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宮島水族館のタマとミッキー 

 宮島水族館から鳥羽水族館に移動したタマとミッキーについて、鳥羽市立図書館で鳥羽水族館から発行されている季刊誌、「Toba super aquarium」のアーカイブを製本した本を調べていましたら性格とプロフィールについての記載がありましたので記事にします。

鳥羽水族館 「歴代ラッコたちの写真展」より

 宮島水族館からタマとミッキーが鳥羽水族館へ移動したのは1999年2月15日。ミッキーは移動後の調子が思わしくなく、翌月の3月27日に死亡しました。
 今はメイの得意技として有名な「イカミミジャンプ」は2006年頃にタマが始めたものらしいです。宮島水族館で別のラッコが水面から1.2メートルほどの高さにあるシャワー管をジャンプで折り取ったことが中国新聞連載の「カッキー物語」で書かれていたので、タマとカッキーが生きていた時期は重ならないのですがジャンプの技術が他のラッコごしに伝わっていたのかもしれません。タマがイカミミジャンプを始めた経緯については調べてもわかりませんでした。

「Toba super aquarium 21-30 1999年 No.29 p24」 より

 広島の中国新聞でも、タマとミッキーの性格についてはわかりませんでしたが鳥羽水族館の季刊誌に載っていました。特にミッキーは資料がないと思っていたので収穫でした。



「Toba super aquarium 51-60 2007年 No.51 p21」 より



「Toba super aquarium 51-60 2008年 No.54 p30」より

 鳥羽水族館の季刊誌「Toba super aquarium」に長年連載され続けている四コマ漫画。2008年時点で「イカミミジャンプ」という技術が特異なものであったことがわかります。


鳥羽水ラッコ年表

 残念ながらタマから血縁が繋がることはありませんでしたが、「イカミミジャンプ」が現在のメイにしっかり引き継がれています。
 タマに繋いでくれたミッキーと長崎バイオパーク出身のリョウに感謝です。野生では生息地で採れる餌の状況により、ラッコの間で貝を割る技術が特定の集団内で引き継がれることが確認されていて、メイもタマのイカミミジャンプを見て学習していたと思うとロマンがありますね。
 ラッコも日々見たものから何かを感じ取り、それをずっと覚えているのです。


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