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ふと気づいた。


1人茶碗を洗う姿が窓に映っていて
何年も前からこうだったし
毎日同じようにこうして
映っていることもわかってるのに
良い絵だなって初めて感じた
iPhoneでも何年も前から何枚も
写真は撮っているし
デジカメ時代ももっと前の写真部
時代もいつも色んなものを
撮ってきたけど、40歳を手前に
色んな景色を見て、
色んなものに触れて、
色んな感情を手に入れて、
それからまた始めたフィルムカメラの
お陰で、小さな良いものも、
どうしようもなくありのままの全然きれいじゃないものでも、それが逆に良いのかもしれないとか、そういう何かを見つける目みたいなものを
身につけられるようになった、
見えるようになってきたのかも
しれない。
写真を撮る日々。
勿論プロでもないし技術も
知識もないけど、良いと思ったから撮る、それを繰り返していると
自分も、自分の汚い持ち場も
悪くないなって思えた瞬間。


手を振らない写真と手を振る写真、どっちが良いか見比べて、振ってる方がなんか冷やかしっぽくないし、
生ものって感じがするから
手を振る方を採用したけど、なんか
気持ち悪い気もするし、やめとこうかなって気もするし、晒す必要なくない?とも思うし、これは誠実なものなんだからいいじゃないかって気もするし
そういうのは全部今、
両耳に入れてるイヤフォンから流れるSharonのせい、お陰かな。



この写真にうつらない部分には
ほこりや信じられない程散らかったおもちゃ、謎の紙コップとぐちゃぐちゃのプラレールやら、夕方体にいっぱい張って遊んでた絆創膏のゴミまで落ちている。それを?今から?片付ける?か?やりたくないなぁ。


もし明日、天気が良ければ
金木犀の香りを生まれて初めて
呼吸しにいってみるつもりです。
北海道には咲けない花です。だから
本物をかいだことは無いんです。
唯一の場所に咲く、それがもうすぐ終わってしまいそうと聞いたので。
この無駄に研ぎすぎた感覚で
めいっぱい捉えてこようと思います。

おやすみなさい。

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