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🌅伊勢山皇大神宮🌅

神奈川県横浜市の京急線沿いに「日ノ出町」と言う駅がある。

黄金町、日ノ出町と綺麗な駅名が続くのだが、
この日、私は長年疑問に思っていた綺麗な駅名の理由に合点がいった気がした。

日ノ出町駅から歩いて10分。急な坂を登ったところに、この神社がある。

祀られているのは、☀️天照大御神☀️である。


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天照大御神といえば、太陽神である。

私は、生まれも育ちも横浜なのだが、こんな身近に天照大御神が祀られている事は知らなかった。

そして、それを知った時、私は長年の冒頭の合点がいった。

天照大御神が祀られた街だから日ノ出町なんだと。

天照大御神が君臨し、辺りを黄金色に染める。

以前から感じていた、この素敵な名前と、黄金町から日ノ出町にかけた街一帯の何だか清々しい心地は、このためだったのかもしれない。

黄金町から日ノ出町には、氷取沢市民の森を源流とした、大岡川が流れ、春には川に沿って桜が満開となる。

野毛山公園は、広くて見晴らしがよく、遮るものがない。天照大御神である、太陽が燦々と降り注ぎ、街一帯が清々しい空気に満ちているのだ。


この日は2023年の正月三が日と言うことで、神社は大勢の人が参拝に並んでいた。

気が遠くなるほど人々が並び、進んでいる様子もない。心が折れそうになり、参拝は諦めるか頭で考えていたのだが、不思議と体は並ぶ方向へと歩みを進めていた。

頭での整理がつかないうちに、なぜか私は長い列の最後尾に並んだ。

時間を要するだろう。

漠然と私はそんなことを思っていた。
ここではないが、何度か参拝で長蛇の列に並んだことがあり、なかなかと進まないものであった。

進まずに、痺れを切らしたら参拝は見送ろう。

そんなことを思っていた矢先に、列はスルスルと動いて、あっという間に神社の入り口にある一つ目の鳥居まで流れ着いた。

急遽途中に設置された手水舎で、手を洗う事も忘れず、流れに沿って、スムーズに階段を登る。

そして、境内に入る前の鳥居の側まで来た時、
本殿の白い布。御幌(みとばり)を見た。

それを見て何だか少しだけ、感動したのだ。

他の神社にはない、シンプルな白い御幌。
よくTVで映る、三重県の伊勢神宮と同じで、
天照大御神の神社へ来たのだな。と思った。

この白いシンプルな御幌を見るたびに、天照大御神は女性なんだなと感じる。

荘厳な家紋をあしらえて、威厳を示しているわけでもなく、注連縄で、扉を見せているわけでもない。

丸腰は恥ずかしい。けれど強い家紋のようなものだと重々しい。
外に部屋の中が丸見えになるわけでもなく、けれど遮光カーテンのように、光を遮らないような女性らしいレースカーテンのようだ。

そんなことを思っていると、本殿の御幌が靡いたのだ。
風が吹いていたかは覚えていない。

御幌が、風に靡くと、歓迎されている。というのもTVで見たことがあった。

これは、天照大御神が歓迎してくださってるのだな。と直感的に思った。
だから、入るのもスムーズだったのだ。

無事に参拝を済ませ、今度は毎年恒例のおみくじへ足を運んだ。

おみくじの種類が二種類あって、
普通のおみくじと、小さな御守り付きのおみくじとがあった。

特に何も考えず、人様が並んでいる列に並ぶ。
御守り付きのおみくじは誰も並んでいなかった。

個人的には御守り付きの方が可愛いなと思っていたのだが、もしかしたら値段が少し高いのかもしれない。だから、人様の列は普通のおみくじの方なのかもしれないと思って並んでいたのだが、自分の番になった時、値段を比べたら同じだった。

だったら、お守り付きの方がお得だし、それがいいし、なぜ、大勢の人はこちらなのか。
私って変なのだろうか‥。
そんなことを思っていたら、流れに逆らえずそのまま、普通のおみくじを引くはめに。

結果は末吉。
一つもいい事が書いていなかった。

おみくじ納め所に括り付ける際も、いつもはないことなのに、一部が千切れてしまった。

何だか縁起が悪いな。

そう思いながら、やっぱり納得がいかなく、 

もう一つ、初めからいいなと思っていたお守り付きで同じくらいだったら今年の運試しはダメかもな。

そう思い、御守り付きのおみくじを引いたらば吉だった。

これは、
「大勢の人様の行動に流されず、自分の直感や、こっちがいいと思う方へ素直に行けばいいことがある」
と言う、天照大御神の直々の教えだったのだろうと直感した。

これまでの世の中の流れ的にも、「皆と同じでなければならない」と言った暗黙の了解があった。
だから、大勢の行動に従えば正しいと言った刷り込みのようなものがあったが、これからの時代は違う。

もし、大勢の人を横目にしても、一人違うところを行きたいと思ったならばそれが正解だと。

太陽神は私に教えてくださったのかもしれない。

従うべきは、己の心。
(一人逆をいけと言っているのではない。大勢の中が正しいと思うのならばそれが正解。何が正解かは自分の心次第ということだ)

私が身につけるのは同調に怯まぬ心と、流されぬ心なんだろう。

その重大な気づきを諭すため、天照大御神は、長蛇の列をスムーズにし、御幌を靡かせ、歓迎を表して下さったのだ。

そう、全ての捉え方は自分次第。
天照大御神が導いてくださった。
これが私の正月三が日の正解であり、真実なのだ。










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