THE BACK HORNは人間です。

最近に限った話ではないけれど、悲惨な事件のニュースを見る度に人間を辞めたくなることがある。人間が何だか分からなくなることもある。ひとは何の為に生きているのか、生きる為と言う大義名分の元に他者の命を奪ってまで生かす命に果たして意味はあるのか、そんな答えの出ない疑問について考え出してしまい眠れなくなる時わたしは決まってバックホーンを聴く。「ヘッドフォンの中になんて救いはない」ってことはもう知っているけれど、それでもどうしてもバックホーン以外こんな気持ちをどうにかしてくれるとは到底思えなくて。

2019年10月23日に発売されたバックホーンの最新作「カルペ・ディエム」はわたしにとってそんな夜に寄り添ってくれる大事な一枚になった。本人達も言っている通り今までで一番四人が平等に楽曲制作に関わっているこの作品は結成21年目にして新しい試みがこれでもかと盛り込まれている上に、バックホーンでしかあり得ない世界が広がっているのだ。1曲目の「心臓が止まるまでは」で歌われている「全身全霊生きたがって叫ぼうぜ」と言う言葉にファーストアルバムの人間プログラムに収録されていた「ひょうひょうと」の「生きることに飢えている」を思い出したのはわたしだけではないだろうが、彼らは一貫してずっと「生きていくこと」を歌い続けてきた。この異常なまでの「生への執着」が、21年経った今も煌々と燃え続けている。全11曲、どれを聴いても確かに今を生きている人間の、血が通った生々しい音がする。今までになくどれだけ同期やストリングスが取り入れられていても四人の鳴らす音が何よりも強く響いてくるこの絶妙なバランスはさすがとしか言いようがない。こんなに新しいのにどこを切っても金太郎飴みたいに純度100%の最高にかっこいいTHE BACK HORNが出てくるのだ。
色々なインタビューで語られているように、今作は栄純さんが他のメンバーにこんな曲を作ってきて欲しいとオーダーする形で制作されたのだが、何が凄いってそのオーダーの仕方とそれにしっかり応えて来れるメンバーのスキル、そして何より四人の信頼関係の強さだとわたしは思う。例えば将司さんに出した「バックホーンの十八番を作ってきて欲しい」なんて無茶ぶり、こいつなら出来ると思ってなきゃ言えないでしょ。コバルトブルー作ったひとにそんなこと言われたら普通はプレッシャーで死ぬ。光舟さん向けに出した「16分でスラップで引っ張っていく曲」と言うオーダーにしても、彼の音楽的センスや持ち味をよく理解していないとこんなに的確に指示を出すなんて出来ない。
これもインタビューで語られていたことだが、バックホーンは四人共互いに「あいつには負けられねぇ」と思っている。だからこそ、菅波栄純と言う圧倒的天才がいながらそこに甘えることは一切無く期待に応えるしそれ以上の結果を出せるのだろう。
そんな風にして作られた楽曲達は実にバラエティーに富んでいてそれぞれの色がしっかり出ていながら、どれもこれも間違いなくバックホーンなのだ。こんなこと四人が同じ方向を向いていないと出来ない。だから素晴らしい。あの四人が、誰よりもバックホーンを理解し我々の持つバックホーン像を裏切らないでいてくれる。何があってもバックホーンでいてくれると言う絶対的な安心感。それがファンにとってどれだけ嬉しく、心強いことか。改めて彼らの存在に深く感謝させられた。
そして今回何よりこころを掴まれたのが松田さんの作詞家としての才能と変化である。今までも彼の言葉のチョイスや感性には何度も驚かされてきた。聴けば情景が鮮明に浮かぶような叙情的な歌詞があれば非日常を描いたドラマチックな歌詞、或いはひとの複雑な心情を残酷なまでにリアルに表現した辛辣とも言える歌詞。生きていく上で当たり前に生まれる感情を松田さん独自の視点や言い回しで表現してきた過去の名作達はその並外れた世界観からか、わたしはどこかリスナーとの距離を感じていた。それが今作に収録されている「ソーダ水の泡沫」、「太陽の花」、「果てなき冒険者」、そしてこのアルバムを締める「アンコールを君と」ではぐっと縮まり松田さんからこちら側に歩み寄ってくれているようにすら感じてしまう。泣いた。「ソーダ水の泡沫」は光舟さん作の淡く美しい旋律にはこれしか無いと言うぐらいにハマった言葉達が曲の良さを最大限に引き出しているし「太陽の花」では松田さんの独特の感性で「今を生きろ」とアルバムの核となるメッセージがあまりにも詩的に表現されている。今まで以上に曲と聴き手に寄り添った松田さんの歌詞がこの名盤の中で一際輝いているのだ。20周年イヤーを終えた今、これまでバックホーンの音楽と共に生きてきたファンへの感謝を歌詞に託して伝えようとしてくれている。
アルバムの終盤「I believe」と言うバックホーン史上最も、と言って良いほどに聴くひとのこころの弱いところを容赦なく抉り鼓舞する濃密な曲の後に収録されている「果てなき冒険者」はそんな松田さんの心境の変化が顕著に現れた傑作だ。将司さん作の壮大で包み込むような力強さを持ったこの曲に乗せられた歌詞は、諦め切れない夢を持ちながらも日々を越えるだけで精一杯なこの国で生きる大多数の人間を肯定し、あと少しもう少しだけ頑張ってみようと思わせてくれる素晴らしい応援歌になっている。押し付けじゃない優しさがじんわりと広がっていくような歌詞とそれを紡ぐ将司さんの歌声も相俟って一日の終わりに聴くと特に染みて何度聴いても泣いてしまう。
THE BACK HORNは結成以来20年、止まることなくコンスタントに作品を発表し続け今年の2月に三度目の武道館公演を果たした謂わば成功者だ。わたしからしたら生きる希望を与えてくれる神様みたいなひと達だ。その神様が「もし生まれ変わっても同じ道選ぶよ 受け入れた弱さと共に目指すから 悪くない物語さ」なんて言ってくれている。弱さを受け入れることがどれだけ勇気のいることか、松田さんはきっとよく分かっていてこのフレーズを書いたのだと思う。そのことが本当に嬉しい。生きている中でどれだけしんどくても「もっと大変なひとはいる」「みんなもっと頑張ってる」と思ってしまって自分の頑張りを自ら認めてあげられない時、この果てなき冒険者は間違いなく救いになる。少なくともわたしは、バックホーンに「大丈夫」と言って貰えるだけで大丈夫な気になれた。
アルバムは「心臓が止まるまでは」で始まりハイテンションに前半を畳み掛けてきたかと思うと「ペトリコール」からの後半がまた濃厚で一気に聴けてしまうのだがこの「果てなき冒険者」で一旦完成を迎えラストに「アンコールを君と」と言う正にライブのアンコールのような曲で締められている。これがまた素晴らしい。栄純さんと光舟さんの共作と言う形で作られた曲に松田さんが歌詞を乗せ、それを将司さんが歌うのだ。それだけで充分にグッと来てしまうのだが、ここで歌われているのは紛れもなくバックホーンのライブの情景だ。バックホーンと、我々ファンだけのとても大事なあの場所の歌。バックホーンのライブはいつだって生きていく上で付きまとうあらゆる感情を吐き出させてくれるし言葉に出来ない思いすら代わりに叫んでくれているようで生きていると言う実感をどんな時間よりも与えてくれていた。そしてそれはバンド側も同じで、バックホーンとそのファンはお互いにお互いの存在に生かされていると言っても良い。こんな奇跡みたいな関係性がついに歌になってしまったのだ。この先もずっと生きている限りバックホーンとわたし達は続いていく。それをアルバムの最後にこんなにも力強く多幸感いっぱいに宣言してくれる彼らなら信じられる。こんな曲が聴けただけでもこのバンドに出会えて良かった。本当に良かった。

デビュー当時ジャンル分けをされることに辟易していた松田さんがインタビュアーに「THE BACK HORNは人間です」と答えていたことがあったらしいのだが、この「カルペ・ディエム」を聴く限りその言葉は間違っていなかったように思う。こんなにも生々しく「生きていくこと」を歌い生命力に溢れた音楽を奏でているバンドは彼らの他に知らない。神様みたいなひと達には違いないけれど、誰よりも人間らしく誰よりも人間として正しく生きている四人なのだ。
ひとは何の為に生きるのか。「イキルサイノウ」など無くても、その答えはやっぱりバックホーンの音楽にある。

音楽文 2019年11月18日掲載

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