました。

ついに2023年9月に投薬を開始すると同時期に、
魅力覚醒講座19期もOGとして参加することにしました。

OGになってからは、アサギストとしての肩の力が抜けたのか、
現役時代は真面目なアウトプットばかりしていたけれど、
ぼそっとでもいいから適当につぶやいちゃえ〜!と、
ちょっとずつ、
「むかついたーー」「あーがんばった」「セブンでコーヒー買った♡」
とかとか。
Facebookのフィードで気軽に呟くようになりました。
しかも、それを勤務時間中の職員室で!笑

ちょっとずつ肩の力が抜けてきた頃。だいぶ笑えてるー!!

そうしてアサギスト環境に身を置き続けていると、
・アサギストの会社員は休職してる子も多い、、、
・平日に集まって美味しいご飯を食べている子も多い、、、
と、だんだん「休職という選択肢があるんだなー」と思うようになりました。

でもやっぱり、
「私が抜けたらどうなるの!?想像つかない!申し訳なさすぎる!」
「関わっている生徒たちと離れるなんて、したくない!」
と、この頃は自分が本当に休職するとは、想像もつきませんでした。

でも、少しずつアサギストと接し続けているうちに、
『教師は休職してはいけない』という思い込みが強いということに気づき、
「休職できない」はもしかして“絶対”ではない??
もしかして、私も休職、あり、、なの、、か、、、???
とも思い始めました。

そんな折、私の休職を後押しする大事件が・・・!!
交代制で毎月第一土曜の出勤があり、
余力がなかった私はスケジュール管理ができておらず、
うっかり我が子の運動会の日に土曜出勤を入れてしまっていた
のです😭😭😭
それも当日の2週間くらい前になって気づき、、
こんなことになるなら、やっぱり早く仕事やめたほうがよかったんだ😭
本当に本当に、苦しい😭ばかばかばかばかばかーーー!!!!

私は本当は、子どもを、家族を、大事にしたいんだーーー!!!
それができないなんて、もう生きているの辛いーー!!!😭😭
と家でわめきちらしました。。。

そして、少し落ち着いてから、
「9月も休んじゃったけど、連続して10月も休みたい、どうしよう、、、」
と、フィードに投稿したら、アサギストのみんなが背中を押してくれて😭

まず、10月休みの担当の同僚に交換を相談してみたけれど、
その同僚も、当日は午後に別の仕事もあり、そもそもその日は結婚記念日とのこと、、
そんな人に交代をお願いするなんて、やっぱり無理だ。。

でも、やっぱり諦めきれない・・・!!
夫に全部正直に状況を伝えて、「あなたならどうする?」
と聞いて、たくさんアドバイスをもらいながら、職場への相談を続けました。
複数の上司とも相談して、、、
何度も苦しい気持ちになりながらも、結局、上司に代わっていただき、
私は運動会に行くことができました。。。。😭😭😭

かわいいかわいい我が子の意欲あふれる輝く笑顔に感動。。。
見に行くことができて、本当によかった。。。😭😭

今までしてこなかった、人に頼るという
『ぴえん』
ができて、自分の中ではひと皮むけたという感覚でした。

今年度の4月前後から、
「こういう状況でこれだけの仕事を担うのは難しい、改善してほしい」
と、何回も会議でも発言してきたので、職場の人たちにも「辛そうだな」、というのはおそらく認識されていて。
同僚の中でも、今まで応援してくれる味方はいたし、アサギストの仲間には「やりたいようにしたらいいよ」って、いっぱい励ましてもらってきて。

さらに、10月にこの最大級の『ぴえん』で仕事を休み、我が子の笑顔を堪能し。

もう、タガが外れたようでした。

運動会、本当に行けてよかった。
かわいいかわいい子どもの姿をみることができて、
その後、ママ友ともたくさんおしゃべりすることもできて。
本当に楽しかった。
もうこれ以上、“仕事のため”に、家族や自分のことを犠牲にするのは、やめたい。
もっと自由に生きたい、、、そう強く体感したのです。

そうして、ようやく本格的に休職することを考え始めました。

でも、どういうきっかけで、どうやって休職したらいいか分からない。
すでに病院は受診して、診断はもらっていたけれど、
主治医は「診断書を書く場合は、しばらく様子みてから」とのことで、
なかなか言いだせず、、、

どうしようどうしよう、となっていたら、
魅力覚醒講座2回目にしてようやく夫と聞き合いができるように。

「休職したいんだけど、どうしたらいいと思う?」
「誰にどうやって相談したらいいと思う?」
たくさん相談して、たくさん夫の考えを聞かせてもらいました。

以前に「仕事をやめたい」と伝えた時には
「次が決まってないならやめないで」と言われたことで、
「否定された!」と、すぐ敵認定していたけれど、

聞いていくと実は、その「次はどうするの?」は、
「次はどうやって収入を得るの?」という意味ではなく、

私は器用なタイプじゃないから、
「次が決まってないと迷路に入って倒れちゃうのが心配」
「次のポジションが明確になってからの方が、精神的に良いんじゃないか」
と私の精神面を心配してのことだったことが判明!!

しかも、少しでも仕事の負担を軽減できるように、
プランA、B、Cと何通りもプランを考えてくれて、、
敵認定していた夫を、あっという間に神認定するようになり、
夫とも聞き合いができるようになっていきました。

辛いけど、休んだら迷惑。分かってる。迷惑はかけたくない。
この状況どうしたらいい?

アサギストにも夫にも相談し続けて、
それでもやっぱり怖くてなかなか行動に移せなかったところ、
最終的には夫が職場に連絡をしてくれて、産業医面談にいきつき、ついにこの言葉を頂きました。

「 お休みに入るのがいいと思いますよ」

教員が休職なんてありえない!!と、ずっとずっと思っていたのに、
ついに休職に入ることになったのです。

■人生初めて、休みを味わう

東大、東大院卒、夢を抱いて高校教師になり一見挫折のない道を歩んできました。
でも、夢と現実は違って、そのギャップ、コンプレックスを埋めるために、
子どもを産む前も、産んだ後も、ひたすら自転車操業、馬車馬のように働き続けてきました。

子どもは3人産みたい!少子化心配!
育休中も、完ぺきな子育てに奮闘、復帰後にうまく生活が回るように学び続けて。

そんな私が、休職という自由な時間を手に入れてみて感じたのは、、
ゆっくり、何かに焦ることなくお散歩してみると、
1月の空ってこんなに気持ちいいんだ、
こんな雲一つない日が続くんだ...
そんな些細なことに気づきました。

朝はバタバタで通勤の車に飛び乗り、
日中はひたすら仕事に打ち込んで、
暗くなってから車に乗る日々では決して気づかなかった景色。

本当に雲一つない空。近所でこんな広い空が見えるなんて、全然気づいてなかった。

毎日空を眺めてたら、本当にキレイだし、前日と違いがあると、なんでだろう?と思うし、天気を学ぶこととか楽しくなるんだろうな、初めて実感できました。

学ばなきゃと思うと苦しくなっちゃう。
のんびり眺める余裕があれば、どうしてこういう天気なんだろう?
あ、この道端に生えてるキレイな植物の名前はなんだろう?
そうやって、ゆとりがあると、自然に知りたくなるんだな。。

前は植物の名前も知らないダメな理科教員!
学べない自分が情けない!とひたすら責めていました。

ゆとりがあると知りたいと思うし、純粋に興味がわいて、楽しい!
そう思えることが幸せだなって思うようになりました。
そういう時間、そういうゆとりって、
実は誰よりも教員が、親が、持った方が良いんじゃないでしょうか?

そして今は、めっちゃくちゃ!遊びまくっています🙌
ドレスレンタル、パーティー、写真撮影、アサギストのイベントに何回行ったかな?笑
モデルになりきった写真も撮りました。

ぜーんぶ、3月中のイベント!アサギストに会いまくって、楽しみまくった❣️

大学から続けているジャズダンスの公演にも出ました。
ダンスの作品テーマ「異なる者たちが壁を越え、融合していく」
をもっとも体感して誰よりも一番楽しんだんじゃないかと思います。
そのテーマが、
「私と職場の人たちの隔たりを越え、いつか分かりあえるといいな」
と思う気持ちとリンクして、もう号泣。
職場でサポートしてくれていた人も見に来てくれて、二人でボロボロ泣きました。

それに、以前の私は、「踊りたいから踊る!」けど、コミュ障な私は友人があまりできず。広い楽屋のすみっこで、小さくなっていました。
が、今回は年長者として良い楽屋もあててもらって、初めましての方ともおしゃべりして楽しんで。
ダンスを初めて20年、こんなに舞台を楽しめる日が来るなんて想像もしてなかった!

本当にめちゃくちゃ広くて豪華な楽屋だった!欲望全開手帳も持って行った♡
これからメイク、まだすっぴん😝

OBOGのための公演で、だんだんママ・パパダンサーも増えてきたけど、
子どもが3人もいて踊っているのは私だけ。
仕事も、子育ても大切にしているけれど、
それだけじゃなくて、やりたいことやるんだ!
欲望全開でやりたいことをあきらめなければこんなに素晴らしい世界が待ってる!
仕事に子育てで体がボロボロだし、、、と思ってても、やっぱり踊りたい!って気持ちを諦めなくて本当に良かった!
こんな素敵な形で、踊りたい気持ちがかなえられるなんて。。
と、ここでも欲望全開の力を体感し、感無量でした。

■これからの展望

これまで一生懸命、社会も子供も支えて、、、力尽きてしまい休職。
今は、これまでないがしろにしてきた自分を幸せにするため、
ダンスを踊ったり、温泉に行ったり、アサギストと遊んだり、、、
と、自分の時間を満喫しています。
これから先の生活は、まずは投薬をちゃんと終えるようにして、
自分が心身共に元気になるまで、あと2年くらい休みたいな〜という気分。

しばらくはアサギスト環境を満喫して。
「本当に大切な1%のものを守るための“ちゃん卒”」をして。
「こうあらねば」「こうしたほうが良い」思考に縛られずに、
まずは自分がやりたいことを大切にして生きていく!
そのペースが確立できたら、職場に戻りたい!

いろんな人がムリだって言うのを聞いてるけど、
やっぱり私は日本の教育のあり方を変えていきたい。

まじめに頑張っている先生たちが
ブラックな環境の中、疲弊していくのは見ていられない。
先生たちも元気になれるように、まずは私が元気になって
私が学園の光になって、学園を元気にしたい!
そして、日本の教育界も元気にしたい!!!

休むのは甘えじゃない。怠けじゃない。
これがいずれは、社会貢献になるんだ!!

そう思えるようになったのは、あさぎさん、アサギストとの出会いがあったから。
本当に、私の常識を塗り替えてくれて、ありがとうの気持ちでいっぱいです!!

19期で一緒だったグループメンバーと。号泣したあとで、目がぼろぼろ😂


そんなあさぎさんのお話の講座は、現在20期を開催中です✨
21期の開催は「年内はない」とのことですが、
また年末には、「手帳講座」が販売されると思いますし、
あさぎさんや講座生による「ちゃん卒ライブ」も
随時発信されていますので、ぜひご覧になってみてくださいね✨

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長いながーーーい、私あっきーの振り返りストーリーを
最後まで読んでいただきありがとうございました。
それでは、この後も、良き時間となりますよう・・・!!!🍀✨✨✨


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