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社会福祉制度は『申請主義の終焉』を夢見るか

「日本の社会福祉制度は申請主義だから」

学生時代、授業で耳にし、そして、社会福祉士の資格を取得し、病院や介護の現場に出てから自分も口にしてきた言葉だ。

本エントリでは、福祉現場からみる申請主義、その問題点、そして問題点に対して、ソーシャルワーカーとしてできることについて、考え述べていきたい。

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1.申請主義とはなにか?

申請主義の定義と問題については、長尾英彦氏の「行政による情報提供―社会保障行政分野を中心に―」がわかりやすい。(以下、抜粋)

行政情報, とりわけ国民・住民の生活に大きな影響を与えるものが十分周知されることの重要性は, 必ずしも社会保障制度に関連する情報に限ったことではないが, 留意されるべきは, 社会保障・社会福祉諸制度上の諸給付は, 多くの場合, 受給資格者からの受給申請をまって, 受給資格の有無を審査したのちに (資格があれば) 給付を行なうこととされている (「申請主義」) ことである。

「一般の住民はせっかく自己に対する給付立法がなされても, それを知らなかったために失権してしまうことが多い。 政府当局による十分な広報活動を伴わないとき, いかに優れた社会保障給付制度も画餅に帰する」 という指摘は重要である。


社会福祉制度を含む社会保障制度は、受給要件に該当しているとしても、「あなたは、この制度の受給要件に該当していますから、申請をしてください」などいう親切な声かけがされることはない。

結果、自分で知り、気づき、申請をしなければ、もしくは、本人の身の回りの人が情報提供をしてくれなければ、受給要件に該当していても、受給に至ることはない。

行政のホームページなどでは各種制度のインフォメーションがなされているが、自分がどの制度の受給要件に該当するか以前に、自身の生活上の困りごとに対してサポートしてくれる制度を見つけ出すこともまた難しい。


申請主義の1つ結果としての生活保護の捕捉率の低さは、読売新聞大阪本社編集委員の原昌平さんの記事に詳しい。(YOMIURI ONLINE:貧困と生活保護(49)生活保護の大問題は、低すぎる捕捉率)

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2.申請手続きに存在する障壁

自分が受給要件を満たしている制度の存在を知ることができたとしても、
申請の手続き自体が障壁になる場合がある。

書類を記載する、申請に必要な添付書類をあつめる。これらの行為・準備には、ある一定の理解力を伴うので、認知症を患っている方や障害のある方、言葉の困難がある方(母国語が日本語でない人たち)のなかには、申請手続きそのものが、申請における大きな障壁となる場合が少なくない。

「制度の存在を知っていても、手続きが困難で、制度を利用できない」

このような場合、申請主義を乗り越えていくために、伴走支援を行ってくれる他者が必要になる。

私事になるが、10代前半の頃、大病で2年ほど入院をした。そのときにお世話になった制度が「小児慢性特定疾病対策における医療費助成制度」というものだ。対象となる病名において、医療費負担の軽減がはかられるというもの。(参考:小児慢性特定疾病情報センターHP)

この制度により、わたしの(両親が支払う)医療費の負担額はだいぶ軽減された。

そして、この制度は、入院中の病棟の看護師さんがインフォメーションしてくださり、手続きについても説明してくださった。親も、自分のこどもの発病に混乱し、冷静に情報収集できる人ばかりではない。突然の困難で冷静な思考や判断能力が低下しているとき、そこには伴走支援をしてくれる専門家も必要なのである。

ちなみに、多くの病院には、病気や怪我によって生じる生活上の困りごとの相談を受け付けるソーシャルワーカーという職種がいるので、外来・入院で病院にかかった際に困ったことがあれば、相談されたい。

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また、制度インフォメーションの文章自体が、申請における心理的障壁をあげ、スティグマを強化してしまうものもある。申請に伴うスティグマを解消しようと意図された試みが、東京都板橋区の取り組みである。就学援助という制度を、必要な世帯に必ず届けるために、インフォメーションの文書や申請における記載に工夫を施している。

(1)まず制度を説明する案内文書、多くの自治体では「就学が困難な児童生徒に対して」などという書き出しです。しかし、板橋区は「就学援助は楽しく子どもが学べるための制度」だと書いていて、申請への心理的なハードルを下げています。

(2)そのうえで、家族の人数ごとに援助の対象になる所得の目安を具体的に記載。「経済的に厳しい」とか「生活状態が悪い」など、あいまいな表現は使わないようにしています。

(3)さらにプリントには申請を「希望する・しない」という項目を記載。丸印をつけて封筒に入れ、全員に提出してもらうことにしたのです。全員が提出するため、支援を受けられる状況の人が、その網からこぼれることを防ぐことができます。

NHK NEWS WEB「義務教育だけど不平等」より抜粋

「就学が困難な児童生徒に対して」という記載は、世帯の困難を自覚化させるというスティグマを生じさせるが、「就学援助は楽しく子どもが学べるための制度」という記載は、そのような思いを抱かせることがなく、結果、スティグマによる申請をためらわせる障壁を取り払っている。

制度の申請用紙を1つとっても、制度の申請の障壁は、存在している。

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3.制度からの排除と申請主義

社会福祉の仕事をしている人たちのなかで、「困りごとを解決してくれる制度がない」、「制度はあるけれども、さまざまな理由でそこにアクセスできない」という意味で、「制度からの排除」という言葉が使われることがある。

「制度はあるけれども、さまざまな理由でそこにアクセスできない」

これは、本エントリで記した、申請主義を取り巻く問題の1つである。

「制度はあるけれども、さまざまな理由でそこにアクセスできない」については、現場レベルでさまざまな知恵が出やすく、実行コストもそこまで高くない。

前述した板橋区の取り組みも、「制度はあるけれども、さまざまな理由でそこにアクセスできない」に対するものである。

制度利用を必要としている、社会的に弱い立場におかれた人が、申請主義を乗り越えるには、「力」がいる。そしてまた、ときに、乗り越えるための伴走支援をしてくれる他者のサポートも必要だ。

そのことを前提におき、

「①制度そのものの中身」
「②制度の情報を届ける方法」
「③手続きに困難がある人への伴走支援」

この3つをセットで考える必要がある。

申請主義は、著しく②と③を欠いている。

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4.申請主義を乗り越えていくことが難しい人たちに制度や支援を届けるために


「申請主義を乗り越えていくことが難しい人たち」は、言い換えれば、「福祉が未だ、発見できていない人たち」でもある。

「未だ、発見されていない」が、「困っている人」は確実にいる。

悲しいけれど、そのような人たちと医療福祉現場で出会い「発見する」とき、それはときに、病状重篤化による救急搬送であったり、児童・高齢者虐待の発見であったりする。

そのような発見の仕方は避けたいと、福祉現場で行われてきた取り組みに「アウトリーチ」と呼ばれるものがある。

アウトリーチの多くは、すでに制度を利用している(申請主義を乗り越えてきた方、)、すでに誰かに「発見されている」方のいる場所(自宅など)に、出向き、情報や支援を届けるというスタイルであるゆえ、「福祉が未だ、発見できていない人たち」に情報や支援を届けることができないという限界があった。

その限界を乗り越えてきた、医療福祉領域の取り組みをいくつか紹介したい。

⑴若年ホームレス:図書館、ファストフード店、ネットカフェ(NPOビッグイシュー基金)

⑵独居老人:ポイントカード、商店街、IT企業、行政やNPOとの連携(世田谷区)

⑶検診弱者:ワンコイン健診、パチンコ店、ミニスカートの看護師(ケアプロ株式会社)

⑷自殺を実行しようと考えている人:スマホ、検索、検索連動広告(NPO法人OVA)

上記の団体、すべての取り組みにおいて、共通しているのは、想像力を駆使し、「未だ発見できていない人」と出会う仕組みを開発し実施していることである。これらの団体の取り組みから、医療福祉現場が学ぶことは多い。

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5.社会福祉制度は『申請主義』の終焉を夢見るか


本エントリでは、

「①制度そのもの」、「②制度の情報を届ける方法」、「③手続きに困難がある人への伴走支援」の3つをセットで考える必要がある。

申請主義は、著しく②と③を欠いている。

と述べ、申請主義を乗り越えることが難しい人たちに対する医療福祉現場の取り組みとしてのアウトリーチ、その実践例についてお伝えをしてきた。


最後に、ソーシャルワーカーとして、わたしとして、わたしたちとして、「できること」について、いくつか記していきたい。


⑴制度利用にともなうスティグマの軽減

さまざまな論者が述べていることであるが、生活保護バッシングなどは、制度を利用することに伴うスティグマを強化する。

私が、医療機関に勤務していた時代に出会った、ネットカフェに寝泊りをしており、派遣労働の現場で倒れ、救急車で運ばれた患者さんから聞かれた言葉に「生活保護も考えたが、テレビで若くて働ける人間は受けられないと聞いたから」という言葉がある。

正確ではない情報が蔓延し、根拠のないバッシングにより制度利用に付するスティグマを強化することは、この社会にいきる未来の自分たちの首を絞める想像力に欠けた行為であることを、自覚したい。


⑵申請主義に変わる仕組みの設計

行政の申請主義に対して、「プッシュ型行政サービス」という考え方がある。電子化をすすめるエストニアの取り組みや、新興技術であるブロックチェーンの技術の活用が、申請主義の未来にどう関与してくるのかを注視するとともに、医療福祉現場に身を置く人間たちも、テクノロジーを勉強し、その活用について考えていく必要がある。

参考;未来型国家エストニアの挑戦 電子政府がひらく世界 (amazonのリンクに飛びます)


⑶医療福祉現場レベルでの取り組み

私も含めた現場の人間たちは、「制度の情報(や支援)を届ける方法」、「手続きに困難がある人への伴走支援」をどのように構築し、実施していくかを知恵を出し合い考える必要がある。

例えば、病院勤務のソーシャルワーカーであったとしても、入院や外来で医療機関にすでにアクセスしている人の中で、制度の情報や支援を必要としている人がいないかどうか、発見する取り組みを行うことはそこまで難しいことではないと想像する。生活上の困りごとの相談や制度の説明などを行う部門が病院内にあることを周知案内するリーフレットを作成し院内各所に設置する、ソーシャルワーカーが病棟看護師など他職種を対象に、発見の目をもってもらう研修を行うなど、組織に属していても、「制度の情報(や支援)を届ける方法」はいくらでも考えることができるはずだ。

板橋区の就学援助における、申請書類の一語を変えることで、申請主義の障壁を下げる取り組みのように、現場には、申請主義を乗り越えることが難しい人に、情報や支援を届けるための工夫の種がたくさん詰まっているはず。

「日本の社会福祉制度は申請主義だから」とあきらめを口にせず、
「どうすれば?」と問いかけ、現場に立つことを辞めずにいたい。

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