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復帰摂理歴史の原理観

タマルによる胎中聖別によってメシアを迎える準備ができ、マリアを通してイエス様を身籠りました。ザカリアの妻エリザベスに相談しました。エリサベスは洗礼ヨハネを身籠った立場でマリアを祝福しました。
モーセ五書によると、石打ちの刑に処される婚前交渉だったのに命掛けてイエス様を産みました。神様の啓示を受けてその神様の啓示を死ぬまで守らなければなりませんでした。
私たちも死ぬ瞬間までみ旨の道を全うしなければなりません。一度の啓示でノアは120年間箱舟を作りました。私たちも最初に出会った神様を忘れず、神様に命を捧げた動機を人生の最後まで信仰を貫かなければなりません。信仰生活は自分をプラスを築きあげなければなりません。愛の利益を積み上げるのです。
毎日、動機をと正して原点に帰って昨日よりも今日、今日よりも明日、毎日成長しなければなりません。

善悪分別

善悪を分別するために神様から与えられたみ言を探して生活します。み言を通して神様の愛を受けることがありません。み言ばを切望しないことが罪です。
アダムの罪、ノアの罪、アブラハムの罪、イエス様を十字架にかけた罪、全ての歴史的な罪を負っている現在の私たちです。
イエス様を信じるクリスチャンは自分は罪人だと知っています。
その私たちの罪を負って十字架で亡くなったイエス様を信じることで贖罪を受けると信じます。
では私自身は自分の罪をどれだけ
先祖の罪を自分の罪だと告白して、悔い改めることによって自分の罪だけではなく、先祖が犯した罪まで自分の罪だと感じて他人の罪まで責任を持つときに先祖が、他人が解放されるのです。
先祖を代表として、摂理的中心人物としては私は悔い改めて遺伝罪と自犯罪を解決する。涙で悔い改めなければなりません。罪の精算するのです。先祖解恩です。

涙の道


信仰の道、重生する道は涙の道、相手の罪を裁くことなく、他人の不正行為は自分の罪だと感じるのです。
相手の不正行為に対して、怒りを覚えていてはダメだです。いつも
涙で受け止めて思いやり、許して行くのです。
イエス様、真の御父母様は涙を流して行かれました。感情的に同情して泣くのではありません。神様の立場で愛する涙です。

その人の過ちは先祖の問題だと考えてその人を抱擁してあげてるのです。親の心と僕の体で支えてあげる生活をしなければなりません。

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