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おたる水族館のラッコたち

1985年10月10日~2005年11月27日まで展示されていました。

 丘に囲まれた実質プライベートビーチの海獣公園を持つ水族館。本館から海獣公園までの道のりは急な坂で、上り専用のエスカレータが設置されている。冬は積雪のため海獣公園は閉鎖される。
 夏はフンボルトペンギンのショー、冬はジェンツーペンギンの散歩が行われる。2011年までは小樽の雪あかり祭りに合わせてのみの開館で、冬季は基本は営業休止だったらしい。
 もともとは1958年の「北海道大博覧会」が水族館の始まり。

隣の祝津マリンランドは11月には今期の営業を終了していました

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 当初、ラッコは雄1雌3で搬入する予定でしたが経由地の東京で雌1匹が体調を崩してしまいサンシャイン国際水族館に収容されるも死んでしまいました。ラッコが輸入されるときはラッコを希望する水族館に応じてまとめて野生から捕獲してくるケースが多く、おたる水族館の場合は宮島水族館と同時にラッコが搬入されました。
 
 ラッコ公開時は大盛況で、11月4日に冬季休業に入る予定を24日にまで伸ばしています。

 ラッコが一般公開された10月10日、開館の午前10時にすでに200人余りの家族連れが列を作った。この日、ふだんの休日の2倍近い約6000人が詰めかけた。「10月は昨年の約2倍の入り込みだし、11月の平日ですら100人を切ったことがない。」という。また、入館締め切り時間後も「はるばる来たのだからラッコを見せて」という飛び込みが絶えなかったそう。

閉館までの一カ月間、3万人が入館。ラッコへの投資に加え、イルカスタジアムと本館を建てた時の借金が残っていたのですが、翌年から数年間はラッコフィーバーが続き、水族館も潤いました。職員全員に特別賞与が数年間配られたそうです。

ネット上で分かるおたる水族館にいたラッコの情報としては
ミミ(♀)、リンタロウ(♂)、その子供のミリン(♀)、ヒロコ(♀)、登別マリンパークニクスからやってきたトマト(♀)です。
「ミリン」は、「トマト」が登別マリンパークニクスから移動してくる2000年10月20日に八景島シーパラダイスへ移動しました。※munyさんの「ラッコニュース」より

登別マリンパークニクスで飼育しているラッコが一匹になったことに伴い、幸福を考えて「トマト」が2000年10月20日におたる水族館に移動。
そして2005年11月27日、おたる水族館で飼育しているラッコが一匹になったことで繁殖を目指して三津シーパラダイスに引っ越ししました。

2022年12月15日に旭川市立図書館と2023年7月19日に市立小樽図書館で、おたる水族館のラッコたちについて追加調査。
三津シーパラダイスからやってきたリンタロウと1993年に誕生したミリンについては何も分からなかったものの、最初におたる水族館にやってきたラッコたちとそのエピソードについて判明。
北海道新聞縮刷版、「命の輝きとともに おたる水族館と歩んだ36年の軌跡を生き物たちと共に振り返る」からの情報を追記修正。

参考記事
読売新聞1985年10月3日
ラッコがやって来る ーおたる水族館ー 米国から4頭

読売新聞1985年10月11日
「ラッコ見たい」200人が行列 おたる水族館、入場者ふだんの倍

朝日新聞1985年10月6日
ラッコに赤ちゃん 到着早々、体調に不安 おたる水族館

北海道新聞1985年11月25日18面
最終日もラッコ人気 「かわいい」三千人入館
小樽水族館、冬季休業入り

北海道新聞縮刷版
北海道新聞1986年5月13日
北海道新聞1987年8月9日

※いずれも小樽地方版

命の輝きとともに おたる水族館と歩んだ36年の軌跡を生き物たちと共に振り返る p42~p45



海獣公園

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ラッコがいた場所(現在はワモンアザラシが展示されています)

おたるラッコ


ラッコの飼育されていた水槽、二部屋

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