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宗教の仕組みってよくできてる。幼少期の思い出

※イラストはお絵描きばりぐっどくん作

私は今流行りの【宗教2世】ってヤツだ。
親と祖母が、ある仏教系の新興宗教に入っている。
といっても、2世の私は被害を受けたんです!みたいなのじゃぁ全然なく、実家を出たら自然と疎遠になって、脱会したゆるい感じだ。

いまにして思うと、あの組織体は、コミュ障が不幸にならずに生きていくための装置として、ものすごくうまくできてたなぁ、と感心する。
 
そういう観点で、私の小さい頃の思い出を垂れ流す。信者の日常に興味のある方はお付き合いいただきたい。ここからは、新興宗教に特有のワードが出てくるので、そういうのがちょっとアレな方は、ここでストップしてね(ディスクレーマー)。




★とある新興宗教信者の日常★

1.家でのルーティン
【朝】
・朝ごはん前に:①炊いた米②水③お茶を、仏様専用の食器(ジブリ映画の『借り暮らしのアリエッティ』にちょうどいいサイズ)によそい、仏前に供える
・朝ごはん後:小1時間、仏前で読経

【夜】
・夜ごはん前に:朝供えた①〜③を下げて、②水を入れ替えてアリエッティに供える
・夜ごはん後:小1時間、アリエッティ前で読経

→これを基本、毎日欠かさずやる。

私は毎日、アリエッティにご飯をあげるお手伝いをしていた。読経は親がやる。

この習慣、今思うと、一人暮らしのコミュ障にはなかなかいいんじゃないだろうか。毎日やるのはめんどい。実際、めんどかった。が、規則正しい生活習慣が身につきそうだ。朝ちゃんと起きてアリエッティにご飯をあげないといけないし、読経することで、1日2回、文字も読むし、声も出す。

2.支部や教会のイベント
各地域には「支部」があり、信者はいずれかの支部に入っている。支部のトップは「支部長」で、信者の誰かがエライ人から指名されて就任。支部を取りまとめる。
ちなみにサラリーマン的な感じで任期が1年とかで決まっている。信者は持ち回りで支部長をやる感じだ。
また「支部」の上部組織に「教会」がある。教会は近隣の3-5つくらいの支部を統括していて、教会トップは「教会長」。たぶん支部長の誰かがやるんだと思う。
なんか権限がありそうな感じだが、まぁ、そこらへんにいるふつうのオッサンやおばさんがそういう役職持ちをやっている。

月に1、2回の日曜日、信者が支部や教会に集まる。そこでやることはこんな感じだ。

まず入り口で受付を受けたら、
お布施をする。
のし袋に氏名を書き、お金を入れて、支部内にある賽銭箱に投函する。お金は100円でも1000円でもいくらでもOKだ。こどもの私もだ。親から500円とか1000円とかその場で貰って入れていた。
これは喜捨、といって、自分の持っているものを喜んで施すことを善し、とする会長の教えに基づく行動なワケだが、まぁあれ会員費だな。

そして時間になったらみんなで、仏前で読経する。ちなみに、支部や教会にいる仏様(掛け軸)は、家のよりもでかいので、供えられている①米②水③お茶のセットも、アリエッティではなくふつうの人間サイズだ。

読経が終わったら、支部長がなにやらありがたい話をするので拝聴する。内容は、、全く覚えていない(ごめん支部長)。ずっと正座していなければいけないので、いつも足が痺れて限界なのだ。(読経から支部長の話まで、1時間半くらいかかる。この間ずっと正座)ひたすら、はやく話終わって!と思っていた。

最後に、このあたりが面白いのだが、適当に5-6人ごとの「班」になり、キャンプファイヤーの火を囲むような感じで丸くなって座り、ひとりひとり、自分の生活でこんなことがあったよ、という自分の気づきを発表しあう(グループワークだ)。
だいたいは、「仕事や子育てでこんなつらいことがあったが、これも仏様からもらったお役目なので頑張る」とか、「不慮の怪我をしたが、仏様のお陰様で大事には至らなかった」みたいなパターンで、【いいことがあったら仏様のおかげ】【悪いことがあったら、仏様が自分に与えてくれたお役目】というテンプレが存在する。

これの何がいいのかというと、支部を通じて定期的に他人とつながることができる。つまり、友達ができる。強制的な友だち作りイベントだ。

そのほか、支部や教会は「宿直」という制度がある。
だいたいの支部の建物のつくりは2階建てで、1階部分は賽銭箱と仏前(読経するところ)、2階部分は柔らかい絨毯敷きの広いホールになっており、2階部分は信者が宿泊する寝室を兼ねている。
支部には常に2〜3人がいるのだが、これは特定の管理人ではなく、信者が持ち回りで(一泊2日)で支部を管理する。
支部では毎月信者にカレンダーが配られて、前述の交流イベント日程と、宿直当番シフトが載っている。ああ今月は●日が宿直当番か、一緒に泊まる人は●●さんかぁ‥と確認する流れだ。
私も親といっしょに何度も支部に泊まった。キッチンもあり、食材はひと通り冷蔵庫に入っているので、一緒に泊まる信者の人とご飯を作って食べて読経して就寝し、次の日、次の宿直当番の人が来たら交代してチェックアウトだ。

この制度も、他人と一緒に寝食を共にするという強制イベントにより、友だちがつくりやすい仕組みになっている。自宅と違う場所で泊まるのもちょっとした高揚感がある。支部に泊まるのは嫌いじゃなかった。知らんおばちゃんとお話したりするしね。

そのほか覚えているのは、任意参加系イベント。年に1回、東京の総本部で行われる謎のイベントや(参加したい人はツアーバスでみんなで向かう)、有志で沖縄に慰霊に行く、等の社員旅行的なイベントもあった。おばあちゃんが行ってきて楽しそうだった。

長くなったが、こんな感じの日常だ。

私はものすごく人見知りする子どもだったので、そこで友達はできなかったが、仮に成人したぼっちのコミュ障だったら、これはなかなかに良い仕組みだと思う。いまは結婚してるのでぼっちではないが、コミュ障気味ではあるので、世間の変なイメージが一切なければ、友だちを作りたくて入っていたかも知れない。

またこのアリエッティ教(←違う)では、高い壺を買ってる奴が偉い、みたいな強制や信者カーストもなかった。と思うし、周囲への勧誘行動や一般人へのビラ配り、なんてのも皆無だったので、それも良いと思う。
世界平和のために個々人が善い生き方をしましょうね、みたいなサークル活動みたいな感じか。

つらつら書いていて思ったが、現代のオンラインサロンも、けっこうこの仕組みに似ていないだろうか?普遍的な何かを感じる。アリエッティ教の課金システムのネタバラシしてるかな、コレ。

最後に、私が幼少期にアリエッティ教に入っていたことで身についたスキルは、【法華経をうっすら暗唱できる】という謎スキルだ。このスキルは今でもたまに、ホラー映画を見て怖くてお風呂に入れない!といった場面で現役で活躍している。


おわり


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