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自分が選択した職業から、金銭以外にどのような報酬を得たいのか?

今週は、いつもお世話になっている方と専門性と市民性の両者がそれぞれ内在化しているものなどについて言葉を交わす。

また、別の現場で、知的な障害を親子ともにもつ世帯について、予見できるいくつかの朧げな未来と、今日、明日の彼ら彼女らの喜びや楽しみや笑顔のあいだに身を置いて、なにができるのか、という会話をソーシャルワーカーの方と交わす。

そんな折、ふと、思い出される顔があった。
(エピソードは架空のものです)
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医療機関勤務時代に、介護疲れで親子心中をはかり、入院してきた父。職もなく、父の年金で生活する子。支配的な親子関係が自立を阻み、息子は中年期に突入していた。

入院を至った危機を、親子関係の葛藤を乗り越える機会と認識し、退院支援のプロセスで父子関係をともに振り返らせてもらった。

肩を震えさせ涙する中年男性に、缶コーヒーを手渡した外来のロビー。その肩はとても弱々しく、力は失われていた。

詳細は省くが、2ヶ月ほどの関わりを経て、経済的問題の解決、ほか退院に向けた阻害要因への対処を経て、退院となった。

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1年半後くらいだっただろうか。
ある夏の日、わたしを尋ねてきた人がいた。

一瞬、誰だが思い出すのに窮したが、彼は、肩を震えさせ涙していた中年男性だった。彼の傍らには、ワンピースを着た女性がいた。

要件は「父親を看取ったので、挨拶に来た。あのときは世話になったから、一言、礼を言いたくて」とのことであった。

悲壮感漂うわけでもなく、力を落としているようにも見えず、清々しささえ覚える、少し日焼けた顔が、そこにはあった。

そのとき、自分がかけた言葉をよく覚えていない。

驚くとともに、ふとおもったのは「こんなに健康的な顔をしていただろうか」という、過去の彼の顔との比較であった。

世話になったやつに礼を述べに足を運ぶ。
これまた、健康的なコミュニケーションだな、ヘルシーだなと感じ、両者の間に当時確かに存在していた援助関係に内在化されている権力性・非対称性の関係が解消されたことを理解した。

「おれはさ、いっとき、あの若造に世話になったんだよ。若いのになかなかたいしたやつなんだぜ、彼は(だから、君にも紹介したかったんだ)」

と、亡き父に代わって生活を共にしていくであろう伴侶に語り、はにかんでみせる顔は、「守るべき人を得た男の顔」であり、この2年のその人の変化を、その女性とともに辿るようなそんな意味のある時間の一部だったのかもしれないと、そんなことを思った。

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わたしには、「どんな危機的状況下にあっても人は変わることができる。人生の舵取りを取り戻していく力がある」という強い価値観・信念がある。

自分の大切にする価値観を、他者の人生へのいっときの関与を経て、確かめさせてもらい、強化する。この親子のケースも例外ではなかった。

他者の人生への関与を通して、わたしは、わたしが信じたいものを信じ、見せてもらい、強化させてもらうという、いわば、クライアントから得ている報酬は、そのようなものであり今もそれは変わってはいない。

健康度が高いかと言われると、そうではないし、危うさも内包していることも理解しているが、今のところはうまくまわっているので、手は加えずそのままにしてある。

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この職業につこうと決めた時、最初に自分に問うたのは、

「金銭以外に、この職業からどのような報酬を得たいのか」ということだった。

暫定解として出した答えは、10年以上たった今も、自分の中で無理なく運用され続けている。

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他者を安易なラベリングすることに逃げ、理解なぞできないが、それでも理解しょうとする試み・探索と、他者へ関心と敬意を向けることを怠ってはいけない。

考えることを止めてはいけない。

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