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み言から解く韓国キリスト教史

武藤先生

選民の祝福を受けた聖霊の役事


あらゆる国々は神話の多神教だった。
東夷族だけ唯一神だった。
本来はアジア周りでイエス様の教えが伝わっているはず、しかし十字架により西回りになった。ローマ帝国、スペイン、イギリスからアメリカへと流れていった。

本来は日本の島しょう国家

1907年キルソンジュ牧師平壌神学校卒業、早朝祈祷会が始まった。そのきっかけで平壌大復興が起こった。
朝鮮半島に起こった平壌大復興が起こった場所に金日成の銅像が立っている。
お母様がお生まれになった大きな条件

3・1独立運動33人のひとり、キリスト教の代表
1909年20万信徒を100万人にする心霊復興運動
伝道チラシ318万枚配布、福音書分70万冊配布
お父様とお母様の自叙伝配布に繋がる。

ジョージ・デイビス1901年に『Korea for Christ』キリスト教史における最も驚くべき宣教運動の真ん中に立っていると言った、
燃える情熱に充満し、7歳の少年が各人の腕を捕まえて涙を流しながらイエスの話を語っている姿を見て自らの罪を悟った。
1910年韓国併合、アメリカの宣教師たちの宣教運動に危機感を覚えた。米国の宣教師と日本の戦いが真珠湾攻撃として現れたとお父様が仰ったことがある。
米国宣教師105人実刑宣告、99人無罪、クリスチャンの素晴らしい人材だとあかす。
李承晩が『国を失っても天国を先に求めよう』言う。アジアにキリスト教文明を発展させる、イスラエル民族ように特別に選ばれた民族だとわかっていたにも関わらずイエスの再臨を受け入れることができなかった。

寺内正毅 『諭告』
日本組合基督教会 総督府の巨額の援助
渡瀬常吉牧師『朝鮮教化の急務』
日本神学の提唱、古事記と聖書の内容は同一
サタンがみ言を失ったエバ国の信仰を奪おうとした。

1911年『私立学校規制』民族・キリスト教系学校の規制
1915年宗教と教育の分離 礼拝禁止、授業は日本語のみ
韓国で全国で神社を設定
1919年3・1運動
3ヶ月で202万人参加、死者7,509人、負傷1万6千人、逮捕4万7千人焼却された教会47堂学校2校、民家715件
4・15 堤岩里虐殺事件、武断統治から文化統治に変わった
7・18 ソウル南山に朝鮮神社
1925年10・15 

神社参拝はして良いのか?
神社を守る先祖の為に祈る、神様としては祈れない。
天主教、監理教、安息教、聖潔教、聖公会、長老教
1938年9・10 朝鮮イエス教長老会
神社は宗教では無く、愛国的国家儀式だと自覚よって基督教の教理に違反しない。
チュ・ギチョル牧師が参拝を拒否続けて1944年殉教
息子に言った恐怖、眠らせない拷問、精神異常で参拝を受け入れることが恐怖、生殖器に針金を入れる拷問
日帝時代末期のキリスト教の姿
神社参拝で韓国の聖霊の火が消された。
二人の牧師の反対、信仰折られた現実に妥協するキリスト教になってしまった。独立後に参拝反対派の神霊集団中心に参拝派を悔い改めさせる摂理
日本が再臨準備のための聖霊復興の火を消し、『感っ久野キリスト今日が再臨主を迎えるのに失敗、再臨摂理の破壊

アダムの信仰の火を神社参拝によって消してしまった日本人である、エバの立場を悔い改める私たちにならねばならない。そして再度、信仰の火を燃やす使命がある私たちです。




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