共命 〜THE BACK HORNと共に生きると言うこと〜
ライブハウスに帰りたいと思った。薄暗くてどこか埃っぽくて汗とタバコとビールが混じったような独特のにおいのする、そして眩いばかりの照明と心地良いとさえ思えるほどの爆音で満たされたあの場所へ。
生きている実感をどんな瞬間よりも与えてくれるあの大事な空間に8ヶ月も足を踏み入れないままそれでもこんな風に何の支障もなく日常生活を送れてしまえているここ最近は、もしかして元からライブなんてものはわたしの暮らしにさほど必要なものでは無かったのかもしれないと、勘違いすら起こしてしまいそうだった。だけど、やっぱりそれは勘違いでしかなかった。わたしは間違いなくライブハウスに帰りたい。
「帰る場所ならライブハウスにあるから」
長い梅雨が明け、ようやく夏が始まった8月2日。レコーディングスタジオで行われたTHE BACK HORN初の配信ライブの中でボーカルの山田将司は彼らのライブアンセムのひとつであるシンフォニアの歌詞の一節を変え、カメラの向こう側のファンとしっかり目を合わせてこう歌っていた。その宣言通り、約1ヶ月後の9月6日には無観客配信ワンマンライブ「KYO-MEI MOVIE TOUR SPECIAL」-2020-(ライブハウス編)と銘打ち正真正銘ライブハウスから同じ言葉を、今度は自らが立つステージを力強く指差しそう歌い上げた。今まで幾度となく見てきた筈のその姿に思わず胸が熱くなる。バックホーンは、この状況下でも変わらずにあの場所で待ってくれているのだ。わたし達の帰りを。
この日のライブで披露された楽曲は15曲。先日のスタジオライブでは流れることの無かったお馴染みのSEに乗せて青い照明に照らされながらステージに登場するメンバーが、もはや神々しくも見え早くも感極まってしまう。小さなスマートフォンの画面を食い入るようにじっと見つめながら彼らの音を待つその間。ライブハウスで観ていたあの頃のように、わたしは気づけば強く拳を握り締めていた。そうして「こんばんは、THE BACK HORNです」と言ういつもの挨拶の後に鳴らされたギターリフは「その先へ」のイントロ。「とりあえず全部ぶっ壊そう 閃いたライブハウスで」そう歌い出すこの曲の終盤、山田将司はじっとカメラを見据え「始まりはいつだって」といつも以上に力強い歌声で熱唱するとその先をこちら側へ委ねた。わたしはそれが必然のようにバキバキのスマホに向かって「ここからさ」と返す。画面の中の彼は、歌声が途切れたその2秒ほどの間、何とも言い難い表情を浮かべた後更なる熱を込め歌い続けた。
「あの夜ひとかけら 君のポケットに残っていた ちっぽけな希望が 今も俺を支え続けてる」
わたしは常々、音楽に救われるなんてのは嘘だと思っている。只、誰よりも尊敬し信頼しているこのひと達にこんな風に言って貰える事実だけは紛れもなく希望だ。これは大げさな話では一切ない。宗教めいた危ない思想でもない。THE BACK HORNと、そのファンはお互いの存在に生かされている。8ヶ月ぶりにライブハウスで画面越しとは言え再会した彼らは、何ら変わることなくその絆を改めて認識させてくれた。「その先へ」で始まり、続いて演奏された「Running Away」、「シンフォニア」。この楽曲達はオーディエンスのコーラスや掛け合いが映える曲でもある。通常ならばライブハウスいっぱいのファンの怒号のような雄々しい歌声で埋め尽くされるであろうラインナップだ。でもこの日はもちろん無観客。メンバーの前にいるのはマスクをしたカメラクルーだ。それでも、山田将司はまるで目の前にファンがいるかのようにめいっぱい煽りまくっていた。届かないと分かっていても、こちらも全力で歌声を返してしまう。もどかしい気持ちはあれど確かにこの瞬間は繋がれていると感じられた。顔を合わせることはなくても、きっとあの場所にわたし達はいたんだと思う。願わくば一刻も早くあの場所に帰りたい。
ライブになんて行けなくても死にはしない。ライブになんて行けなくても大丈夫。ライブに行きたいなんて言っちゃダメだ。不謹慎だ。自粛しろ。みんな我慢してる。
最近では制限をかけながら徐々に有観客ライブも開催されるようになっているけど、それを羨ましく思いながら、でも行かないのが大人で、正しい選択だとどこかで自分に言い聞かせてどうにかこうにかやり過ごしてきた。口にはしなくても、そうやって自分に対してかけていたブレーキ。それが久しぶりにライブハウスのステージに立つTHE BACK HORNの姿を観たら完全に壊れてしまった。ライブに行きたい。ライブハウスに帰りたい。あの場所でもう一度彼らや彼女達と忘れられない夜を重ねていきたい。殺されかけていたそんな気持ちが鮮やかに甦る。
ライブの中盤、インディーズ時代からの名曲「泣いている人」を力強くマイクスタンドを握り締めながら切実な思いを込めて歌う山田将司の声や、クライマックスに向けて厚みを増していく演奏はまるでこの世界のすべての悲しみを拭うような優しさに満ちていて涙が止まらなかった。あんなに泣いたのはいつぶりだろう。ライブに行きたいと願っても良いんだ。会いたいと泣いても良いんだ。その場にいないわたし達に向けてめいっぱいの熱演を見せる彼らもまた同じ気持ちでいてくれているような気がして子どもみたいに泣きじゃくってしまった。一体いつまでこんな思いで生きていれば良いのか。こんな日々がこの先どれだけ続くのか。そんなことはきっと誰にも分からない。だけど、それでも信じずにはいられない。
「離れても胸の奥繋がって 生きてゆく糧になれ」
この日もライブの佳境で演奏されたTHE BACK HORNの最新曲である「瑠璃色のキャンバス」。その中で歌われているのは彼らの嘘偽りの無いあまりに真っ直ぐで正直な気持ちだった。ひとによっては恥ずかしいと思うかもしれない。大げさだと笑うかもしれない。だけどこれ程までに聴くひとのこころに寄り添ってくれる歌もそうは無いだろう。思えばTHE BACK HORNと言うバンドはいつだってそんな存在だった。この先どんな未来が待っていようとそれだけは変わらないと言える。
アンコールは無限の荒野。メンバー全員が全身全霊を注いで演奏した渾身の1曲。松田晋二が刻むハイハットのイントロに否が応でもテンションがぶち上がる。岡峰光舟の直接心臓に響くようなベースラインとダイナミックなパフォーマンスに血が滾る。そして、この曲の中でも山田将司は「ここが死に場所なのか?」と最後までこちらにマイクを向けていた。それに応えたのはギター菅波栄純の「否、まだだ、ここでは死ねねえ!」と言うこころからの叫びだった。そうだ、バックホーンがこんなとこで終わる訳がない。きっと意地でも、あの場所へわたし達を連れ帰ってくれる。それがどれくらい先になるのか分からないけれどいつまでもバックホーンと共に生きていたいと思った。何があろうとこの命は彼らの音楽と共にある。
「我 生きる故 我在り」
正にこの言葉を体現したかのようなその夜、名残惜しげに最後の1音が鳴り響く中、いない筈のオーディエンスの歓声と拍手が確かに聞こえた気がした。
音楽文 2020年9月15日掲載
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