DヲタがHIStoryを聴くとこうなる。

【お詫び】ウォルト・ディズニーの記述に関して、事実と異なる風説に基づく見解を書いてしまった事を深くお詫び申し上げます。

この間、サークルの皆でHIStoryを鑑賞した時に、新しく発見して浮かんだ解釈を書きたいと思います。

この曲では所々、映画やニュースの音声が左右チャンネルから聞こえてきますが、どうしても聞き取れず途方に暮れる事数時間。そこで和訳と解説が掲載されている素晴らしいファンサイトを見付けました。

https://yomodalite.blog.fc2.com/blog-entry-2167.html

 こちらを参考にして、知識の埋め合わせをしながら聞いてみると、驚きと同時に自分にとっては聞き逃せない部分がありました。

「1901年12月5日 ウォルト・ディズニー誕生」
「1955年7月17日 ディズニーランド開園」

https://yomodalite.blog.fc2.com/blog-entry-2167.html

 自分は、てっきりあからさまな負の歴史にばかり焦点を当てた曲だと勘違いしていた事に気付かされました。実際はラスサビの転調する所で、アメリカにとって明るさを感じられる歴史も取り上げられていたからです。特に、ウォルト・ディズニーの誕生とアナハイムのディズニーランドの開園は、最たる分かりやすい出来事だと言えます。

 ただ、これは単にマイケルがディズニーを好きだから、というだけでは収まらない気がしてなりません。というのも、ディズニーはそもそもアメリカの歴史と共にある巨大なコンテンツといっても過言ではないからです。勿論、良い意味でも悪い意味でも。

 まず、現在のウォルト・ディズニー・カンパニーの創設者であるウォルト・ディズニー(以下、ウォルト)はアイルランド系の白人です。彼が兄のロイ・ディズニーとスタジオを立ち上げて、アニメーターのアブ・アイワークスとミッキーマウスを生み出し、世界初のサウンドトラック方式を採用したトーキー・アニメーションを製作した事は有名ですが、それまで幼稚なものと思われていたアニメや映画等の娯楽を、芸術の域にまで広げた功績はアメリカの情勢に影響を及ぼしたり、その逆もまた然りでした。この事については、現在ディズニープラスで配信されているドキュメンタリー作品『ミッキーマウス・ザ・ストーリー』でも言及されています。

 恐慌の中で働く子ども達の安価な娯楽として、映画が存在していた事。
 その映画の中で革新的な要素を持ち、子どもだけではなく大人も惹き付けたのはディズニーのアニメだった事。
 恐慌を『三匹の子ぶた』のオオカミに見立て、「オオカミなんか怖くない」と己を鼓舞しながら乗り越えようとした国民が居た事。
 愛国者であったウォルトの意向で、戦時中にプロパガンダ作品が発表された事。
 戦後、ディズニーは国際進出と事業拡大で、アメリカだけのものではなくなった事。

 等々、今の価値観で生きる我々にとっては信じ難い事もディズニーはやっていました。少なくともウォルトが生きていた時代は「国際的」と言うより「国民的」だったと考えられます。

 長らくマジョリティのお手本と謳われていたウォルトが、戦前も戦後も人を選ばずに万人受けするエンターテインメントを提供していた事実は興味深いですね。(ディズニーに限らずエンターテインメントはそもそも基本的にマジョリティ向けに作られているので何とも言えませんが。)

 そして戦後に「世界で一番幸せな場所」としてディズニーランドが開園。ウォルト亡き後も、複数のエンターテインメント事業を手掛けながらアメリカの文化産業のトップを保ち続けるディズニーブランド。

 恐らくマイケルは、こうした経緯も理解していた上で、淡々とスピーカーから流れてくる歴史的な出来事の中に「アメリカが世界に誇るレガシー」たるディズニーの誕生を採用したのではないか……と考えています。

 マイケルを知り、ディズニーを知るというのは、アメリカを知る事に他ならない。マイケルと同じ位ディズニーが丸ごと好きな自分はそう思いました。

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