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公的医療保険における無保険者問題の現状と対策

以下、文末の参考/引用文献のまとめになっています。ご参考まで。

1.はじめに

 医療保険は疾病の際の医療保障を行う仕組みである。日本では、1961年に国民全員が公的医療保険に加入する国民皆保険のシステムが構築された。当時の日本のGDPは総額19兆円、1人当たりのGDPはアメリカの5分の1、イギリス・フランスの4割程度に過ぎず、そのような時代に国民皆保険、皆年金を実現したのは奇跡であったと評する声もある。
 しかし、1990年代はじめから長期的につづく経済不況のなかで、日本の国民皆保険のシステムにおいて無保険者問題が顕在化している。本稿では、国民皆保険制度成立から現在に至るまでの変遷を通して、無保険者問題ついて考えていきたい。

2.国民皆保険成立までの経緯

日本の公的医療保険は、健康保険や共済組合や国民健康保険制度などに分かれている。1922年制定の健康保険法により組合管掌保険と政府管掌保険が創設された。同法は、第一次世界大戦後の産業構造の変化に伴う労働争議や労働運動の高まりへの対応の必要性が契機となり立法に至ったもので、労働立法としての性格を有しているものであった。
 
1939年には船員保険法、職員健康保険法が制定、健康保険法改正により家族給付が創設されるなど適用範囲を広げた。1942年には健康保険法と職員健康保険法が統合され健康保険法に一本化された。1938年国民健康保険法が制定、保険者の設立は任意であり、加入もまた任意であったが1942年の法改正により、地方長官の権限による国保組合の強制設立・強制加入が規定され、1943年には全市町村の95%に国保組合が設立された。
 
1958年の国民健康保険の全面改正により国民皆保険が実現した。戦後、政府管掌保険の赤字問題により公的医療保険未適用者問題への関心が高まり、また、1955年の国民健康保険の療養給付費に対する定率助成金の法定化に伴い、国保実施市町村が増加し、適用の不公平感が顕在化したことが実現の背景にあったと言われている。


3.保険給付の拡充期

国民皆保険成立直後の制度は簡素なものであった。国民健康保険は5割給付、入院は事前承認が必要であり、投薬には剤数制限、給付期間の制限も存在した。その後、高度経済成長を背景に、給付内容の拡充がすすめられた。

1963年の国民健康保険法改正により世帯主のみ7割給付となり、1966年には世帯員についても同様の7割給付となった。1973年の健康保険法の改正により被扶養者への給付割合が5割から7割に引き上げられた。同時期に高額療養費制度が創設された。同制度はひと月あたりの自己負担額が規定されている自己負担額を超えた場合、超えた額が医療保険から支払われるというものであり、この制度によって月単位の医療費自己負担限度額が設定されることになった。
 
 給付割合は引き上げられたが、負担能力の乏しい高齢者に対する医療保障のさらなる充実を図るため、1969年頃から東京都などの自治体によって独自の老人医療費保障制度が実施された。これら自治体の施策を国レベルで実施すべきとの要請が高まり、1972年の老人福祉法改正により老人医療費支給制度が設けられ、70歳以上の老人医療費無料化が実現した。
 
 これらの保険給付の拡充に伴い、政府管掌健康保険が赤字になるなどの財源の問題が生じたため、1973年には一般会計からの国庫負担による政府管掌健康保険の赤字の解消と10%の国庫負担導入、保険料率の引き上げなどが行われた。1977年には健康保険における賞与への保険料徴収、国民健康保険における国庫負担率の40%引き上げなどが実施された。


4.高齢化に伴う医療費抑制策

 1980年代に入ると、高齢化の進展と国民医療費の増加によって、被保険者の自己負担額の引き上げ等による医療費抑制策がとられるようになった。1982年制定の老人保健法により老人保健制度が創設され、70歳以上の高齢者の自己負担が発生するようになった。2001年には定率1割負担、2002年に現役並み所得者は定率2割負担、2006年には3割負担に引き上げられた。
 
 非高齢者の自己負担についても引き上げがなされた。1984年に健康保険の本人自己負担が定率1割になり、1997年には定率2割、2003年には定率3割に引き上げられた。1997年に家族の入院時の自己負担が定率3割に引き上げられ、2003年以降、健康保険と国民健康保険の定率負担は同率となった。

 2008年には75歳以上の後期高齢者を被保険者とする後期高齢者医療制度が新設された。これにより従来の老人保健制度は廃止された。後期高齢者医療制度は被用者保険と国民健康保険とは切り離された独立した制度であり、75歳になると今まで加入していた医療保険から後期高齢者医療制度に移行する。保険者は都道府県別に構成される後期高齢者医療広域連合であり、市町村は同連合に加入することになった。
 
 後期高齢者医療制度の財源は、後期高齢者が納付する保険料(給付費の1割)、健康保険と国民健康保険からの後期高齢者支援金(給付費の4割)、国、都道府県、市区町村の公費(5割)となっている。このような施策にも関わらず、高齢化による医療需要の増加に対し、1990年代のバブル崩壊後、日本の経済は停滞し、その結果、国民医療費の対GDP比率は大幅に増加した。


5.無保険問題の現状

財政難による医療費抑制策など、国民皆保険はそのスタートから半世紀を経て、さまざまな歪みが生じてきているとも言え、その1つとして無保険の問題があげられる。無保険の状態に置かれ、経済的問題から医療へのアクセスを控え、その結果命を落とすというケースも民医連による調査によって報告されている。

 日本は国民皆保険であるはずだが、失職を理由にした無保険者が増加している。勤めている会社を辞めた場合、健康保険を引き続き任意継続するか、国民健康保険に加入する。任意継続被保険者制度は、失職により被保険者の資格を失った人に申請に基づき2年間、継続して被保険者でいることを可能にする制度であるが、事業主負担分を含めた保険料の全額を支払わなければならず、住所不定では手続きができないため、派遣切りなどで失職と共に住居を失ったケースなどは申請ができないという現状がある。国民健康保険への加入についても、健康保険に比べて高い保険料を課されるため、失職後、求職活動がうまくいかず生活に困窮している場合、加入をためらう、保険料の支払いが難しいなどの理由から、どの医療保険にも加入できず、無保険者となっている。

 また、国民健康保険に加入しているにもかかわらず、保険料滞納により、実質的な無保険状態に追い込まれるケースも存在する。国民健康保険料の滞納が続くと、保険証を返還させられ短期被保険者証、または被保険者資格証明書が交付される。短期被保険者証は,短期間に更新手続き(保険料納付)をしなければならず,被保険者資格証明書は、医療機関での支払いは全額自己負担となるため、事実上の「無保険状態」であることを意味する。


6.無保険問題に対する対策


 非正規雇用者の増加により、被用者であっても健康保険ではなく、国民健康保険に加入する数が増加しているなか、内閣府の試算では、2025年には年11・2万円になると見込まれており、すでに成熟社会を迎え、急激な経済成長が見込めない日本においては、無保険者に対する支援策を取らないことには、今後も無保険者の数は増え、医療へのアクセスを控えた結果亡くなる方の数も増えていく可能性があることが想像できる。

 対策としては、2点提起がなされている。阿部(2008)は、保険料設計の不公平について以下のように述べている。1)「第一に,世帯が負担する保険料は,同じ所得であっても,どの公的医療保険制度に加入するかによって大きく異なる。これは,国民健康保険と被用者保険の間に最も顕著であるが,被用者保険の間においても,政府管掌健康保険(現協会けんぽ),組合健康保険,共済会など,雇用主の規模やタイプによって保険料率は異なる2)。そのため,低所得であっても比較的に高い率の保険料を支払っている世帯もあれば,逆に,高所得であっても低い率の保険料を支払っている世帯がある。また,同じ国民健康保険でも,保険料設定は各自治体によって行われているので画一的ではない。

 第二に,公的医療保険の保険料の設定は,家族構成と密接な関係がある。被用者保険においては,扶養家族の人数にかかわらず保険料の設定がなされているので,同じ所得であっても,扶養家族が多い世帯のほうが「得」である。一方,国民健康保険では,被保険者(保険でカバーされる人,以下同)数に応じて課せられる均等割の部分があるので,扶養家族が多いと,保険料も上昇する。このような「不公平」は,被用者健康保険と国民健康保険が異なる概念によって保険料設定を行っていることから生じている。」これら阿部の指摘は、経済的困窮状態にある人々を無保険状態に陥らせないための保険料設計の不公平を是正するというアプローチである。

 2つめは、保険料滞納者を経済的問題を抱えている者=支援が必要であると捉え、保険料の減免制度の活用や、医療費軽減制度の活用、生活保護の適用などをすすめて、「無保険」の状態に至ることを防ぐという対人支援のアプローチである。日本の社会保障制度は前提として申請主義のもと運用されており、保険料減免や医療費軽減制度、生活保護などに関する情報が対象者に対しアナウンスされることはない。国民健康保険の滞納という情報は、すなわち経済的な問題を抱えてくれることを行政側に教えてくれる情報でもある。データを活用し、必要な支援につなげていくこともまた、無保険者を増やさないためのアプローチである。

7.さいごに

 本稿では、国民皆保険成立までの経緯、保険給付の拡充期、高齢化に伴う医療費抑制策から、国民皆保険成立から今に至るまでの変遷を整理した。その上で、日本経済の停滞、非正規雇用者の増加などを背景とした無保険問題の現状とその対策について整理を行ない、保険料における不公平の是正というマクロなアプローチから、行政機関における対人支援というミクロなアプローチまで、無保険問題の背景にある各被保険者の経済的問題への介入が必要であることが確認できた。
 限られた財源のなかで保険料を含めた公的医療保険の制度運用をどうするのか、また行政機関での対人支援にどこまでコストをかけられるのか、かけるべきなのかという論点について、次稿で論じていきたい。


8.引用文献

1)阿部彩(2008)『格差・貧困と公的医療保険: 新しい保険料設定のマイクロ・シミュレーション』季刊社会保障研究 44(3), 332

9.参考文献

長沼建一郎(2015)『図解テキスト 社会保険の基礎』弘文堂
香取照幸(2017)『教養としての社会保障』東洋経済新報社
木下武徳(2017)『日本の社会保障システム 理念とデザイン』東京大学出版会
菊池馨実(2018)『社会保障法 第2版』有斐閣
『日本経済新聞』2018年4月19日「無保険などで受診遅れ死亡63人 17年、民医連調べ」(アクセス日:2018年11月19日)https://www.nikkei.com/article/DGXMZO29571820Z10C18A4CR0000/


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