Vol.2 恋と友情の狭間で


〈プロフィール〉
名前:華(28歳)
経歴:青山学院大学経済学部出身、広告代理店勤務
住所:恵比寿(一人暮らし)


「はぁ……」

5月下旬の金曜19時。

青山学院大学時代のダンスサークルの女子5人で表参道の『リナストアズ』に久しぶりに集まった。

楽しい女子会だというのに、華は、ため息をついてしまった。

「ちょっと、華。元気なくない?何かあった?」

そう聞いてきたのは、美佳だ。美人でサバサバとしていて、サークル内でも男女共に好かれていた皆のお姉さん的存在。

今年29歳になる5人の中で、独身は華と美佳だけだ。

「最近、颯斗が浮気してるんじゃないかって…」

数秒前まで、写真を撮ったり、メニューを見てあれこれ話していた4人の手が止まり、視線が華に集まる。

颯斗も同じ青学のサークル出身で、華とは大学2年の6月ごろから付き合っているので、もうすぐ9年になる。

彼は、新卒で大手商社で働いている。今年に入り、アパレル部門から海外出張もあり得るブランドのマーケット部門という社内でも花形部署へ移動になり、忙しさに拍車がかかった。

そのせいか、2人が会う頻度は低くなった。

そしてここ最近、颯斗の行動が怪しいと華は感じている。

「結婚の話をはぐらかすのは前からだけど、この前、私のiPhoneの電池が切れて携帯借りようとしたら、慌ててダメって断られて。部屋で一緒にいる時も、急に電話かかってきて焦ってベランダに出たり…」

颯斗は隠し事をしている。これは確信に近かった。

「颯斗は寮がある横浜、華は恵比寿でしょ?2人とも忙しいし、会う回数が少ないと不安になるよね」

美佳が言うと、みんながうなずいた。

何より、華が信じられなかったことは、颯斗が先月の華の誕生日を忘れていたことだった。

付き合ってもうすぐ9年経つのに、初めてのこと。

「それはクロに近いグレー!」

メンバーの1人であるユキの言葉によって、華は颯斗に対する疑惑が増幅した。

「久しぶりに会ったのに、私の話は、暗くなりそうだからいいよ。で、美佳は最近どうなの?」

楽しい話題に変えようと、華は美佳に話をふる。

彼女は、元CAで、今は外資系企業でOLをしているので出会いも多い。

「全然。会社の同期から紹介された東大男は、生まれ変わっても治らないくらい重度のマザコンでさ。3週間だけ付き合ったけどバイバイ」

トリュフのパスタをフォークに綺麗に巻き付けながら、美佳が言う。

美佳は、美人でスタイルも良く、頭の回転が速くて、話も面白い。当然のようにモテるのに、大学時代から恋愛は長続きしない方だった。

「美佳って完璧なのに。高嶺の花なのかな…」

華の心の声がポロッともれると、その瞬間、美佳の表情が固まったように見えた。

「あのさ、何でも手にしてるのは華じゃん!」

美佳の声が、一段階大きくなった直後、我に返ったような顔をする。

「あっ…ごめん。仕事で色々あってイライラしちゃった」

美佳は、照れ笑いを浮かべて、すぐに、いつもの表情に戻った。

しかし華は、彼女が一瞬見せた表情が脳裏に焼き付いて離れなかった。

23時半、2軒目の『ウイスキーライブラリー』で飲んだ後、5人は解散をした。

目黒に住むユキと、2人きりになった帰り道。

渋谷駅から山手線に乗り込んだ時に、華はユキに聞いた。

「ねえ、私、何か美佳を怒らせたのかな」

「ん……仕方ないんじゃない?美佳も高等部の頃からずっと颯斗のこと好きだったらしいじゃん…?もちろん華と付き合って身を引いたみたいだけど…」

「え、そうなの?」

話の続きを聞きたかったが、その瞬間、電車が恵比寿駅に到着してしまったので、華は後ろ髪を引かれる思いで電車を降りた。

「バイバァーイ」

酔ったユキの声が響いて、電車の扉が閉まった。

翌日の土曜日。

11時ごろ、颯斗が華の家にやって来た。

2週間ぶりに会えたというのに、華の心は沈んだままだった。

「華、どうしたの?暗い顔して。2日酔い?」

玄関を開けるなり、颯斗が華に声をかける。

「ううん…何でもない」

華は、無理やり笑顔を作ったが『美佳も高等部の頃から、ずっと颯斗のこと好きだった』というユキの言葉が、気になってしょうがなかった。

颯斗の上着を預かり、ハンガーにかけている時に、華はさりげなく尋ねる。

「そういえば、颯斗って美佳と高等部から一緒だったんだよね?」

「うん、同じクラスだった。そっか昨日、美佳もいたんだよな…それがどうかした?」

華は大学から青学に入学したが、颯斗と美佳は内部生だ。

「いや、別に…」

「変なの…」

颯斗は不思議そうな顔をしながら、手を洗うために洗面所に消えていった。

華が、ダイニングテーブルに置かれた彼のiPhoneにふと目をやると、LINEのトーク画面が開いたままで、見たことのあるLINEのアイコンが目に入ってきた。

― 美佳…!?

華の鼓動が速くなる。

― トーク画面の上から2番目に表示されているということは、連絡を取り合ったのは、つい最近のことよね?

『ありがとう!』という最後のメッセージだけが見える。

美佳が、iPhoneに手を伸ばした瞬間、洗面所から出てきた颯斗が急いで取り上げた。

焦る様子の彼に、華はとうとう核心に迫る質問をすることにした。

「ねぇ、私に隠し事あるでしょ?」

「ないよ」

隠し事が「ある」「ない」で押し問答を繰り返したあと、華は「じゃあ、スマホ見せて」と問い詰める。

それに対して、颯斗は「嫌だ」の一点張り。

頑なに拒否する颯斗を見て、彼への疑惑が深まり、言いたい言葉が口から出なくなる。

颯斗に丸め込まれる形で、その場はおさまったが、その後見た、Netflixのドラマの内容は何も頭に入ってこなかった。

― もし、本当に颯斗が浮気をしていたら?もし、その相手が、美佳だったら…?

翌朝、颯斗は仕事の準備があると言って早々に帰っていった。

― 前だったら、月曜日までお泊まりすることもあったのにな。やっぱり、颯斗怪しい…。

華は夜、LINEを送った。

『やっぱり、ちゃんと話したいんだけど、時間作れない?』

颯斗からは、すぐ返事が返ってきた。

『うん、わかった。約束している来週の土曜日でいい?』

『その前は?』

『ごめん、平日は難しくて。その時、ちゃんと話そう』

― もしかして、別れ話されるのかな。

恋人たちのワイン


「え、ここって?」

1週間後、颯斗に連れて行かれた場所は、『ジョエル・ロブション』だった。

ポカンとしている華に、颯斗は言う。

「だって、今日記念日じゃん」

「…そっか。今日って、付き合って9年目か」

華は、ここ最近颯斗の浮気を疑ってばかりで、記念日のことなんてすっかり忘れていた。

「前、華の誕生日忘れてて…本当ごめん」

「私こそ、記念日忘れてたよ、ごめん」

― 今日、オシャレしてきてよかったぁ。

別れ話をされると思っていた華は、最後の記憶に綺麗に残るようにと、母から譲り受けた、エルメスのマルジェラ期の紺のワンピースを着ていた。

乾杯のあと、美しい料理が次々と運ばれてくる。

華が、一皿一皿に感動していると、スッとワイングラスがテーブルに置かれた。

「お預かりしていたワインをお持ちしました」

ソムリエの言葉に続いて、颯斗が口を開いた。

「実はこれ、親父から、1番大切な人と大切な時に飲めって、20歳の時に譲り受けたワインなんだ。だから、今日ここで飲もうと」

そのワインは『シャンボール・ミュジニー』のプルミエ・クリュ“レザムルーズ”という赤ワインだった。

「親父が言ってたんだ。この“レザムルーズ”ってワイン、恋人たちっていう意味があるらしい。だから、今日のうちに飲んでおきたいと思って」

意気揚々と説明していた颯斗が急に黙る。

そして、今度は恥ずかしそうに言った。

「つまり、これからは…なんというか…夫婦として…?」

「えっ…」

「俺と結婚してほしいんだ。ってまだ食事の途中だけど、こんなタイミングでよかったのかな」

颯斗は、おもむろに胸ポケットから小さな純白の箱を取り出し、パカっと開く。

そこには、一粒ダイヤの指輪が光を受けて輝いていた。


「待って、私、今日ふられると思ってたんだけど…」

颯斗が、目を丸くして驚く。

「だって、会う回数減ったし、電話でコソコソ誰かと話してるし……美佳とLINEもしてたし」

「ごめん。心配かけたね。会えなかったのは、仕事が本当に忙しくて…。

電話は、レストランとのやりとりしてたり、指輪の件だったりで。美佳には、プロポーズの相談してただけだよ」

「そうだったの?」

「美佳に相談してなかったら、俺、フラッシュモブで踊ってサプライズしてたと思う」

「それは、嫌だな」と華は笑いながら言う。

「で、答えは?」

颯斗が不安そうに尋ねる。

華は、とびきりの笑顔で「これからも末永くよろしくお願いします」と答えた。

颯斗が華の薬指に指輪をはめると、改めて2人で乾杯をした。

“恋人たちのワイン”は、ゆっくりと春先にふわっと優しい香りを漂わせる、ハクモクレンのような甘い香りがした。

恋する女たちのワイン

「昨日はごめん。急に明日会いたい!なんて連絡して…」

華は、美佳が1人で住む池尻大橋のマンションに来ていた。

「私もちょうど予定なかったし、華に会いたかったの。ね、報告があるんでしょ?」

「うん、昨日、颯斗にプロポーズされたの。颯斗、美佳が相談に乗ってくれていたって…」

「本当、華も颯斗も鈍感よね。お似合いの夫婦。本当におめでとう!颯斗にフラッシュモブ、させればよかった」

そう言って、美佳は笑って続けた。

「この前はごめん。私は恋愛うまくいってないのに、これからプロポーズされるっていう華が、私を完璧なんて言うから、つい嫉妬しちゃった。

今だから言うけど、颯斗のこと、昔好きだったときもあって…。あ、気にしないで、高校のときね。颯斗は鈍感で気づかなかったけど。幸せになってね」

華の目には涙が溢れた。…そして美佳の目にも。

「ありがとう。よかったら、このワイン、一緒に飲まない?」

そう言って華が取り出したワインは、“レザムルーズ”だった。

「昨日、私も颯斗もそんなにお酒強くないから、半分だけ飲んだの。“恋人たちのワイン”っていう意味で知られているワインなんだけど。実は、他にも意味があるらしくって」

レザムルーズ(Les Amoureuses)は、“恋する乙女たち”という意味もある。

「女たちが、このブドウ畑の近くで、恋バナや雑談をしたりして、友情を深めたっていう説もあるんだって。だから、残りは美佳と飲んだらって颯斗が言ってくれたの」

早速、グラスにワインを注ぎ2人は乾杯する。

「カンパーイ!」

ワインは、昨日とはまた違う表情をしていた。爽やかで、あたたかい気持ちになるような…。

「ちょー、おいしい」

2人同時に同じセリフを言ったので、顔を見合わせ笑った。

◆今宵の1本

画像1

シャンボール・ミュジニー プルミエクリュ レザムルーズ(Chambolle-Musigny 1er Cru Les Amoureuses)
フランス ブルゴーニュ地方

フランス銘醸地のピノ・ノワール100%の赤ワインだ。

レザムルーズという畑の名前は、日本では「恋人たち」という意味で有名だが、フランス語だと「恋する乙女たち」となる。

ブドウが育つ土壌が石灰質であるために、ワインはミネラル分を多く含み、活き活きとした酸味と繊細さが、他の産地にはない洗練された味わいを生み出す。

香り高く、エレガントな味わいから、女性的なワインともたとえられる。

作り手によっては市場価格が10万円を超えることも。

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